2018.02.24 Saturday
やっと週末になって、陶彫制作に没頭できる機会がやってきました。朝から工房に篭って、乾燥した陶彫部品の数々に仕上げを施し、化粧掛けを行いました。もっと詳しい制作状況をNOTE(ブログ)に書こうと思って、夕方自宅に戻ってきたら、朝日新聞の夕刊に掲載されていた惜別記事に目が留まりました。先日も新聞で彫刻家保田春彦先生の訃報を知って、NOTE(ブログ)に書きましたが、今日の記事は写真がありました。大学で制作中の保田先生の画像でしたが、40年前に私が垣間見た先生の姿を思い出しました。金属による鋭利な抽象彫刻を作っているところに、私は惹かれてしまいます。さっきまで私も工房で制作をしてきたので、制作中の空気が伝わってくるのです。新聞記事から気になった箇所を拾ってみます。「遺跡や建築を思わせる、思索的で緊張感漂う金属の抽象的な彫刻で、高い評価を得た。」これは保田先生の一貫した作品の概略です。「歯にきぬ着せぬ指導で、表現の核心が分かるまで手を動かすなと教えた。」これは教え子でもあった鈴木久雄教授の弁で「高踏的な暴君」ではあるけれど「人間的」とも言っています。保田先生に親しい鈴木先生も、自分と同じような感覚を持っていたのかと思いました。私が保田先生に近づけなかったのはこんな理由があったんだよなぁと改めて思ったのでした。「イタリア出身の妻シルビアさんを亡くし、70歳代に作風が一変。叙情的な白い家形の木彫や膨大な数の裸婦デッサンを残した。」これはここ最近の新作を、世田谷美術館や南天子画廊で拝見していたので、よくわかります。制作に厳しかった保田先生も心境の変化が訪れたんだなぁと思っていました。最後に美術評論家酒井忠康氏のこんなコトバがありました。「元々ギリシャ以来の伝統を背負い、人体を基本にした人。晩年は青春に戻ったのではないか。純粋で不器用で、ニコニコなんてできなかったが、寂しがりやだった。」気難しい保田先生の風貌が甦りました。
2018.02.23 Friday
「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のうち最後に取り上げたいのはウィーン幻想派の旗手ルードルフ・ハウズナーです。私が20代の頃、ウィーン美術アカデミーに在籍していた時期がありました。当時アカデミーにはハウズナー教室があって、何人もの日本人が学んでいました。廊下でハウズナー教授とすれ違ったこともありました。教授はきちんとネクタイをされていて、とても画家には見えない風情でした。自画像を「アダム」と称し、そこに精神分析学を持ち込んだハウズナーの表現は、フロイトを生んだ古都ウィーンの空気に合致していたように感じました。ハウズナーには「アダム」の他に「道化帽」のシリーズがあって、文中にこんな一文があります。「アダムが活動的、荒い力、本源性、連続的な優位タイプを、要するに闘いを具現化していますが、それに対して道化帽は瞑想的な、抑鬱性の、メランコリックな感情細やかな、感じやすい、感情移入力のある他の一面を表現しています。」これはハウズナー自らが語った言葉です。道化帽を冠った人物像は、内面的な感情を秘めている表現になっているわけで、精神分析的な解釈を何か具体的な対象物を使って、自らの内面を語らせているとも言えます。本文からさらに引用いたします。「ハウズナーは、絵筆とパレットを手にして画架のところに立ち、鏡のなかを見、『わたしは自分の顔を眺めた』と言い、『そしてそのなかに世界を見た』。さらに『わたしが世界に関して知り、自分を知る一切のものを、絵を描くときに知ったのだ』と。それは彼にとって、絵画とは『グノーシス派の規律』であり、自己認識を創造することが、同時に人生の克服のためのひとつの手段であり、道化帽も、そのひとつの手段としての姿なのだ。」グノーシス派とは、初期キリスト教の異端とも捉えられた思想で、消滅の憂き目にも遭っています。それは旧約聖書の神と新約聖書の神を区別する特徴があるからです。一度途絶えた思想は20世紀に入って再び興り、オカルティズム思想にも影響を及ぼしているようです。ウィーン幻想派の思想背景にこんなものが潜んでいたことを私は知りませんでした。
2018.02.22 Thursday
昨日、横浜美術館の円形フォーラムで会議がありました。美術館学芸員から企画展の案内があったので、会議終了後、「石内都 肌理と写真」展に立ち寄りました。写真展を見たのは久しぶりで、私は2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司ロストヒューマン展」を見た以来です。作家の経歴を見ると、石内都氏は美大で染織を学んでいることで、写真の技術偏重にならない表現が、柔軟な思考を齎せているように思えました。作品を見ていると痕跡、記憶、喪失、遺品などというコトバが浮かびました。写真は、そこに人が生きて生活した記憶を残せる媒体として、時間や存在を際立たせることが可能です。あらゆるモノは周囲の状況を纏って、私たちの身近に存在していたんだなぁと思い起こさせるのです。図録の中にある横浜美術館館長の一文を引用いたします。「技術重視へのこだわりが弱い写真への距離感は、三脚を用いず手持ちの35ミリカメラで自然光のもとで撮る石内の撮影方法にも表れているが、被写体との関係性を構築する個人的で親密かつ真摯な対峙の仕方は石内独特のものである。」(逢坂恵理子著)作家自身の言葉も図録に掲載されていたので引用いたします。「今日も又、ひとつの喪失がおとずれた。私をとりまく日常から少なからず人が消えていく。身体を伴って生きることは大変なことのように思える。身体から規制される様々な価値と違和との折り合いをどのようにつけていくのか。いずれカタチ有るものは無くなる。その当事者として残された私は、あるであろう今日の続きの為にも、身体のゆくえをさぐりながら限りある時間を超えて撮り続けていきたい。」
2018.02.21 Wednesday
先日、家内の希望で観に行った映画「クボ 二本の弦の秘密」は、日本マニアのアメリカ人スタッフが作り上げたストップモーション・アニメで、膨大な時間と手間をかけて、繊細かつ大胆な映画に仕上がっていました。スタジオ・ライカのこうした技術は世界最高峰らしく、人物や妖怪の動き、荒れ狂う大海や竹林、村落や民衆に至るまで美しさに溢れた映像を作り出していました。人形のポーズや表情を少しずつ変え、1秒に24回のシャッターを切る根気強さから生み出された流麗な動きは、実写には見られないモノ作りに対する気概が感じられました。主人公クボは三味線によって折り紙に命を与える才能を持つ独眼の少年で、村ではそんな大道芸をやって人気を博していました。侍だった父の話や月の帝として君臨する祖父の話を母から聞かされて、亡き父の声が聞きたくて灯篭流しに出かけたクボが、悪霊になった叔母や祖父によって事件に巻き込まれ、伝説の刀や鎧や兜を手に入れるため、母親代わりのサルや剽軽な武士クワガタと旅に出ることになります。クボの眼を狙う月の帝やその他魑魅魍魎と闘う中で、クボが三味線に意味のある2本の弦を張る場面があります。それは両親の支えがクボに強い心を与えるというものでした。監督は様々な場面で日本の古き情緒を盛り込んでいました。葛飾北斎の「神奈川冲浪裏」の大波や、歌川国芳の「相馬の古内裏」の巨大な骸骨を髣髴とさせる化け物などが登場し、ストーリーより美術的なイメージが先行しているのではないかと思わせる場面も数多くありました。監督は黒澤明や宮崎駿を参考にしているとパンフレットにもありました。観終わった後、よくぞここまで作ったなぁというのが私の本音です。家内も感嘆していて、上映最終日を気にしていたので、本作を三味線仲間に見せたいと思っていたのかもしれません。
2018.02.20 Tuesday
若い頃、ウィーンに居を構え、そこから夜行列車に乗り継いでスペインのマドリッドにあるプラド美術館に行ったことがあります。プラド美術館にはヒエロニムス・ボスの「快楽の園」があったはずですが、何ということか、私は記憶に留めていません。私がヒエロニムス・ボスの絵画を意識するようになったのは、ウィーン美術アカデミーに隣接する美術館に「最後の審判」があったからでした。アカデミーとは扉ひとつで出入りできたので、度々見に行き、不思議な世界を堪能しました。中世に描かれ、人間の罪を露にしたような表現には謎が多くて、それについて何か解説が欲しいと思って、旧市街にある美術書専門店で分厚いボスの画集を購入しました。結局ドイツ語の解説はまったく読まずに、今も自宅の書棚に眠っています。当時流行っていたウィーン幻想絵画にもボスの影響があると私は見ています。描かれた異形を見ると、つい誘惑されてしまう謎解き、宗教を含めた思想世界の迷宮に紛れ込んでしまった自分の心が映し出され、映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観に来ている人は、そんな思いを携えているのではないかと私には思えました。映画は「快楽の園」を巡って、様々な登場人物たちが感想を述べ、謎は解明されることなく幕を閉じました。監督のインタビューの中で「芸術家の使命は謎を深めることにあります。哲学者のミシェル・オンフレ氏が劇中で示唆するように、芸術が持つのは、衝撃とカタルシスを通して、人間の魂に優れたものを受け入れさせる力だけです。」とありました。謎は謎のままの方がいいのかもしれません。最後にボスの絵画の解説を付け加えておきます。「ボス絵画の多くの場合、人間の愚行ゆえの罪が、怪奇で悪魔的な異形のイメージで描き出されている。終末が迫り、地獄の業罰と罪の悔い改めがさかんに説教され、人々の恐怖心を煽っていたこの時代、ボス風作品は大いに人気を集め、権力者たちがコレクターになった。それはキリスト教社会が抱える矛盾や不条理を映す鏡だったと言えよう。」(小池寿子著)