2018.06.20 Wednesday
私の地元である横浜美術館は、企画が優れている美術館のひとつだと予てより思っていました。今回も例外ではなく、人体のヌードに焦点を当てた企画に私は興味津々でした。この企画展は数か国を巡回する大規模なもので、英テート・コレクション所蔵の中でも屈指の作品が展示されていました。ヌードは西洋美術を語る上で重要な位置を与えられていて、また時代によっては論争を呼んだテーマでもあります。図録の中にこんな一文がありました。「既存のヌードの規範を再検証した《オリンピア》が与えた衝撃は、フランスでは、エドガー・ドガやピエール・ボナールが現代生活における女性の寝室の情景を描いた作品にも見られ、裸はアカデミックなヌードで表現するブルジョアの伝統ではなく、現代性や前衛を含意する価値体系となった。」(エマ・チェンバーズ著)「裸とヌード」という2つの表現概念が、古典的理想の前時代から現代に移行する上で根本的な変化を起こし、新たな創作への領域を切り開いて、現代に通じているようです。嘗てはポルノと見なされた裸体が、現代アートとして重要な主題のひとつになっているのは、私たち市民全体の価値転換が成せるものだろうと思います。私が本展で注目したのはやはりロダンの大理石による大作《接吻》でした。一室に単独で置かれた大作はエロティックでもあり、また絡んだ男女の美しさは見ている者を圧倒する迫力がありました。「ロダンは、拡大制作の際に付けられる星とり器の測定の痕跡である無数の小さな穴など作業の痕を残すことを好んだとされる。というのも、原型を忠実に拡大することは、時に彫刻本来のもつムーブメントを失うことがあると感じたロダンは、拡大のプロセスで幾度もの詳細な修正を行い、大型の像を完成に導いた。《接吻》に残された無数の痕跡もまた、身体の肉付けがいささか貧弱であると感じたロダンが、意識的に残したものと考えられている。」(長谷川珠緒著)彫刻制作においてロダンが実践した事情を知って、私は嬉しくなりました。塑造で作ったものをそのまま実材に移す時に、彫刻家は誰もが戸惑うことがあるのです。巨匠と言えども例外ではなかったことに、私は微笑んでいます。
2018.06.19 Tuesday
90歳を超えても現役で活躍する染色家柚木沙弥郎。先日、NHK番組の日曜美術館で紹介されていて、その制作風景を見た私は創作意欲が刺激されました。自由闊達で好奇心の塊のような作家は、床に敷いた大きな平面に抽象形態を描き、型紙を作っていました。映像には日本民藝館での個展の状況も流れていて、その雰囲気がとても良かったので、実際に行ってみようと家内と話していたのでした。民芸運動を牽引した柳宗悦の思想と、染色家であった芹沢銈介に弟子入りして技法を習得した柚木沙弥郎は、生命感のある模様と鮮明な色彩に溢れた作品を多く手がけていて、実物に出会えるのを楽しみにしていました。期待通りの生き生きしたデザインの布が壁に掛けられていたり、机上のガラスケースに収まっていて、生活の中で潤いを齎す造形が美しいと感じました。「模様は直観で捕らえられた本質的なもの」と言う柳宗悦の言葉通りの創作活動を展開した柚木沙弥郎は、無駄を取り去った模様のデザインと、遊びの要素が入り込んだデザインの要素が共存しているように思えました。日本民藝館に行った日が休日だったため、同館は鑑賞者で混雑していました。今まで何回も訪れた日本民藝館でしたが、こんなに混んでいることはなかったように思いました。柚木沙弥郎の世界が誰にも分かり易く、美しかったために多くの人を惹きつけているのだろうと思いました。とりわけ私は同館収蔵品の民族的な仮面と、柚木沙弥郎の布を併設展示した空間が好きでした。まさにプリミティヴの饗宴、ともに放射する光に私は時がたつのを暫し忘れました。
2018.06.18 Monday
先日、横須賀芸術劇場で開催された「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」へ行ってきました。往年の歌姫は現在74歳。会場を埋め尽くす観客も高齢者ばかりで、かく言う私も62歳です。今朝、大阪で大きな地震があったことを思うと、震災等の有事に見舞われた時に、私を含むこの大勢の人たちは速やかに避難できるのか、些か心配されるコンサートでした。彼女の歌うシャンソンやロシア民謡は、美声である必要はなく、寧ろ人生を積み重ねた深みが、声に表れていれば充分聴き応えのあるものになると、コンサートの最中に思いました。歌の魂はニーチェの言うディオニソス的情念であり、私の心に突き刺さる主張を持って迫ってくるのでした。数多い演目の中で私が注目したのは「今日は帰れない」というポーランドの歌でした。私が持っているアルバム「愛はすべてを赦す」に収録されている一曲で、ナチスと戦ったパルチザンのことを悲哀を籠めて歌ったものでした。パルチザンとは占領軍への抵抗運動を指す言葉です。その他にも有名な「リリー・マルレーン」も歌っていました。ドイツの大女優マレーネ・ディートリヒによって世界中に知れ渡った歌で、戦場で敵味方なく兵士に一時の癒しを齎せたエピソードは余りにも有名です。フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの歌も日本語歌詞で披露されていました。この時に初めて聴いて心に沁みたのは「遠い祖国」という中国ハルピンのことを歌ったものでした。加藤登紀子は大陸生まれで引揚者であったこと、帰国後に一家はロシア料理店を営んでいたこと等、ご自身の波乱に富んだ半生をも話されていて、この一曲に籠められた思いがよく伝わってきました。歌手や演奏家は、作り手であるなしに関わらず、自分の人生に重ね合わせて、その深みや主張を表現する者であらねばならないと、コンサートの幕が下りて私は強く感じました。私にとっては非日常の機会ではありましたが、心が充足する素晴らしいひと時が持てました。今も現役で活躍される往年の歌姫に感謝いたします。
2018.06.17 Sunday
梱包作業のリフレッシュのために適度に鑑賞の機会を入れています。今日も昨日に続き、午後は鑑賞を入れました。今朝は7時から工房に篭り、梱包用木箱に陶彫部品を収め始めました。作った木箱は9個。カットしたベニヤ板がなくなったので、これ以上木箱が作れず、ひとまず9個の梱包をやったのでした。全体の陶彫部品の3分の1くらいが木箱に収まりました。う~ん、木箱は20個では足りないかもしれません。来週のウィークディの仕事帰りに材木店に行って、ベニヤ板をカットしてもらおうと思っています。昼ごろになって、家内を誘って美術館巡りに出かけました。初めに行ったのは東京駒場の日本民藝館。私は久しぶりにここを訪れました。瀟洒な住宅街の中に、日本らしい蔵作りの民藝館がありました。ここは展示空間が素敵です。民藝運動を牽引した柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司らが求めたさまざまな民芸品が、蔵作りのモダンな展示室に置かれていて、気分が解放されます。今回はNHK番組で紹介された染色家の個展が開催されていたので鑑賞に訪れたのでした。「柚木沙弥郎の染色」展は、動物や植物の象徴化されたパターンから斬新な幾何抽象まで、布に染め上げた作品の色彩が美しく、とりわけ私が惹かれたのはアフリカやアジアの仮面と一緒に展示された布が、何とも不思議な調和を醸し出していたことでした。休日だったため、日本民藝館は混雑していて、図録も売れ切れていたことが残念でしたが、それでも感覚が刺激される瞬間が何度もありました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは横浜美術館でした。横浜は地元なので、自宅近くに戻ってきたわけですが、「ヌード展」を開催していて、これは必ず見ようと思っていました。イギリスのテート・コレクション所蔵作品のうち、人体のヌードばかりを集めた企画で、なかなか面白いテーマだなぁと思いました。ロダン等の力作も多く、見応えもありました。これも詳しい感想は後日改めます。今週末は自作の梱包作業と鑑賞を組み合わせて、充実した時間を過ごしました。
2018.06.16 Saturday
週末になって朝から工房に籠って梱包作業をやっていました。「発掘~角景~」のテーブルや柱の梱包が終わり、ウィークディの連夜やっていた木箱作りに着手しました。そろそろ木箱が揃ってきたので、明日くらいから木箱に陶彫部品を収めてみようかなと思っています。あとどのくらい木箱が必要なのか確かめたいと思っているのです。午後2時になって梱包作業を中断しました。夕方、歌手のコンサートを予約していたので、横須賀芸術劇場へ向いました。往年の歌姫と呼んでいいものか、彼女は私が子どもの頃から憧れていた歌手の一人でした。公演は「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」。家内は胡弓の演奏会があったので、コンサートには私一人で出かけました。歌手加藤登紀子は、当時流行していたアイドルとは一線を画していて、数々の歌の意味合いがわかったのは、私が大学生になってからでした。政治や人権を主題にしたものや、歴史上の背景を纏った歌詞が、若かった私を刺激しました。私より世代が一回り上の人たちは大学紛争を体験し、美術界でもダダイズムが席巻していたのでした。時代に遅れてやってきた私は、アングラ劇に熱中したり、ミニシアターに通いながら、閉塞感のある社会に中途半端に嘆く日々を送っていました。和製フォークソングも自分を吐露する上で共感を覚えた媒体でした。歌手加藤登紀子はそんな捉えの中で存在感を放っていました。私は大学を終え、ヨーロッパの美術学校に出かけました。そこで出会った東欧の共産主義体制に生きる人々や、自由を求めた学生運動とその弾圧を知って、自分の成育歴にはなかった空気を感じたのでした。加藤登紀子の歌には、あの頃自分が肌で感じたヨーロッパの匂いが漂っています。彼女が歌っているロシア民謡は、私がルーマニアの片田舎から鉄条網越しに垣間見たウクライナの風景を思い出すのです。日本に育った私にとって身近ではなかったはずの環境、5年間の滞欧生活によって脳裏にすり込まれた冷戦時代の暗い記憶、それらが音楽によって呼び覚まされるようです。現在は情緒として懐かしくもありますが、20代の当時は暗中模索の中で生きていました。コンサートの詳しい感想は後日改めます。