2015.02.22 Sunday
今日は朝から夕方まで7時間を制作に充てました。昨日用意しておいた畳大タタラ6枚を使って成形4点、続いて小さな成形を5点作りました。彫り込み加飾は大きな作品1点。一日でやり得る限界の制作量でしたが、今日は午後になって家内が手伝いに来てくれました。家内は乾燥した成形部品にヤスリがけをする仕上げ作業を3点やってくれたおかげで、今日一日で進んだ作品は通算13点になりました。これは驚異的な制作量で、サポート付き制作の有り難さにホッとします。「発掘~群塔~」の成形部品は残すところ6点、そのうち大きなものは3点、小さなものが3点になります。「発掘~丘陵~」の成形部品は残すところ20点、これは全て小さなものばかりです。これでも間に合うかどうか予断を許さないところですが、休まず焦らずやっていこうと思います。陶彫に関してはまさに佳境を迎えている制作状況ですが、木彫にはまだ手をつけていないので、常に心配はあります。来月早々には木彫をやりたいと考えていますが、今月もあと1週間となり、毎晩工房に出かけても陶彫が終わることはありません。ともかく頑張るしかないので、粘り強く取り組みたいと思っています。
2015.02.21 Saturday
昨夜から三浦半島に管理職の宿泊研修に出かけていました。自分は工房での制作があるので、一足先に横浜に帰ってきました。管理職同士で日頃の鬱憤を話し合うのは楽しいと感じましたが、気疲れもあって、早めに帰っても午前中は制作に打ち込むことが出来ませんでした。精神的な創作活動は今日のところは無理と思って、土錬機を回して土練りを行いました。身体を使う作業の方が神経を使わずに済むからです。疲労を感じるのは何も宿泊研修だけではなく、三寒四温の気候のせいもあると思います。ともかく身体が重いと感じました。土練りの後、彫り込み加飾をやりましたが、今ひとつ作業に乗り切れず、今日は夕方早めに作業を切り上げました。明日はもう少し緊張を持って制作したいと思っています。
2015.02.20 Friday
先日見に行った映画「パーソナルソング」の印象に囚われていて、自分のパーソナルソングは何だろうと考えています。介護施設に入所している母は定期的に介護施設の近隣にある病院にかかっていて、車椅子に乗って出かけます。介護は家内がやってくれていますが、家内が母にパーソナルソングを尋ねたら「美空ひばり」という返答があったと言っていました。確かに母はカラオケで「美空ひばり」の唄をよく歌いますが、母に学生の頃を思い出させるのは、もう少し古い音楽ではないかと思います。母は川崎市にある中原高等女学校(現大西学園)に通っていました。そんな当時のことをふと思いだして楽しそうに母は家内に学生時代のことを話したそうで、それでパーソナルソングのことが頭を過ぎったのでした。母が女学生だった時代、当時流行っていた音楽、母が聴いていたであろう曲目、そんな忘れ去られた音楽を発掘し、母に聴かせてみたいと思っています。
2015.02.19 Thursday
私は10年以上水泳を続けていて、ひと頃はマスターズの大会にも出場していました。夜に仕事から帰って、近隣にあるスポーツ施設で1時間ほど泳いでいました。少し前は週に1~3回がちょうどよいペースでしたが、ここ数ヶ月は隔週土曜日に水泳に行く程度で、泳力は確実に落ちています。数年前に通勤途中で雪に足を取られ、腰を強く打ちました。その痛みが退くまで水泳が出来ませんでした。その後、足がつったり、肩が痛かったりで満足に泳げていません。最近はどうやら五十肩で左腕が回らず、とりわけ両手を水面に上げるバタフライは激痛が走ります。土曜日に行くのはリハビリ程度の泳ぎしか出来ませんが、それでも腹筋や背筋が鍛えられるので、時間を作って可能な限り水泳に行くようにしています。自分は現状のままではいけないと思っていて、理想とするスポーツ環境を定年までにじっくり作り上げようとしています。定年になればランニングや自転車もやりたいと思っていて、身体や体力と相談しながら、泳ぐ・漕ぐ・走る連動作に挑戦したいのです。つまりトライアスロンが自分の理想とするスポーツで、果たして可能かどうかわかりませんが、夢だけは持ち続けたいと思っているところです。
2015.02.18 Wednesday
受験デッサンを始めた高校生の頃、自分にデッサンの指導をしてくださった画家の先生から「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」と言われたコトバが気になって、それがデッサンの極意とも取れて自分の脳裏に焼き付いてしまいました。部分に拘るばかりに全体の調和が取れず、また全体ばかりを追いかけていると、部分が疎かになるというもので、今でもその極意は生きていると思っています。絵画表現は全体と部分の関係を見るのが容易で、一筆ごとに画面から離れて、全体を見回すことが出来ます。鑑賞者はまず全体を見て、その印象に感銘を受け、そして部分に眼を凝らして、その卓越した表現を味わうものだろうと自分は考えています。全体が緊張感をもって統一されている作品は秀作です。私が試みている集合彫刻は、部分を作って集合させていくもので、発想段階での全体感はあっても、実際の作業で全体が見えてくることがありません。最終的な制作工程になって漸く「森」が現れるのです。どんな「森」が組み立てられていくのか、自分の当初のイメージに近づいているのか、自分の計算と予想とが入り交じって毎回複雑な思いの全体構造になっていくのです。今夏発表する作品の「森」はまだ見えていません。毎年不安に駆られながら、豊かな「森」を目指して弛まず制作を続けています。