2018.06.10 Sunday
今日は朝から工房に行って、7月にある個展のために新作の梱包を始めました。まず「発掘~根景~」の大きなテーブルの梱包から開始することにしました。大きめのビニールシートにエアキャップを貼り、テーブルの表面をエアキャップに接着するように置きました。シートで全体を包んでガムテープで固定しました。次にやったのは「発掘~根景~」の柱陶でした。柱陶は高さが220cmあり、四方に陶板を接着してあるので、かなり重量があります。作業台2台を縦に並べ直し、テーブルと同じようにビニールシートにエアキャップを貼りました。ただし、陶板のレリーフを保護するためにエアキャップは二重にしました。柱陶は4本あり、これを全て梱包したら、昼過ぎになっていました。今日は久しぶりに近隣のスポーツ施設に出かけ、午後1時くらいまで水泳をしてきました。梱包作業は面白みがなく、鑑賞やスポーツと組み合わせなければ、なかなか持続できないのです。そこが創作活動との違いです。午後は木箱作りに入りました。何個作れば全て収まるのか、やってみないとわかりません。差し詰め20個くらい作ってみようと思っています。これは来週末も継続です。「陶紋」は過去の作品からの通し番号でやっているので、印章も過去の作品と同じものを使っています。以前に作っておいた印を押し、43番から46番までの番号を書き込んで、それぞれの作品に貼りました。梱包作業でも時間はあっという間に過ぎていきました。そこは創作活動と同じです。今後週末は梱包作業ばかりです。実のところ、次作のイメージが天から降ってきていて、新しい作品に取り組みたいのですが、梱包を後回しには出来ません。この時期は何年も同じようなスケジュールで作業をしています。定番化するのは自分には歓迎すべきことですが、綱渡りのような緊張感がない分、退屈な作業ばかりで時が過ぎていきます。
2018.06.09 Saturday
相原工房に出入りしている若いアーティストを、私はスタッフと称しています。折に触れ、私の作品の手伝いをしてくれますが、助手ではないのでアシスタントとは呼べません。彼らは通常、相原工房で自らの作品を制作しているのです。美術系の学校を出ても制作場所が確保されず、創作活動を諦めてしまう人が多い現状があります。私も若い頃これに悩んだ一人でした。相原工房は貸し工房ではありません。私と関わりがある若いアーティストに無償で提供しているのです。彼らはまだ20代で、アートの世界のスタートラインに立ったばかりです。週末になると、溌溂として表現活動をやっていますが、プライベートではさまざまなことがあるようで、今回の結婚式もそのひとつです。創作活動を継続していく難しさはいろいろなところに潜んでいて、制作場所だけではなく、生活環境が変わることで、創作活動以外の人生の価値観を見出す人も少なくありません。創作活動には社会的なニーズがないので、来る者拒まず去る者追わず、というところでしょうか。私が参加する披露宴は午後1時からだったので、午前中は工房に行きました。梱包に必要な材料がかなり不足していて、まずはガムテープやエアキャップ等を大量に購入してこなければ、梱包を始められないことが判明しました。昼前に新横浜駅に隣接するホテルに出かけ、若いスタッフの結婚披露宴に出て来ました。彼女は終始微笑んでいて幸せそうでした。私は乾杯の発声で簡単な挨拶をしましたが、若いスタッフに心より祝福を申し上げたいと思います。私は結婚式を行うのに賛成派で、式は本人たちのためだけではなく、周囲に認めてもらうものと考えているからです。今日の式はなかなか立派なものでしたが、私は豪華さを求める必要を感じません。身の丈にあった心の篭った挙式であれば、自ずと祝福したい気持ちが湧いてくるものです。これからの二人の末永い幸せを祈っております。夕方、自宅に帰ってから梱包材を購入しに雑貨店に出かけました。披露宴の後は、何かをする気分になれないだろうと思っていましたが、まさにその通りで、買い物くらいがちょうどよいと感じました。
2018.06.08 Friday
先日、読み終えた「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)には最後に「結びの章」があります。著者は美学者であり、その視点から現代の芸術やアートを一貫して考察してきました。その全体のまとめが本章です。冒頭に「芸術に自明なことは何一つない、このことが自明になったというアドルノの言葉は、今日の芸術にとってだけでなく、むしろ美学、芸術哲学にとって衝撃的だった。」と書かれていました。横行する芸術やアートという不可解なものを、哲学を基盤にして語ってきた本書は、絡んだ芸術の謎を紐解くように追求してきましたが、「結びの章」では謎は謎として残されていて、今後のアートの展開を見ていくことになりそうです。「デュシャンの暴挙が、おそらく無意識に種を蒔いた芸術の『トテゴリー』、自己審問と実験、半世紀を経て実際に芽吹いてみると、芸術のトテゴリーはすべてを芸術にし、すべてを芸術でなくしてしまった。~略~だがそれを哲学的問題として見るアドルノにとって、芸術のこのような状況に関する『試論』自体が『何を試みようとしているのか』、それが先決的問題になる。アドルノより三十年余り早く、ヘーゲルの芸術哲学に言及して、ハイデッガーはこんな風にいっていた、『ヘーゲルの芸術過去説に何らかの決着を付けるのは、まだまだ先になるだろう』、芸術哲学の当面の『課題は芸術の謎を見ることである』、と。ハイデッガーにとって、そしてアドルノにとって当代の『芸術』は芸術哲学=美学の問題であり、哲学そのものの問題であった。だから両者ともに《芸術過去説》に明快な対応ができないのである。明快な対応ができる、それが『哲学すること』、ハイデッガーに即していえば、『思索すること』の放棄になりはしないか、と恐れるからだろう。」デュシャン以後の芸術またはアートはどこへ向かうのか、そこに哲学はどう関わっていくのか、幸福な時代は終焉したと誰かが言っていたコトバをふと思い出しましたが、現代に生きて現代彫刻をやり続ける私にとって、多種多様な価値観の中で、出口の見えない迷路を歩いているような気分になります。
2018.06.07 Thursday
先日の夜、仕事から帰って夕食を済ませた後、急な思いつきで映画「ウィンストン・チャーチル」に行ってきました。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝き、しかもメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのは日本人の辻一弘氏。だからというわけではなく、時代背景に興味関心があった私は、これを是非見たいと願っていたのでした。失策を繰り返し、政界の嫌われ者になっていたチャーチルが「国難だから損な役割を押し付けられたものだ」という台詞がある通り、ナチスの脅威に曝されていた1940年5月にイギリスの首相に就任、そこからチャーチルの苦悩が始まります。初の演説で「私が差し出せるのは、血と労苦と涙、そして汗だけだ。」という台詞が印象的でした。さらに「人類の歴史のなかで、国民が血を流して戦った国家は、たとえ負けても必ず蘇っているが、血を流さないで降服した国家は歴史上から消滅している。」というチャーチルの主張が示す通り、側近から宥和政策を提案されても一蹴し、徹底抗戦を議会や国民に呼びかけるのでした。それには多大な犠牲も伴いました。チャーチルは全6巻からなる回顧録「第二次世界大戦」を1948年に出版し、ノーベル文学賞を獲得しています。ただここに書かれていないドイツとの交渉が模索されていた事実は、1970代になって公開された戦時内閣の閣議記録によって、人々が知るところとなりました。映画で描かれていたチャーチルの苦悩は、こうした資料が基になっているのでしょう。映画ではチャーチルが突如地下鉄に乗って、そこにいた人々の声に耳を傾ける場面がありました。これはフィクションですが、最後の閣議でのチャーチルの演説に説得力を与える演出として、つい身を乗り出してしまうほど面白い効果がありました。辻一弘氏のメイクは俳優をまるで別人に変えていて、しかも自然に肌の下の筋肉が動いて、チャーチルその人になっていました。顔面に接近した撮影もあったにもかかわらず、私はその技量に驚きを隠せませんでした。
2018.06.06 Wednesday
昨夜、常連になっている横浜の中心街にあるミニシアターに行ってきました。レイトショーは夜9時から始まったため、自宅に帰ったのが午前0時前でした。時間的に昨日のNOTE(ブログ)にアップできなかったので、本日これを書いています。日常の仕事で鬱積した気分を和らげるため、非日常の世界に浸るのが、私のストレス解消法です。週末は彫刻を作り、ウィークディの夜はRECORDを作っているのもそのためです。美術館や映画館に出かけるのも非日常の世界がそこにあるからです。時に現実逃避とも受け取られがちですが、そうでなくても精神のバランスをとるため、私には必要なことなのです。昨夜は私が急遽決めた映画鑑賞だったので、家内は同伴せず私一人で出かけました。観た映画は「ウィンストン・チャーチル」。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝いたことで一躍脚光を浴びた映画です。日本で話題になったのは、メイクアップ&ヘアスタイリング賞に日本人の辻一弘氏が選ばれたことでした。チャーチルの風貌に似せるためのテクニックは素晴らしく、主演したゲイリー・オールドマンもチャーチルその人になりきっているように感じました。映画のテンポも歯切れよく、国家存亡の危機に直面している切迫した状況が伝わってきました。ヒットラーと和平交渉か徹底抗戦か、一歩間違えばナチスの支配下に置かれる瀕死の祖国。私たち観客は歴史上の結末を知っているだけに、チャーチルが支持する徹底抗戦に、当然のように軍配を上げていますが、実際に当時はどうだったのか、混乱渦巻く政治に緊迫感溢れる濃密な時間が過ぎていったことでしょう。そんな時代に連れて行ってもらった非日常の世界に、暫し時が経つのを忘れました。映画の詳しい感想は後日改めます。