2018.02.09 Friday
私がやっている彫刻は物質的な創作活動ではありますが、それら素材を用いて作る出すのは精神世界に所属するものです。そうした己の内面を問いかけることが、周囲を見渡すと日常生活の中では少なくなってきているように思います。私はたまたま創作活動をしているので、メタフィジックスは必要不可欠な要素ですが、多くの人たちにとっては、敢えて自分の内面に向き合わなくても物質的・経済的な生活に困ることはありません。表向きは精神生活なんてどうでもいいことで、日常何かによって満たされていれば、前向きで建設的な自分を保てると思っています。ですからここではメタフィジックスの重要度を問うことはしません。自分の中で重要と考えているとしか言いようがないメタフィジックスの何たるかを整理したいと思っているのです。哲学史を紐解けば、古代の哲学者ソクラテスの「汝自身を知れ」という言葉から端を発し、アリストテレスが提唱した形而上学(メタフィジックス)によって、その考え方が定着しました。私たちは唯物論では片づけられない何かに縋って生きている場合も多く見かけます。宗教もその一つですし、私が生涯を賭けている芸術もまた然りです。実体のあるものを対象とする科学が罷り通る世の中で、一部の学者や宗教家、芸術家にしか注目されなかったメタフィジックスが、癒しを求める現代の人々の中で、新たなビジネスとして復活している兆しがあります。スピリチュアルという言葉に興味を寄せる人々がいることも事実です。自分が生きていく意味や意義を求めたいなら、物質だけでは満たされないものがあり、そのために自分探しを始める人がいます。私は彫刻表現を通して自分探しをしてきました。今後、メタフィジックスがさらに注視される世の中になるのではないかと思っています。
2018.02.08 Thursday
ドイツの画家アンゼルム・キーファーに興味を抱いたのは、1998年に箱根の彫刻の森美術館で開催された「アンゼルム・キーファー展」を見たことに端を発します。ナチスの負の歴史を直視し、ナチス式敬礼の写真を展示して物議を醸した芸術家は、その後もナチズムを白日に晒す作品を作り続けました。彫刻の森美術館では藁や炭化された木材、またコールタールで塗りこめた巨大な作品が壁を覆っていて、その素材感に圧倒されたのを今も覚えています。その時は題名に気を留めていなかったのですが、キーファーは主題や意味を尊重する芸術家であることを後になって知り、その意図を汲むべきだったと後悔しています。キーファーの作品には聖書や神話、さらにユダヤ教の神秘思想とも言うべきカバラ哲学も創作動機に入ってきていて、それを知るには芸術家個人の経験としての背景があるのだろうと察します。現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のなかに、キーファーに関する章があり、キーファー自身の言葉が掲載されていました。全文引用いたします。「天使の非難。ドイツにおけるゼロ時間?だが、そのとき、すばらしい空〈から〉の空間を、つまり開始の場所を創造した慈悲深い天使はいなかった。なぜなら空〈から〉の空間はふさがれ、やがて使い古された事物と言葉で満たされたからだ…。廃墟は素早く取り除かれ、打ち砕いたコンクリートは廃棄処分された。沈黙の廃墟は、天使の空〈から〉の空間ではない。瓦礫は単に終わりではなく、開始でもある。いわゆるゼロ時間は、実際には決して存在しなかった。瓦礫は、絶え間なきメタボリズムが光を放つ頂点の植物の開花のように、再生の開始なのだ。そしてふたたびふさぐものを、空〈から〉の空間から長く押しだすことができればできるほど、鏡に映った像のように未来と共に進む過去を、より完全に、そしてより集中的に協調することができるのである。時間ゼロは存在しない。空〈から〉は、常にその正反対のものを自己の内部にもたらすのだ。」
2018.02.07 Wednesday
私は20代の頃、5年間もウィーンに滞在していたにも関わらず、戦争の傷跡には目もくれず、ひたすらアートの動向ばかりに注目していました。美術館に展示されている現代芸術作品の中にはホロコーストが及ぼした深い影響が見られるものがありましたが、そこに拘るつもりはなかったのでした。陸続きのポーランドにあるアウシュヴィツに足を踏み入れることなく、私は帰国の途につきました。その後、横浜市の公務員になり、職業として第二次大戦の歴史的事実を捉えることが必須であり、内外の現代史に視野を広げるにあたって、日本のアジア侵略や欧州を巻き込んだナチスの惨状も学習することになりました。今思えば、あの時どうして関心を持たなかったのか、自問自答を繰り返すばかりです。「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のなかに、アウシュヴィツの収容所で命を落とした画家がいました。ユーロ・レヴィンという画家は私には未知の画家でした。文中より引用すれば「レヴィンはヨブという旧約聖書の人物を、運命に打ちのめされ、倒れ込んだ男と解釈したが、身体のポーズのなかに、人間の精神的な力と弱さが混ざっている。頭部は、抵抗も服従も明らかにしていまい。だが、人間の尊厳を得ようとする努力を、絶望的な状況のなかで明らかにしているだろう。~略~ヨブが聖書において象徴化する神の正義を、激しい精神的苦闘において、根本的に問うのだ。正しい人がなぜ苦しまねばならないのか、人に善と見えることが、神には悪なのか、人にも悪に見えることが神には善なのか、と。」というレヴィンの作品を解説した箇所があります。レヴィンは排斥、軽蔑、搾取され、苦悩する人々に目を向け、それら社会的コンテキストを激情的に表現した画家でした。第二次大戦という惨劇の中で、多くの芸術家の命が奪われてしまったことは疑いようのない事実です。元来、芸術は生命を謳い、人間の価値を問う媒体です。民族同化と真っ向から対峙する媒体です。そんなことを改めて感じさせてくれた画家ユーロ・レヴィンの生涯でした。
2018.02.06 Tuesday
先日、常連になっている横浜のミニシアターに台湾映画「日曜日の散歩者」を観に行ってきました。1930年代から戦後に至る文学界の動向の中で、西洋のモダニズムが席巻した時期があり、台湾から日本に留学した一部のエリートの中に、そうした前衛詩を日本語で創作した人々がいました。この映画は近代史の狭間に生き、忘却の憂き目に遭った詩人たちを追ったドキュメンタリーで、その時代の風潮を知らなければ、難解極まりない映画だと思います。私はシュルレアリスム以後の世代として、若い頃に知識として戦前の芸術運動を知っていたので、映画の手法であるシュルレアリスム的な場面展開が理解できました。それにしても他では類を見ない特異で不思議な映画のため、早速図録を購入し、映画の背景として評論家が考察していることが知りたいと思いました。図録から抜粋いたします。「植民地の地方都市で、詩を、それも芸術至上主義の前衛詩を作る。それは、呼べども応える声もない寂寥と、内から溢れる創作欲との闘いだったといってもよい。~略~盛況と粗製の台湾映画界において、『日曜日の散歩者』は、一つの違和感の表明である。風車詩社に関する綿密な取材と研究成果にもとづきながら、シュルレアリスムの古典的な手法を用いて、シュルレアリスムの詩人たちの人生を描く。映画では日本語・英語・中国語が混在するだけではなく、複雑なシャッフルによって次元の異なる映像が提示される。そもそも詩が、映画が、どのような表現でありえるのかを問い直しているのである。その挑戦は、1930年代の詩人たちの挑戦と重なる。」(大東和重著)
2018.02.05 Monday
一日1点ずつの完成を目指して、毎晩奮闘しているRECORDを、ホームページにアップしています。毎年秋にカメラマンが来て、1年間のRECORDを撮影しています。撮影は前年の10月からその年の9月までとしているので、現在は昨年の9月分まで撮り終えています。そのうち4月・5月・6月分を今回ホームページにアップさせていただきました。4月のテーマが「つくる」、5月のテーマが「つなぐ」、6月のテーマが「まざる」に決めて、日々小さな平面作品を作っていました。それに加えて私はテーマを題名にしたコトバを絞り出していて、ホームページの最後に掲載しています。それは作品の説明ではありません。「つくる」というテーマでは、私は彫刻家ジャコメッティの細くなった塑造の画像を見ていました。見えた通りに表現しようとした結果、視覚を疑いつつ立体の捉えを模索した彫刻家の格闘をコトバにしてみました。「つなぐ」では人間関係から発想したコトバです。私の職種は人間関係で成り立っています。「まざる」は色相環を見ていて、緑色から発想したコトバです。色彩は明度や彩度によって変わります。そのバランスに心理的な作用が現れると思っています。RECORDのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、RECORDをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。