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  • 週末 13回目の個展搬入と展示
    東京銀座のギャラリーせいほうでの個展も今年で13回目になります。作品は常に新作なので、13回も個展をやっていても慣れることはありません。集合彫刻なので組み立てが上手くいくかどうか、展示作業が始まっても不安は抜けません。大きなテーブルが組立てられて、ようやく不安が減っていきます。今日は朝8時半に運搬業者が工房にやってきました。実際にトラックに乗っていく人は2人なのに、さらに2人が積み込みの手伝いに来ていました。こちらのスタッフは私を含めて6人でした。トラックを運転する2人と工房スタッフ6人の総勢8人で、ギャラリーせいほうにやってきました。到着した時間は午前10時。木箱から陶彫部品を全て取り出し、木箱を初め梱包材は業者の倉庫に預かってもらうことにしているのです。懇意にしている業者なので便宜を図ってくれるのです。スタッフ6人で大きなテーブルの組み立てから始めましたが、さっそく困難な問題に直面し、仕切り直しを考えました。スタッフの一人の機転でその問題は何とか解決し、その後は比較的にスムーズに運びました。途中でスタッフを連れて昼食に出かけました。例年使っているのは銀座ライオンです。新しいレストランが増える中で、銀座ライオンの古色蒼然とした店内の雰囲気と、昔からの味を守っている姿勢が大好きで、私はそこで定番のステーキを頬張るのです。若いスタッフたちも満足しているようで、この会食があって、やっと今年の個展が始まる実感がしてくるのです。展示準備は午後3時前に終えることが出来ました。頑張ってくれたスタッフに感謝です。スタッフの力があってこそ、可能になる展示だなぁと改めて思っています。仕上げの照明までスタッフ任せにしている私ですが、スタッフは全員が若いアーティストたちなので、自ら考えて動くことが定着しています。そんな助けがあって毎年実現できている個展です。明日は13回目のオープニング。私は朝からずっと個展会場にいる予定です。
    週末 個展搬入前の準備
    今日は酷暑でした。朝早く工房に行ったところ、既に気温は高くなっていて、作業の時間をどうしようか決めかねていました。今日やるべきことをやったら引き上げようと思いました。今日やるべきことは、個展終了時に返却されてくる作品をどこに置くべきか、その場所を確保することでした。先週からその場所を決めていて、今日は資料棚2台の移動と、過去の個展で作った図録の余り分の置き場所を決めることでした。過去の図録はロフトに上げることにしました。ダンボール数個に詰めてロフトに上がると、そこの気温は体温以上ではないかと思われるくらい熱気を孕んでいました。そこでダンボールの整理をすることは無理だなぁと判断して、ロフトの床の上に置くだけにしました。ロフトも荷物が増えて、結構狭くなってきていて身動きが取れない状態です。ロフトの整理は気候が涼しくなってきたらやろうと決めました。資料棚は工房の制作スペースに運びました。スチール棚にキャスターをつけていたので、比較的にスムーズに運べました。移動をし易くするために棚から資料を取り出して作業台に一時的に置きました。これを棚に戻すのは別日にしようと思います。先週はその場所に板材が捨ててあって、ジグゾーで小さく切断し、ゴミとして地域のゴミ集積所に運びました。今日は資料棚と過去の図録を移動して、そこに大きな空間を確保しました。これで搬出後の作品収納は何とかなりそうです。汗が噴出していてシャツを3枚替えました。汗が出ると身体は動き易くなり、水分を多めに取っているので熱中症を防ぐことは出来ますが、汗で身体が消耗して疲労が溜まります。明日の搬入本番に備えて、早めに引き上げることにしました。工房を出たのは午後3時。朝8時から作業しているので、結局いつも通り7時間は工房にいたことになりました。明日のことが気がかりなのか、大した疲労感も無く、夕方は自宅でゆっくり過ごしました。明日の搬入と展示が自分にとって、1年間の総まとめになるのです。楽しむ気持ちになれればいいのですが、毎年複雑な思いが交差しています。
    「経験の構造」を読み始める
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)を読み始めました。現象学の存在を知ったのは最近のことで、ハイデガーの大著「存在と時間」を読んでいた時に、登場してきた哲学のひとつが現象学でした。本書の前書きに現象学とは「モノとヒトの隙間に、ひとが思うよりはるかに精緻に分節化された空間があり、活動主体を巻き込む力が働いていることを示す。」とありました。また、「現象学の手法を正しく用いることによって身体やアート、政治などの問題に関して重大な洞察がえられる。」ともありました。この中に出てくるアートという語彙に敏感に反応してしまった私ですが、現象学にアートとの関係性を見取るのは、あながち間違いではなさそうです。私は何の準備もなく、いきなり大著に挑んでしまう悪癖が、若い頃からあり、挫折を繰り返してきました。ニーチェ然り、ハイデガー然り。この歳になると、大著を読んでいる途中で放棄しそうになる前に、平易な解説書を手に取り、そこから気持ちを持ちなおすことにしています。昔のように簡単に玉砕しないぞと思っているからです。それならば初めから手引きのような書籍を読んでみようと思った次第ですが、本書は決して平易ではなく、フッサールの思索を解釈する上で、かなり重厚な論理を展開しているような塩梅です。でも、面白そうです。フッサールの本陣に辿り着く前に、ここから攻めてみるのも良いかもしれません。果たして通勤の友として軽い気持ちで読めるかどうか、微妙なところですが…。
    「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」読後感
    「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。イサム・ノグチはNOTE(ブログ)に度々登場する私の大好きな巨匠です。本書で取り上げられている香川県牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館全体を俯瞰した記述や、東京青山の草月会館にある石舞台のような空間作品「天国」の考察は、何となく私が感じていることに確かな輪郭を与えてくれました。北海道のモエレ沼公園や米ニューヨークのノグチ財団の美術館に私はまだ行ったことがなく、想像で補うしかありませんが、それでもノグチ・ワールドの雰囲気は伝わってきました。ノグチの分野横断的な仕事を本書では次のように述べています。「抜群に造形力のある天才だから、さまざまなジャンルに、あれだけ跳梁跋扈した。何でもかでも、ノグチ流にねじ伏せてしまう。自家薬籠中ものに、さらりとしてしまう。苦労の手垢さえ、見せない。その人が、さらに手に入れたかたちにこだわらず、次に進むのに、拘泥せずに捨てようとするのだから、またすごい。行為を自然に投げ返す作業はつねにノグチの胸中にあった、礎だった。晩年の石彫を、『時間』の造形であると解釈する人は多いし、それに賛同する者でもあるのだが、自然とのキャッチボールという感触が私には強い。もっと簡単に、ノグチは、ひとつところにとどまること、流れや動きの停滞を、徹底的に嫌った。生涯においても、ものづくりにおいても。風こそが、ノグチの生涯と作品の、豊かな謎を解く鍵だ。そう、近頃とみに感じられる。」イサム・ノグチの作品は何とも言えない色艶があり、風のような爽やかさを感じさせ、しかも孤独です。そんな私が予てから持っていた印象に、本書は豊かな裏づけをしてくれました。
    図録が届いた日
    今年の個展用の図録が届きました。今年13回目の個展のため、図録も13冊目になります。私は東京銀座のギャラリーせいほうで49歳の時から個展をやらせていただいているので、あれから13年が経ち、現在62歳になりました。よくもまぁ、この歳まで大病もせず、個展を継続できたなぁと思うと同時に、目標とするところは切りのいい20回目かなぁと思っています。創作活動は人生の幕引きまでやりたいのが私の願望です。贅沢な図録を毎回作る理由は、幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、私の作品が集合彫刻なので、個展開催中しか作品の全貌が見せられないためです。個展が終われば分解して収納してしまうので、図録の画像だけが作品を示せる唯一の方法なのです。写真に収めておくことは、自作が面倒な彫刻形態である以上、絶対に必要なことです。もうひとつ、図録は写真のもつ光陰の美しさが表れてきます。野外で撮影するのも外光が降り注ぐ効果を最大限に生かしたいからです。彫刻は野外に置くことで、彫刻の彫刻たる存在が示せるものだと私は考えています。ただし、恒久的に野外に置くことは木彫には不向きです。そこで少なくても図録撮影の時だけは野外に置いて、彫刻の存在を確かめてみたいのです。図録も出来上がり、後は本番の搬入を待つばかり。いよいよ個展が迫ってきました。