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  • イメージ力を保つために…
    昨日、筋肉を保つために…というNOTE(ブログ)を書いていて、ふと思ったことは身体の筋肉だけではなく、頭脳でも持続力を保たなければならないのではないか、それを保つために何が必要なのか考えました。頭脳を使うことは、職場で言うところの課題解決力、それは問題が生じた時の組織的行動力や情報共有力、普段から身に付けておきたいコミュニケーション力や人との気遣いも含まれると考えています。創作活動ではどうかというと、やはり新しいイメージをキャッチできる力でしょうか。それは突如として湧いてくるものではなく、現行作品の制作に苦しんでいる時にイメージが降ってきたりするものです。それは体力を保つためのトレーニングにも似ていると感じています。日々新しい作品を作らなければならないRECORDはその最たるもので、イメージ・トレーニングには有効です。最近になって筋肉の衰えを感じ始めている私は、イメージ力はまだ保てているのではないかと自負しています。新作の彫刻も年々ハードルを上げて、クオリティをいかに高めるかを追求しています。その意欲があるうちはまだまだ大丈夫と自分に言い聞かせています。よく散歩で工房にやってくる年齢が一回り上の先輩が、最近意欲がなくなったと嘆いていますが、自分の頭脳の持続力はどうなんでしょうか。70代、80代でも彫刻に挑み続けられるのでしょうか。師匠の池田宗弘先生を見ていると、自分はまだこれからが勝負だと決意を新たに出来ます。確かに創作活動では60代で漸くスタートラインに立てたように思えるのです。葛飾北斎の画業を仰ぎ見て、意欲を奮い立たせている私がいます。
    週末 筋肉を保つために…
    週末ごとに陶彫制作に取り組み、その陶彫部品を集めて大きな集合彫刻を作っています。今は7月の個展に向けて陶彫部品ひとつずつをエアキャップで包んで箱詰めをしています。梱包作業は来週まで続きそうです。昼間作業に精を出している時は、あまり気にしていませんが、朝晩気を抜いている時は、手足の筋肉が緩んで力が入らないのです。昔はそうではなかったので、加齢のせいなのかどうかわかりませんが、ヨレヨレする時があるのです。疲労感もあります。毎週日曜日に近隣のスポーツ施設に水泳に出かけますが、五十肩を患ってから腕が回し難くなったのは確かです。現在五十肩は完治していますが、腕が上がり難いのです。水泳で言えば、水中での身体のラインが作れないため、身体の中心がブレます。水流と言うか水の体感によって、身体が伸びきれていないのがわかります。今後泳ぐ距離を少しずつ増やしていこうと考えていて、それで何とか筋肉を保てないものか、大真面目に考えています。足腰は丈夫な方なので、駅では出来るだけ階段を使おうか、歩けるところは歩いていこうか、いろいろなところで筋肉を使う場面を持とうと思っています。職場ではデスクワークが多いので、週末くらいは身体を使っていきたいのです。幸い彫刻制作は肉体労働なので、額に汗して頑張る場面が多いのですが、スポーツとは違うので、筋肉をバランスよく使うことはしていません。今日はそんなことを考えながら梱包作業に取り組みました。来週末も継続です。
    週末 個展準備が着々と…
    先日の夜、カメラマンが自宅にやってきて、印刷が終わった個展の案内状を届けてくれました。昨日、職場外であった会議の後、ギャラリーせいほうに立ち寄り、案内状1000枚を届けました。個展準備が着々と進んでいます。例年個展は同じようなスケジュールでありながら、毎年異なる新作のため、心配の種は尽きません。とりわけ「発掘~根景~」のテーブル部分の設置は大丈夫なのか、撮影の時のように柱を4本しっかり立てられるのか、そこが一番の課題です。今日は朝から工房に行って、梱包用の木箱を作っていました。木箱は20個近くになりましたが、陶彫部品を全て入れることは不可能です。でもどうにか木箱の数は確定しそうです。そろそろ気になっているのはこの作品の収納場所です。それは追々考えていくとして、まだ不足している材料があるのです。夕方、日曜大工センターに出かけてエアキャップを追加購入してきました。それにしても個展の搬入前ですが、精神的な疲労感が出てきてしまいました。でも創作活動に対する疲労はありません。新しいイメージが湧いてきて、現在も自分を虜にしていますが、目前の作業に対する疲労感は、どうにもならないなぁと思っています。それはRECORDも同じです。最初のイメージはあれど、仕上げが後回しになってしまう悪癖が出ています。これを何とかしなければなりません。
    魯山人とノグチの共通性
    現在読んでいる「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に北大路魯山人とイサム・ノグチを比較して論じている章があって、興味関心を持ちました。昔、この2人の芸術家を扱った展覧会があって、どうやら筆者はその関係者であったらしいのです。北大路魯山人とイサム・ノグチ、この2人に共通するものは諸芸術を総合した美意識を持っていたことで、さまざまな分野において優れた業績を残しています。本文から拾うと「モダニズムもアヴァンギャルドも、へったくれもない。生で裸の人間の世界があり、とりつくろった芸術の言い訳など許されない、生きることへの真摯さがそこにはある。たしかに魯山人は、モダンだ。作陶のほとんどを古陶磁の写しに終始したことも、前衛の創造性など鼻にもかけない、逆説的なモダニティーと言える。~略~かたちは、心のあり方いがいのものではない。さもしさと温かさ、傲慢と小心、そして野放図と繊細。これらはじつは相反する性癖でなく、磨かれた真の個性のなかでは、稀有なかたちで共存するものだということが、魯山人を見るとわかってくる。」という箇所は、北大路魯山人の創作へ向かう姿勢を描いています。それに続く文章で「じつはこれらの感性は、まったくノグチその人にもぴったりとあてはまるものなのである。ともに根なし草だが、それは強靭な根なし草であって、あらゆるものにこだわりがなく、屈託もないが、孤独で自由だ。」とあります。生い立ちからくる自由な精神、これが時代を経ても新鮮な感動を私たちに齎すものなのでしょうか。
    映画「フジコ・ヘミングの時間」雑感
    横浜のミニシアターにはレイトショーがあって、仕事帰りに立ち寄れる時間のため、映画を容易に楽しめることが出来るので重宝しています。独特な音楽観を持つピアニストのフジコ・ヘミングは、以前テレビで紹介されていて興味がありました。映画は世界を飛び回る80代のピアニストの私生活を描き出し、その自然体が存分に発揮された映像でした。フジコ・ヘミングは60代でデビューを果たしました。その裏には苦難に満ちた特殊な事情があり、その全てが演奏活動に表れているように私には感じられました。父親がスェーデン籍のデザイナーであったこと、母親がベルリンに留学していたピアニストであったこと、フジコが留学を希望する時に、それまで無国籍であった事実を知ったこと、難民パスポートで母と同じベルリンに留学できたこと、30代の時にデビュー間近で左耳の聴覚を失う事故があったこと等、人生途中で夢を諦めていたとしても仕方がない状況の中で、フジコ・ヘミングは現在の国際的に活躍する舞台を築いたのでした。住居好き、動物好き、演奏にミスは多いけれど、魂を籠めた演奏は聴く人たちを魅了する、そんな彼女の思いや日常が描かれていて、映画の中では楽しい一面もありました。それでも、優れた芸術活動には一体何が大切なのかを映画は見事に抉り出し、私たちはそこに感銘を受けました。一緒に行った家内は邦楽器の演奏家なので、フジコ・ヘミングの生き方や演奏にはいろいろな思いが交差するらしく、感心するところと厳しい音楽評が入り混じった感想を述べていました。難聴を抱えるフジコは、オーケストラとの共演が難しい場面があり、演奏を開始するタイミングが掴めないところが映し出されていました。リサイタルならまだしも、そこが難しいところかなぁと感じました。私は80代の今も活躍するフジコ・ヘミングの姿に感心しました。私も晩年になるに従い、活躍の場が広がるといいなぁと願っています。引退など考える暇もなく、制作に埋没したい気持ちで一杯です。