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  • 映画「万引き家族」雑感
    昨晩、常連にしている横浜のミニシアターに映画「万引き家族」を観に行ってきました。映画の帰りは家内と映画の話題が尽きず、この映画がそれだけ面白かった証なのだと思いました。足の踏み場もない雑多な家具什器に囲まれた狭い平屋に、祖母、父母、母の妹、長男という家族が住んでいました。まず映画で描かれるのは街のスーパーマーケットで鮮やかな手口で万引きをする父子の連携、その帰路に父が気を留めた幼い女の子の虐待を受けているらしい現場、その子を連れ帰り、何と家族に加えてしまうのでした。そこで明かされていくのは、この家族は全員が血縁関係はないということ。社会や家族から疎外されたり、捨てられたりした者が集まった偽の家族だったのでした。素性とは関係なく気儘に言い合いをしたり、慰めあううちに、女の子の心は次第に解かれ、明るくなっていきました。血縁は家族を繋ぐ絶対条件なのか、「万引き家族」は人間臭い温かさや気楽な関係によって、家族のあり方を見つめ続けた映画でした。この家族は祖母の年金を頼りにしていました。言うなれば年金の盗人集団です。父は日雇いでしたが、足を骨折。母は工場勤務でしたが、クビになりました。母の妹を名乗る若い子は風俗で働き、長男は小学校へ行かず、万引きで生計を助ける日常がありました。ある日、一家で海に出かけ、遊ぶ場面が描かれました。そこで波と戯れていた家族を見て、他人同士は「期待しないからいい」という祖母の何気ない台詞が印象的でした。その祖母が亡くなり、家の軒下に埋葬して隠蔽を図る家族。長男が女の子を連れて駄菓子屋で万引きを始めると、妹にそんなことはさせるなと老店主に諭され、次第に万引きに懐疑的になっていくのでした。そこから歯車が狂い始めてきます。長男は万引きで逃走する時に足を折り、店員に捕まって入院。児童相談所の職員から聞き取りで、父母の素性が明らかになってきます。盗みや死体遺棄など欺瞞の上の成り立っていた日常。警察や行政の型に嵌った問いかけで、映画の鑑賞者である私たちはこの家族に対する微熱のある思い入れが醒めてくるのを感じます。犯罪はやってはいけないけれど、人と人との関係はどうあるべきか、女の子がいなくなって慌てた両親のインタビューが放映されて、女の子は両親の許に帰りますが、そこでは親に相手にされず、女の子は孤独に戻っていくのでした。この映画はベテラン俳優の力量が発揮されたところと、子ども達の自然な演技が見事に発揮されたところが相俟って、高い完成度を誇っていると感じました。国際的な賞に輝いたのも頷ける映画だったと思っています。
    連続して制作が可能な日々
    「働き方改革」により今年は職場が長めの休庁期間を設定し、私も夏季休暇5日間の他に年休をいただいて、今週は創作活動に邁進しようと思っています。連続して制作したのは年末年始の休庁期間以来です。たとえ数日でも毎日制作が出来ると弾みがついて、陶彫制作には大変有効です。もちろん二足の草鞋生活がなければ、年間を通して日々制作しているわけですが、今は限りある時間を有効に使うことに神経を注いでいるのです。今日の午前中は土錬機を回し、混合した陶土に手で菊練りを施していました。先日、新しい陶土が栃木県益子町から届いたので、早速保存用の陶土を作ることにしたのでした。土練りは毎回陶土40キロくらいで行います。これは陶彫部品2個分に充たる分量です。私は土練りした陶土を長く保存せず、こまめに土練りを繰り返す方法を取っています。陶土を成形し易い状態にしておくには、これが最良のやり方かなぁと思っています。朝晩凌ぎ易くなったとはいえ、まだまだ酷暑が続いていて、工房にいると汗が噴出してきます。午前中でシャツはびっしょりになり、菊練りしている陶土の上に汗が滴り落ちていました。工房には扇風機と小さな冷蔵庫があります。冷蔵庫は水分を冷やしておけるので助かります。昼に一旦自宅に戻り、シャツを替え、飲み物を追加しました。午後は昨日作っておいた大きなタタラを使い、陶彫成形を行いました。この作業でも汗がシャツに染み出してきます。土練りのような単純な肉体労働より、神経を使う成形作業の方が、噴出す汗が多いのではないかと思いました。朝8時半から始めた作業を午後3時に終えることにしました。工房にいた時間は6時間少々、暑い中での作業としてはこれ以上無理できないかなぁと判断しました。夜は家内を誘って、久しぶりに横浜のミニシアターに映画を観に行ってきました。観た映画はカンヌ国際映画祭でパルムドール賞に輝いた是枝裕和監督の「万引き家族」。人と人との絆とは何か、ある一家の秘密が紐解かれていくうちに、思わず心が引き込まれていきました。現代日本の人と人との関わり合いを、一緒に暮らす家族を通して抉り出していく設定は、家内や私に何かを考えさせる契機を与えてくれました。詳しい感想は後日に回します。今日は夏季休暇らしい充実した時間を過ごしました。
    週末 休息を入れながら制作再開
    昨日までの一週間は島根県や山形県に出かけていて、楽しかった分、疲労も溜まりました。今朝は飼い猫のトラ吉を預けた近隣にある動物病院へ行きました。そこはホテルを兼ねていて、大変重宝しているのです。果たしてトラ吉はどうなっているのか、1週間はトラ吉にとって長かったようで、人懐こさが倍増していました。猫はどのくらいのことを記憶しているのでしょうか。暫くして自宅に帰ってきたことを認識したらしく行動が次第に落ち着いてきました。トラ吉は常に私たちの傍にいて、1週間預けられたことで、私たちとの距離が短くなったような気がします。私は久しぶりに工房に行きました。7月に作っておいた陶彫部品がいい具合に乾燥していました。新作の方向性を決める大事な第一作で、乾燥が進んだ成形を見ていると、これでいけると確信しました。明日から新しい部品の成形を始めるので、今日は大きなタタラを複数枚作りました。今日は酷暑が一段落して、やや気温が下がりましたが、それでも陶土を掌で打って伸ばしていくと、汗が噴出してきました。旅行の疲れがあって、今ひとつ調子に乗れず、明日の成形の準備が終わったところで、工房を後にしました。制作中に度々休息も入れました。陶土に触れていると不思議と元気が湧くのですが、作業はいつもの半分くらいに抑えました。夏季休暇5日間に加えて今年は年休4日間をいただいています。夏季休暇は島根旅行で3日使い、山形旅行は年休で処理していました。明日から夏季休暇の残り2日間と年休2日間を取得する予定です。これを創作活動に充てようと思っているのです。陶彫部品の成形や土練りがどこまで出来るのか、またその4日間のうちの1日を割いて家内と都心の展覧会を回ることにしています。出来るだけ制作を先に進めようと思っていますが、今年の異常な酷暑はどのくらい続くのでしょうか。涼しくなってくれれば、さらに長く工房に留まる事が出来て制作が進みます。こればかりは天に祈るしかないのですが…。
    山形県へ② 「山の日」に蔵王へ登る
    昨日から山形県上山市に来ています。今日は「山の日」です。山形県と宮城県に跨る蔵王にサイトユフジさんの案内で登りました。私の家内はユフジさんと大学の専攻も同じで、直系の後輩になるのです。空間演出を学んでいるのに、ユフジさんはテンペラ画家になり、家内は胡弓奏者になりました。因みに同じ職種の後輩は、同じ専攻出身で木彫家になっています。私だけが彫刻専攻でそのまま彫刻家になっていて、まさに王道を歩んでいるのが私のちょっとした自慢です。蔵王の頂上には御釜と呼ばれる火口に水を溜めた名所があります。私は小さい頃、両親に連れられてここにやってきました。あれから何年過ぎたのか忘れましたが、生憎今日は霧に覆われて御釜は見えませんでした。そのまま蔵王温泉に行き、スカイケーブルに乗ってドッコ沼湖を見てきました。冬になれば有名なスキー場がオープンし、大勢のスキー客で賑わう場所も、夏は人が少なく、この季節に客を呼び込むための工夫が必要かなぁと思いました。蔵王から降りてきて、嘗てユフジさんが勤めていた東北芸術工科大学に立ち寄りました。広大なキャンパスに恵まれた施設があって学生に羨ましさを感じました。今日は土曜日で、しかもお盆のため人影がありませんでした。昼食は「山形一寸亭」という肉そば店に行きました。待ち時間がある人気店のようで、期待通り冷やした肉そばが美味しいと感じました。山形県は野菜や肉が豊富で地酒の種類も多く、健康的な食事が目に付きました。そういえば有名な米沢牛も山形県産だったなぁと思いました。帰りの新幹線の時間を見測りながら、夕方になって山寺に案内されました。奥の院まで歩く時間的余裕がなく、根本中堂に参拝して山寺を後にしましたが、時間が許せば登って見たい衝動に駆られました。かみのやま温泉駅でユフジさんと別れて、帰途につきました。2日間に亘った山形県への旅行が終わりました。前半は島根県、後半は山形県と旅行してきましたが、印象に残る場面が多く、充実した1週間だったと思い返しています。お世話になったサイトユフジさん、有難うございました。
    山形県へ① お世話になった人の墓参り
    お盆休みが始まるため、山形新幹線の指定席確保が困難で、朝から予定していた山形県行きが午後になりました。山形県上山市にはもう30年以上も交流のある画家サイトユフジさんが住んでいます。ユフジさんとは20代の頃、私が滞在していたウィーンで知り合いました。ユフジさんは蟻や蜜蜂を大量に画面に描き込む精密画家として内外で活躍していました。テンペラ画やその他の混合技法を使った精密画はウィーンを代表する幻想画家たちが得意としたもので、街のギャラリーにはそうした絵画が溢れていました。ユフジさんがウィーンを滞在先に選んだ理由がわかりました。当時、ユフジさんの奥様が大使館に勤めていて、私にはサイト夫妻の生活は安定した優雅なものに見えました。私は5年間の滞欧生活でしたが、サイト夫妻は10数年ウィーンにいました。サイト夫妻がウィーンを引き上げてきた年に、私は横浜で彼らに会いました。お子さんが学齢期に達したことが帰国の理由になったようです。ウィーンでは幾度となく料理を振舞ってくれたり、アドバイスを頂いた奥様のみえ子さんが3年前に亡くなり、私はどうしてもお墓参りがしたかったのでした。今回それが叶いました。午後2時半にかみのやま温泉駅に到着、ユフジさんが出迎えてくれました。墓地は山形市内のほぼ中央にありました。スゥーデン大理石に「花の碑」というコトバを刻んだ瀟洒な墓石に花を手向けてきました。夕食はユフジさんのアトリエ兼住居にお邪魔しました。「男の料理ですが…」と言っていたけれど、なかなかどうして愛情の篭った手料理を振舞ってくれました。ユフジさんのアトリエ兼住居は小高い丘の上に建っていて、まさにアトリエ中心の間取りになっていました。ユフジさんの絵のモチーフになりそうな雑貨や資料が、適度に使い易い配置で空間を占めていました。生前のみえ子さんはアジア系雑貨を扱う店をやっていたようで、そんな話で尽きない夜になりました。アトリエの在り方から創作姿勢まで、ユフジさんは恩師の池田宗弘先生によく似ていると感じました。大学の教壇に立っていられたことも、奥様を先に亡くされたのも同じです。しかも私たち夫婦は奥様がいなくなって漸くアトリエを訪ねているのです。これも同じです。ユフジさんと池田先生に接点はありませんが、私はユフジさんを兄、池田先生を父と考えることにしました。仕事から帰ってきたお子さんに車でホテルまで送ってもらいました。ホテル到着は深夜で日付が変わる間際でした。