Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 次なるイメージへ…
    次なる新作のイメージは、現行の作品が佳境を迎えている最中に出てきます。私の場合は上空から降ってくるような感覚です。陶彫による集合彫刻は、相変わらず30年も前に旅した地中海沿岸の古代都市の遺跡が原点になっていますが、印象が鮮明だった初期の作品と照らし合わせてみると、イメージが少しずつ変わってきています。廃墟となった都市をイメージしていることに変わりはありませんが、自分の中で積み重ねてきたカタチと、初期イメージとの間でズレが生じていることも確かです。次なる新作のイメージは今までの作品を発展させたもので、「発掘~層塔~」や「発掘~群塔~」の範疇に入るかもしれません。つまり、再び塔を作ろうとしているのです。先月「発掘~根景~」を作っている途中で、床から立ち上がっていく陶彫部品が出来つつあった時に、床置きの高く積んだ景観を主題にした作品がボンヤリと降ってきて、しかも複数の塔が根で繋がっていく状態をイメージしていました。そこにコトバによる思索はなく、カタチそのものが現れてきていたのです。今までも自作に纏わるコトバは後追いです。私は思索することが大好きですが、思索からカタチを導き出す作家ではないと自覚しています。まずはカタチありきなので、浮かんだイメージをすぐに具現化したい欲求に駆られます。自分の胸中に少しの間イメージを寝かせることもしますが、紙にエスキースはしません。場合によっては雛形を作ることもありますが、個々の部品の角度を求めたり、全体構造に工夫が必要な時にだけ雛形を作っています。次なる新作は現行作品の梱包が終わり次第、取り掛かろうと思っています。
    毎晩やっている梱包用木箱作り
    新作の撮影が終われば、多少なり時間的な余裕が生まれるだろうと期待していました。しかしながら、今年の作品は部品が多く、梱包は大変ではないかと思っていました。予想は的中し、陶彫部品を収めるための梱包用木箱をいったい幾つ作ればいいのか、見当がつきません。週末だけではやりきれないことが判明し、毎晩工房に通い、木箱作りを始めています。仕事から帰って、工房に行って木箱を作り、自宅に戻ってRECORDを制作、就寝前にパソコンに向かってNOTE(ブログ)を書く、こんな生活が続いています。昼間の仕事も決して楽ではなく、神経を使う場面も多くあるので、新作が完成した今でも骨が折れる仕事が待っています。現実逃避と言われようが、美術館や映画館に行きたいと常々願っていて、今後ストレスを溜めない方法を探らなければなりません。一難去ってまた一難といった塩梅です。素材が陶であるため、木箱は破損から守る目的で作っています。木箱用の板をどのくらいの厚みにするのか、今までもずっと考えてきて、陶彫部品が中に入ってもそれほど重くなく、外部の衝撃に耐えられる厚さがいいと思っています。木箱には釘を使います。その釘もどのくらいのサイズがいいのか、いろいろ試してきました。最後にガムテープで木箱全体を補強します。現在まで培った経験で木箱の大きさ、板の厚みを決めています。木箱はどんなに重くても2人で持ち上げられること、多少歪んでも壊れないこと、保存のために木箱を積み重ねて置くことがあるので、ある程度は頑丈にしておくこと、こんなことを考えながら作っています。ウィークディの夜は、RECORD制作やNOTE(ブログ)もあるので、木箱は1個ずつ作っています。週末にはまとめて作ろうと思います。
    「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」読み始める
    「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み始めました。イサム・ノグチは日系アメリカ人の彫刻家で、現代美術に大きな業績を残し、NOTE(ブログ)にも度々登場する巨匠です。先月末に関西に出張した折、私は松尾大社で重森三玲が作った庭園を見ました。古来から継承される日本庭園に現代的解釈を加えた重森三玲の世界観は、忽ち私を魅了し、そこの空間から離れ難くなりました。その時、ふと私の脳裏を過ったのはイサム・ノグチの彫刻群が置かれたストーンサークルでした。イサム・ノグチも庭園を設計しています。その「庭の芸術」の観点からイサム・ノグチの作品全般を論じている本書は、重森三玲の世界に通じ、実際に庭園に触れたことが契機になって読んでみようと思ったのでした。私は亡父が造園業を営んでいたおかげで、庭園に対する興味関心がありましたが、私にとって造園は複雑な分野でした。彫刻に目覚めた学生時代から造園を意識するようになりました。しかしながら、それ以前は家業を手伝うことに反発があり、野外での肉体労働を嫌々やっていました。庭石の据え方、植木の刈込み、植木の移動、芝の手入れ、その全てに父の指示を受け、複数の職人との協働作業を行っていました。庭園が完成した時は、多少なり労苦が報われた感覚を持ちましたが、そこに芸術的視野を持つことができずに、悶々としていました。私の彫刻が、場を空間演出するようになって、初めて亡父が求めていた造園の概念との一致を果たすことができたのでした。そこに重森三玲とイサム・ノグチが登場し、私の関心は一気に「庭の芸術」に傾きました。本書では、庭は「ノグチの考える、自然とか、彼の独特な風景論を解く、鍵のように思われたからだ。」とあって、西欧の彫刻概念とは異なる何かがノグチに空間志向を与えたのではないか、また自然と遊離した文明が喪失したものを、ノグチが感じ取り、庭に向かわせたのではないか、「優れた芸術家に必須の霊感が、ノグチにそう予感させ、何かを促したに違いない。」とありました。これだけでも本書は面白さを感じさせる書籍です。通勤の友として楽しみながら読んでいこうと思います。
    6月RECORDは「重」
    今年のRECORDは、画面全体に文様パターンを持ち込んでいます。6月は同じ大きさの円が6つ並ぶ画面を設定しました。その円内にモノが重なっている状態をイメージして、円のデザインと融合するような作品を目指しています。何かを重ねていく行為として、私には薄紙を一枚ずつ重ねていくイメージがあります。陶彫による集合彫刻を作る上でも、労働の蓄積というか、一気呵成に出来ない行為を、私は重んじていて、そうした行為によって成し遂げられる成果を、他者に鑑賞してもらいたいという欲求があるのです。これは私の感覚的なもので、労苦をひとつずつ重ねていくものでなければ表現行為として納得できないのです。個人的で勝手な思い込みにすぎませんが、これは自分の生真面目な性格によるものと考えています。このRECORDにしても毎晩時間を決めて制作しています。時に気分が乗らず、下書きだけで済ます日もありますが、それでも10年以上も日々欠かさず制作している状況を鑑みると、私には労働の蓄積を行っていくことが、実は苦痛ではないのではないかと感じているところがあります。日々自己表現を重ねる行為、これがまさにRECORDで、今月のテーマである「重」を体現しているとも言えます。今月も頑張っていきたいと思います。
    「アートと美学」読後感
    「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)は私にとって大変刺激的で面白い書籍でした。論文の細部に至るまで、自分の中に否応なく入ってきて、今までの自分の思考力を試されるような体験をしました。自己思考力は、かつて自分が親しんだ哲学書のボリュームによって力量を測ることが可能かもしれませんが、残念ながら私の思考力は覚束ないものばかりで、著者の言わんとしていることは理解できるものの、資料としている哲学そのものを知らないことが多くありました。哲学の祖であるソクラテスやプラトン、哲学の体系を成したカント、美学の創始者バウムガルテン、芸術哲学のヘーゲル、私には学問へ向かう基礎がないことを改めて自省しました。その中で著者はハイデッガーに拘り、あとがきにこんな一文を寄せていました。「皆目分からないのに、呪縛されたようにこの大著を手放すことができなくなってしまったのである。以降、私がやってきたことは今日まで、何とか少しでも『存在と時間』を理解したい、その一言に尽きるように思う。」これを読んだ時に、基礎学問の乏しい私は思わず膝を叩くほど嬉しくなってしまいました。ハイデッガー著「存在と時間」に私も噛りついたことがあったからです。内容は理解し難いことだらけ、でも何故か魅了されてしまう、重層な思考の襞に入り込めず、諦めることもできず、ずっと深みに嵌って思索を続けたい欲求に駆られてしまう、そんな不可思議な気持ち、これが私が素直に感じる「存在と時間」です。NOTE(ブログ)の2014年7月30日の読み始めから11月27日の読後感まで、「存在と時間」の細切れになった感想を載せていますが、私の力不足で主旨を踏まえたまとめにはなっていません。私には「存在と時間」の深層を理解できず、概案さえ掴めなかったのでした。そんなこともあって、私は勝手ながら「アートと美学」に親近感を覚えたのではないかと思っています。もう一度繰り返しますが、本書は私にとって大変刺激的で面白い書籍でした。