2015.02.12 Thursday
「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)の上巻を読み終えました。上巻は第一部・第二部・第三部から成るもので、下巻は第四部・第五部・第六部から成っているようです。第一部・第二部のまとめを先日NOTE(ブログ)に書きましたので、今回はその後に続くラスコーリニコフの持論が展開される場面を取り上げたいと思います。「ぼくの結論は、偉人はもとより、ほんのわずかでも人並みを出ている人々はみな、つまりほんのちょっぴりでも何か新しいことを言う能力のある者はみな、そうした生れつきによって、程度の差はあるにせよ、ぜったいに犯罪者たることをまぬがれないのだ、ということです。」ラスコーリニコフが雑誌に発表した犯罪論を巡り、予審判事ポリフィーリと殺人における論理戦を交える箇所で、ラスコーリニコフが殺人を肯定しているような危うい展開があります。それに続く「人間は自然の法則によって二つの層に大別されるということです。つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような子供を生むことだけをしごとにしているいわば材料であり、それから本来の人間、つまり自分の環境の中で新しい言葉を発言する天分か才能をもっている人々です。」というラスコーリニコフの台詞は、独自の観察から人間を二つに分けて、選ばれし非凡な支配者は従来の法を乗りこえるという独自の論理で、これが実際にあった殺人と絡まって、今後どのようなドラマが紡ぎ出されていくのか楽しみです。「罪と罰」は当時のロシアが抱えていた社会事情をも念頭に入れて読んでいこうと思います。
2015.02.11 Wednesday
「発掘~丘陵~」の陶彫部品である円柱の彫り込み加飾は毎晩1点ずつ仕上げていますが、「発掘~群塔~」の陶彫部品の彫り込み加飾は進んでおらず、成形しただけの作品が増えてきてしまいました。これから残り8点の成形をしなければならないのですが、成形を終わって彫り込み加飾をやらなければならない作品も6点あって、陶土の乾燥を考えると、成形だけの作品に今後は時間を取って彫り込み加飾をやろうと決めました。成形が終わる毎に作品に水を吹きかけてビニールで覆っていますが、やはり長く放置しておくと表面の乾燥が進み、彫り込み加飾ができなくなります。陶彫は土練機を回して配合陶土を作り、畳大のタタラを作って、それをビニールで包んで一昼夜、次にタタラと紐で成形を行って、それをビニールで覆って、せいぜい1週間、それから彫り込み加飾を施して乾燥させる工程があります。次から次へとサイクルを作って、陶彫部品毎に段階を追って作業をやっていきますが、乾燥を睨みながら進める作業なので、途中で長い休みを取ることが出来ません。週末毎にやってくる必須の作業。身体に鞭打ってやっている自分を見て家内は感心していますが、こればかりは仕方がないことだと思っています。彫り込み加飾は時間がかかり、今日のところは朝から夜8時まで作り続け僅か2点出来ただけという結果でした。
2015.02.10 Tuesday
先日、東京府中にある府中市美術館で開催中の「小山田二郎展」に行ってきました。画家小山田二郎は私の母校の前身である学校に学んでいます。私の亡父が戦前や戦時中に通信士として働いていて、吉祥寺にあるその美術学校の隣の施設にいたと聞いたことがあります。学校はボロボロの木造校舎で汚い白衣を着た画学生と野球をやったと父は言っていました。小山田二郎は年代的にはその校舎で学んでいたのかなぁと思っています。小山田二郎の独特な絵画は、自分が学生だった頃に見た覚えがあります。自分が漸くシュルレアリスムを知った頃で、評論家瀧口修造の書籍も読み始めていました。今回の展覧会で「鳥女」の油絵シリーズから受けた不思議な感覚が甦ってきました。社会風刺や畸形な風貌が描かれる世界観は、作家本人が先天性ウェーバー氏病で顔に痣があることも影響しているように思えます。しかし、どこかしらチャーミングな絵画は、収集家にとって魅力的なものだったようです。今見ても独特な人物像は楽しく怖ろしく、また刺激的な構成要素をもっていると展覧会を見て改めて感じました。
2015.02.09 Monday
先日、家内と橫浜にあるミニシアターに行きました。家内が友人から評判を聞いてきて、どうしてもこの映画を見てみたいというので「パーソナルソング」を鑑賞しました。これは認知症やアルツハイマー病で施設に収容されている高齢者に、昔好きだった音楽を聴かせることで、若かりし頃の記憶を取り戻させ、生きる希望を与えるドキュメンタリーです。「1000ドルの薬より、1曲の音楽を!」というフレーズが示す通り、ソーシャル・ワーカーのダン・コーエンによって、自分の身内や名前すら忘れてしまった94歳の黒人男性にiPodで音楽を聴かせることで、劇的に変わる反応を映像に収めたシーンがあります。次々に試される患者と音楽の効果に、映画を見ている私たちはどんどん引き込まれていきました。「抗精神病薬は灯りを消すことはできるが、灯すことはできない。音楽は患者の心に生命の灯りを灯すことができる。」という医師の言葉が、この映画全体の意義を裏付けています。マイケル・ロサト=ベネット監督は、常に患者やコーエンに寄り添って、決して押し付けがましくならないシンプルな映像を提供しています。そこに私たち観客が共感を覚える要素があると感じました。家内は介護施設に和楽器の演奏によく出かけます。選曲のヒントをこの映画から得たようです。ただし、日本は集団音楽療法がまだ一般的で、個人音楽療法への道をこの映画が開いてくれているとパンフレットの解説にありました。自分にとってのパーソナルソングは何だろうと映画館を後にして考えてしまいました。
2015.02.08 Sunday
介護施設に入居している母は賃貸住宅をもっていて、その収益で施設での生活が成り立っています。祖父母や父が残してくれた僅かばかりの賃貸住宅が母の生活や心の支えです。そんな実家にはずっと前から税理士が出入りしていて、税務関係のことを一切賄ってくれています。母が去年4月に介護施設に入居したため、担当税理士が我が家に来ました。母の医療やその他の必要経費を差し引いた申告書を作って税務署に届けてくれます。私に時間的余裕がないため、母の実家のことは全て税理士にお任せしています。今日の表題で誤解が生じるとすれば、私の作品に対して税理士がいるわけではないことを言わなければなりません。私の作品が売れに売れて税理士が必要となる日がくるとすれば、それはそれで大変幸せで、自分は有頂天になってしまうでしょう。彫刻をやっている以上は一生適わない夢かもしれませんが…。公務員として稼いだ金銭を彫刻に費やす生活、これが私の紛れのない現実です。税理士との打ち合わせが終わって、私は今のところ納税とは縁のない創作活動に戻りました。昨日タタラにしておいた陶土の成形4点を行いました。版画の試し刷りもあったのですが、今日のところは手漉き和紙を湿すことにして明日の夜に刷ってみようかと思います。学生の頃から比べると版画には慎重になっています。もちろん陶彫の塑造にも昔より慎重になっていて、学生時代はどうしてあんなに雑多で無駄が多かったのか、自分でも信じられないことばかりですが、当時は勉強を始めたばかりで、勢いだけで乗り切っていた感もあります。版木や粘土を前にして30数年前と同じことをやっている自分がいて、これを幸福と言ってもいいのでしょうか。求める世界観はあまり進歩しているとは思えませんが…。