2018.07.30 Monday
最近まで読んでいた「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の印象も覚めやらぬうちに、東京初台にある東京オペラシティ アートギャラリーで表題の「イサム・ノグチー彫刻から身体・庭へー」展が開催されていたので、早速見に行ってきました。世界的に活躍した日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチは度々私のNOTE(ブログ)に登場していますが、作品を見るたびに新たな発見がある不思議な巨匠だなぁと思います。図録から文章を拾ってみると「『眼』に偏重したモダニズムに反旗を翻して、ノグチは、五感、そして誰にでも容易に体験出来る、『触覚的記憶』に彫刻の基盤をおいた。幼い頃からの遊び場、その音や声、そして光や涼やかな空気を、呼び起こす場。ノグチにとって、そして私どもすべての人間にとっての、母の温かい背中、自らの肉体の奥底に今も疼く、記憶の原古里としての『母』へと回帰できる、稀有で特権的な庭なのであった。」(新見隆著)従来のモダニズム美術の枠に収まらないノグチの表現は、常に私を魅了し続けてきました。展示はノグチが若い頃滞在した中国の北京で描かれたドローイングから始まり、日本で作った陶彫作品の数々、和紙を使った照明器具AKARIのバリエーション、庭を想定した広場のプラン、ノグチの代表作品群とも言える石彫の数々がありました。「触覚的記憶」と言うならば、表現媒体全てがそれを追求しているように思われます。私にとって新たな発見は、AKARIと石彫との間に流れている色香のような空気感が、清涼な感覚を呼び起こして、その作品周辺に豊かな空間を感じさせてくれたことでした。こんなに多くのAKARI作品群と石彫作品群を隣り合わせてみる機会がなかったので、その重量差もさることながら、双方に流れている風のような色気漂う気配が、何とも快くて心が解放されました。まだ語り足りないことがあるので、また機会を改めて同展の感想を述べてみたいと思います。
2018.07.29 Sunday
関東を襲った台風が西へ向い、横浜では台風一過により、夏の暑さが甦ってきました。午前中はまだ雨が残るものの、午後になると太陽が照りだし、気温が上昇しました。この酷暑はいつまで続くのでしょうか。今日は工房に若いスタッフがやってきました。彼女の通う大学はまだ夏休みに入っておらず、課題提出が迫っているとのこと、この際工房で集中して一気に課題を仕上げたいと考えていたのでした。私は新作を始めたばかりで余裕があり、制作時間は彼女に合わせることにしました。結果、夕方5時まで工房にいて、この暑さにもかかわらず長い時間を工房で過ごしていました。昨日、入念に土練りをしておいたので、陶土は扱い易くなっていました。座布団くらいの大きめなタタラを6枚作りました。今までも陶彫部品の成形はタタラ作りと紐作りの併用でやっています。タタラだけでは大きな陶彫部品はカタチを保てず、部分的に紐状にした陶土で補っているのです。とくに角度が変わるタタラとタタラの接着部分を裏側から紐で補強しています。新作ごとに陶彫部品のカタチが違うので、その都度考えながら補強をしている按配です。陶芸には見られない困難さがあると言えますが、焼成に釉薬を使わないために、窯入れで悩むことはありません。話は変わりますが、昼ごろ近隣のスポーツ施設に行って、水泳をしてきました。私の習慣として定着してきましたが、水泳が終わってプールサイドに上がる時に、左膝を思い切り床にぶつけてしまいました。結構痛かったのですが、見たところ膝に変化が無かったので大丈夫と思いつつ、工房に帰ったら「膝から血が出てますよ」とスタッフに指摘されました。それから膝は打ち身のような痛さがとれず、やれやれと思いました。制作を再開すると、午後の暑さが容赦なく襲ってきて、夕方5時には集中力が途切れてしまいました。スタッフを車で送り、今日は暑くて痛い一日だったと振り返りました。
2018.07.28 Saturday
今月最後の週末になりました。今月中にどうしても来年用の新作に取り掛かりたいと思い、今日は新しい陶彫部品を作るための第一歩を踏み出しました。陶土は継続的に使わなくては硬くなってしまい、造形が出来にくくなります。今月の個展で発表した陶彫作品の余った陶土は、湿り気を逃さない工夫をしていたにも関わらず、連日の猛暑で硬くなっていました。余った陶土を一旦細かくして、新しい陶土と混ぜて土錬機にかけることにしました。陶土が継続的に使用されていくことで、制作サイクルが回っていきますが、個展の準備で時間をおいたため、もう一度手間を掛けて陶土を良好な状態に戻す必要を感じました。最初の取り掛かりはこんなものかなぁと思いつつ、土錬機を回しました。私は陶土を単身では使わず、別々の陶土を混ぜ合わせています。通常は混合のために3回土錬機にかけますが、今回は余った陶土が大量にあったので、4回ほど土錬機にかけました。最後は手で菊練りをし、小分けしてビニールに包んでおきます。ビニールで密閉しておいても出来るだけ早く使わないと、今回のように硬くなってしまうのです。今日の作業はそこまでにしました。台風が関東に近づいていたため、工房周辺が暴風雨になっていました。例年の台風と違い、太平洋からいきなり関東に上陸する台風の進路予報だったため、早めに工房を切り上げようと思っていました。夕方は予報どおり横殴りの雨になりました。自宅でゆっくりする口実にもなって、ソファに横になっていました。明日の横浜は台風一過になりそうで、いよいよ新作の成形を始めます。
2018.07.27 Friday
貴重な映像で綴られたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」。現在、東京神保町にある岩波ホールで上映されています。ナチス政権が齎せた悲劇、その内容はどうだったのか、103歳の証言者が語る台詞に戦慄を覚えたのは私だけではなかったはずです。「私がやっていることはエゴイズムなのか。」「あの体制に逆らうのは命がけで、最悪のことを覚悟する必要がある。そのような実例はいくらでもあった。」「悪は存在するわ。何と言えばいいのかわからないけど神は存在しない。悪魔は存在する。正義なんて存在しない。正義なんてものはないわ。」「私に罪があったとは思わない。ただし、ドイツ国民全員に罪があるとするなら話は別よ。結果的にドイツ国民はあの政府が権力を握ることに加担してしまった。そうしたのは国民全員よ。もちろん私もその一人だわ。」彼女の台詞を拾うだけでも戦時中から戦後にかけての状況が垣間見れます。彼女が秘書を務めたゲッベルスは国民啓蒙・宣伝大臣の役職にあり、ユダヤ人の気質を伝染病に例えて排除しようとした演説で知られています。映画ではオリジナルの音声を流していました。ホロコーストの実際の映像もありました。103歳の証言者ブルンヒルデ・ポムゼルさんに対し、映画の作り手が情報操作をすることもなく、ポムゼルさんの言葉はそっくり映画を観ている私たちの解釈に委ねられていると思いました。私が以前読んだ反ナチス運動の「白バラは散らず」のショル兄妹にも触れる箇所がありました。ポムゼルさんの友人だったユダヤ人女性を、戦後になって探していくうちに有名なアウシュビッツ強制収容所も登場してきました。ポムゼルさんは戦後5年間収監されていて、ユダヤ人が殺されたかもしれないシャワー室で、自分は温かいシャワーを楽しみにして過ごしていた事実に慄く台詞もありました。一人の女性が語るだけの映画で2時間弱を要していましたが、それは何と短く緊迫した時間だったかと感じました。もう一度観るのは辛い映画かなぁと思いました。
2018.07.26 Thursday
東京神保町にある岩波ホールは、昔から時々出かけていました。最近は地元の横浜にあるシネマジャック&ベティに通っていますが、商業ベースに乗らない映画を観るとなれば、岩波ホールと決めていた時期がありました。歴史を紐解くと、岩波ホールは1968年にホールが完成し、1974年に映画の上映が始まっているようです。私はいつ頃、岩波ホールに行ったのか覚えていませんが、最初は大学の女友達に誘われて行った記憶が残っています。今日は職場に出勤せず、外部機関で朝から会議がありました。午後の会議が早めに終わったので、久しぶりに神田の神保町に出かけました。映画の最終上映時間に間に合うかなぁと思い、電車に飛び乗りました。現在、岩波ホールで上映しているのはオーストリア映画「ゲッベルスと私」で、ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書をしていたブルンヒルデ・ポムゼルの長いインタビューをまとめたドキュメンタリーです。ゲッベルスはナチス政権の国民啓蒙・宣伝大臣の役職にあり、ヒトラーの片腕として大衆を扇動した悪名高い人物でした。撮影当時の彼女は103歳という高齢で、深く刻まれた顔の皺が、モノクロの映像を通し、何かを訴えかけてくるようでした。彼女の凛とした語りからナチス政権に翻弄されたドイツ国民の姿が浮き彫りにされてきて、私は胸に迫るものを感じました。映画と映画の休憩時間に女性ジャーリストによるトークショーがありました。カンボジアやイラクを取材している彼女の見た国民性や人権問題に「ゲッベルスと私」の感想を絡めて、現代に於いても考えさせられる話題を提供していただきました。映画の詳しい感想は後日改めます。ミニシアターの先駆的存在である岩波ホール。今夏はもう一度ここに来ようと思っています。