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  • 「抽象的なフォルム」について
    現在、職場で時折読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、フランスの著名な現象学者がカンディンスキーの抽象絵画理論考察を試みた著作です。本書は決して平易な文章ではなく、私がこれから挑もうとしている現象学とは何かという伏線にもなっていて、少しずつ考察を読み解きながら、カンディンスキーが提唱した「目に見えないもの」が絶対的主観性の内在性からくるもので、そこに抽象的なフォルムに辿り着く行程が、浮き彫りにされているのに気づきます。今日の表題になっている「抽象的なフォルムー要素の理論」から引用すると、「『点・線・面』の冒頭で、カンディンスキーは、分析とは『芸術を解剖する』ことを意図した分析であると見なし死の同義語であるとするような主張に反駁を行っている。こうした分析は逆に生を意味するのであり、そのことは、分析とは(このことばにフッサールが与えた現象学的な意味で)、ものの本質に、目下の場合は純粋な絵画的要素にわれわれを連れ戻す本質的な分析であるということから来ている。ところで、絵画的要素の本質とは、まさしく抽象的内容、この要素が表現したいと思っている目に見えない生なのである。」とありました。また、「あらゆる絵画の内容が抽象ということばの表わす根本的な内在性であるとき、内部で絵画の内容の表現がなされるフォルムそれ自体がこうした意味で抽象的であるとき、生がおのれの〈住まい〉である〈目に見えないもの〉の次元でそのエッセンスを惜しみなく与えていなかったとすれば、いかなる絵画一般、いかなる芸術一般もあり得ないだろう。」と述べられていました。写実絵画であろうと抽象絵画であろうと、あらゆる絵画は抽象的フォルムに包摂されるというのが、著者の主張なのだろうと思います。
    疲労気味の週明け
    昨日は工房内の作品保管場所として、木っ端が積んであった場所を整理するため、朝から夕方まで木っ端をジグゾーで切り刻んでいました。ゴミ袋にして10袋以上が出来上がり、地域のゴミ集積場に持っていきました。保管場所ではまだまだやるべきことがありますが、昨日は木材の切断で一日が終わってしまいました。こういう時にこそ必要なスタッフが来て欲しかったのですが、自分一人でコツコツと地道に木っ端の処理をしていました。そのせいか今朝から筋肉痛がしています。とくに足腰に痛みがあるのが気がかりです。ウィークディの仕事はデスクワークが多いので、身体は少しずつ回復に向かうのではないかと思います。二足の草鞋生活では、ウィークディの仕事は神経を使い、週末の仕事は身体を使うので、不思議なバランスがあって助かっているところです。疲労がなかなか抜けないのは加齢のせいかもしれませんが、一日を完全にオフに出来ない辛さは結構応えます。幸いこの時期は職場としての大きなプロジェクトがなく、落ち着いた1週間になるだろうと予想しています。私の職場環境は常に危機管理と隣り合わせですが、今週くらいは平穏に過ごしたいと願っています。
    週末 作品保管場所の確保
    今月の個展が終了したら、現在搬入を待っている現行作品が戻ってきます。売れるかもしれないと淡い期待もあるのですが、大きな彫刻が売れることは滅多になく、そのまま梱包用木箱に入って手元に返ってくると考えた方がよさそうです。今日は昨日と同じように新作の床に接する陶彫部品の下書きをやっていました。その下書きを全て決定したところで、搬出された場合の作品置き場を考えました。相原工房の半分は作品収納庫になっていますが、そろそろ保管場所がなくなってきていて、現行作品をどこに置こうか考えていかなければなりません。軽い木彫の柱やテーブルはロフトに上げようかとも思っています。梱包用木箱は重量があるので、1階に置かざるを得ないのですが、さて、梱包用木箱27個分の場所が取れるかどうか難しいところです。板材や柱材の木っ端が捨ててある場所があり、そこを整理することにしました。木っ端をジグゾーで小さく切り刻んで、ごみ用のビニール袋に入れ、完全に処分することにしました。木っ端は何かに使えるかもしれないと思って取っておいたのですが、保管場所の確保のためには仕方ないと判断しました。そこにあったその他の荷物はロフトに上げようと思っています。そこにはまた制作に必要な資料書棚がありますが、これも移動しようと思っています。そうすれば保管場所の確保は可能です。今日は木っ端の切断で一日が終わってしまいました。昼ごろには運送業者を呼んで、搬入の打ち合わせをしました。夕方には職場近くで地域行事があったため、昨日に引き続いて出勤しました。あとは搬入前の土曜日が残された整理の時間です。頑張りたいと思います。
    週末 併行して新作開始
    7月の個展用の梱包が完了し、来年の新作に向けて第一歩を踏み出しました。7月の個展準備のために、まだやるべき仕事があるにも関わらず、今日から新作に取り掛かることにしました。モチベーションを保つためには新しい創作活動を組み込んでいかなければならないと判断したためです。新作は「発掘~根景~」の発展形です。もうテーブルは作りませんが、山々が連なるイメージがあるのです。今日のところは床に置かれる陶彫部分の全体図のうち半分を決めました。新作に取り掛かったことで気分は高揚しましたが、何せ土曜日はウィークディの疲れが残っていて、身体が思うように動かず、少し作業をしてはちょいちょい休憩を取っていました。亡父の植木畑を管理してくれている遠縁にあたる人が、工房周辺の草刈りをしていました。今年は気温が高くなるのが早かったため草が伸び過ぎて、工房への小道を塞いでいたのでした。今週末は職場での地域行事に参加するため、夕方になって職場に出勤しました。仕事中も新作のことが頭から離れない状態になってしまいました。早く新作に取り掛かりたくて仕方がなかったのが正直な思いで、実際に陶彫成形に入るのは個展終了後になりそうです。次から次へとイメージが湧いてくるのは有り難いと実感しています。
    草月プラザの「天国」
    「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に、草月プラザに設置された場の彫刻とも言うべき「天国」の解説がありました。「青山、草月会館のロビーのデザインである『天国』は、出発点が、逆にあからさまな意味で花を生けるための舞台装置でありながら、終着点として、時間の庭を実現し得た、ノグチの傑作として数えられるものだ。~略~逆に造形的な機能という意味で言えば、いくつかの花を生ける可能性をじゅうぶんに残した、建物の二辺に寄せた、石による、階段状のテラスがあるだけなのだ。そして、巧みにつながったり、離れたり、隠れたりしながら流れ去る水があるだけだ。晩年の石彫と同じような、割りだした、掘りだした、石の肌そのままと、機械ですぱっと切って磨いた断面、そしていくぶんかは、斧で人間が斫った鑿跡、その三つの肌合いの絶妙な調合、コラージュがあるだけだ。」敢えて空間の状況だけを伝える文章を掲載しましたが、いろいろな意味で「天国」は特筆に値する作品であるのは間違いありません。私は学生時代に完成したばかりの「天国」を見て衝撃を受けました。その頃、私は学校で人体塑造をやっていて、自分の彫刻をどういう方向にもっていくべきか悩んでいました。「天国」は、自分が海外に旅立つ前の鬱積した気分を晴らしてくれた唯一の空間だったかもしれないと、今になって思っています。1985年に私はヨーロッパを引き揚げてきて、都市遺構をパノマラとして表現する考えに至っていました。そこで再度「天国」を見に出かけました。場の彫刻としての捉えこそ、自分が目指す彫刻の在り方だと確認できた瞬間でした。亡父が生業としていた造園業とも合致したのも、こうしたイサム・ノグチの仕事が引き金になっていることを実感しています。