2015.01.23 Friday
今週は週2回の窯入れを行っています。日曜日の制作が終わった後の時間に窯入れをすると、水曜日に窯出しができます。引き続き水曜日の帰宅後の夜に窯入れをして、土曜日の制作前に窯出しをするという、制作サイクルならず焼成サイクルを実践しています。これが回り始めると次から次へと焼成が終わるのですが、ただし放置してある作品の乾燥に時間がかかるため、窯に入れる作品が間に合わないことがあって、焼成サイクルは制作サイクルほど上手く回りません。週末の制作サイクルとウィークディの焼成サイクルが噛み合うと、陶彫は忽ち出来上がってくるのですが、今まで上手くいった試しがなく、これは仕方がないところです。このNOTE(ブログ)を書いている時点では上手くいっているので、出勤前に毎朝工房に立ち寄って窯の温度を確認しています。私は朝6時半頃に自宅を出ますが、バス停留所までちょっと遠回りをして工房に寄ります。窯がどのくらいの温度を示しているのか確認するだけで幸せな気分になれるのです。
2015.01.22 Thursday
昨日まで読んでいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)は、自分に創作の原点を思い起こさせるのに充分な説得力があって、書簡ひとつひとつのやりとりにリアルな重さを感じずにはいられませんでした。1980年代、私もオーストリアの首都ウィーンで小さな彫刻や日本の墨によるドローイングを試みていました。何点か作品が売れたこともありましたが、生活費を稼ぐため観光ガイドや日本食料品店の棚卸しのアルバイトをやっていました。本書で描かれている保田春彦先生の生活実態と似た自分がいて、何か鬱々とした気分の中で、自分のオリジナルを探し求めていました。ニーズのないモノを作っていることに自己生存価値を問うことも屡々ありました。ただ保田先生のように、同業で視野の広い親の存在が自分にはなかったので、本書を読むと雲上の羨望がつき纏いますが、これとて自分には独歩の気儘さがあって、多少の遠回りはしたけれども現在も彫刻を作り続けているのは幸いとしか言いようがありません。外国での自分の生活は人に恥ずかしくて言えるものではなく、アルバイトがない時は、学校へも行かず散歩ばかりしていました。そういう意味では保田先生は家族を抱えて、時間を見つけては彫刻に打ち込む姿勢があって尊敬に値します。自分は異文化気分の怠惰な中で、それでも今日に繋がる創作の糸口を見つけ、カタチの熟成があったことが今でも信じられないほどです。若い頃は漠然と暇を貪り、今は二足の草鞋生活で多忙を極めています。それが運命だったのかと今更になって思うこの頃です。
2015.01.21 Wednesday
「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。遅々として進まなかった書籍を、仕事の合間を縫って畳み込むように読んでしまいました。本書の最後に美術評論家酒井忠康氏による解題がありました。それによると「父龍門が、自分もまた息子と似たような人生を生きたことに対する苦い思いを縷々手紙に記している。そういう理由から、わたしは『芸術の道を選んだ息子に宿命の印を押して突き放している』と書いたけれども、息子春彦は西洋文明・文化への情景と畏敬の念をつよく懐いて渡航の途についたことにかわりない。」という箇所があり、父子共にそれぞれの時代の西欧に学んだ様子が、具体的に些細な部分も疎かにせず、しかも克明に描かれていました。また、「本書は、親子『ないしは身内の者同士』の心くばりの通信をたばねた書簡集である。したがって第三者的な視点に立つばあいにも、どこか言葉の端々に親子がたがいにわが身に照らして語る自省の意識を感じさせるものがある。父子ともども直言の人であるのにかわりないが、わたしには人生という盤面を挟んで二人が最善手を探し求めて指している一種の棋士のように映ってもいた。求道者の横顔をみたといってもいい。」という一文は親子でなければわからないところがある反面、創作に打ち込む上で、一貫して凛とした姿勢が見て取れて、思わず襟を正したいと感じたところも少なからずありました。これは環境的にも教育的にも特異な書籍と言っても過言ではなく、自分に忘れることができないほど強烈な印象を残しています。
2015.01.20 Tuesday
週末は制作工程に追われていて美術館に行けないことがあります。それでも見たい展覧会がある時は、金曜の夜間延長時間帯に行くようにしています。先週金曜日に勤務時間が終わった後で東京竹橋まで出かけ、国立近代美術館で開催中の「高松次郎ミステリーズ」展を見てきました。昨年、「赤瀬川原平の芸術論展」を千葉市美術館に見に行った際、赤瀬川氏と同時期に活躍した前衛芸術家の展覧会をどうしても見ておかなくてはならないと思ったのでした。1960年代に立ち上げた「ハイレッド・センター」は「ハイ」(高松)「レッド}(赤瀬川)「センター」(中西夏之)という3人で構成された前衛集団でした。故高松次郎は人間の認識を問いかけた作品で知られた作家です。本人は「人間は結局、自分の外にあるものごとを十全に捉えることはできない。ものごとは人間の偏った認識によって汚されている。」と語っていて、その延長線上に有名な「影№273」や遠近法を問題視した「遠近法の椅子とテーブル」があります。「影を『影だけを』人工的に作ることによって、ぼくはまず、この実体の世界の消却から始めました。『それはあくまでも消却=不在化であって超越ではありません。』この世界の中で『完璧性』を追求するために、それは最も素朴でストレートな方法だろうと思います。」次に図録解説による影と遠近法の関係性について書かれた箇所を引用します。「絵画の線遠近法の場合、地平線上の消失点に近く、キャンバス面から遠いほど、モノは小さく描かれます。~略~しかし影の場合はどうでしょう。~略~反対に光源から遠く、キャンバス面に近いほど、ものの影は小さく『というより等物大に』なります。このように、絵画の遠近法のたとえをあてはめてみる時、影は逆遠近法的な性質を持っているということができます。」昨年よりモノの存在を考えている自分にとっては面白い展覧会でした。
2015.01.19 Monday
「今日の世界各地の青年層の彫刻が、在来のモチーヴを拒否し、素材を鉄骨や屑物や、極めて広汎に自由に駆使する面白さもある点まで解る。翻って、裸婦や人物像が今迄通りに繰り返へされてゐては、鼻むけもならぬ気持も解る。中世を求め、推古白鳳に漸く足がかりを見出そうする僕等の世界からは、何といふ大胆さと自由さであらう。~略~素描の自由さと量感の豊満さは、彫刻の限られた技法の制約により解放されてゐるのは、一層喜びである。望んでゐまいが、作品の中で、僕は、或は城壁を見、聖堂の壁面を見、ウッチェロの『戦争』を思い出させ、何か君(春彦氏)の滞在の見学が、かうした形で昇華するのかと頼もしくなる。非象の中の具象…妙な言葉だが、僕にはその道は、人類の過去の芸術行程と握手する新しい行き方だと見てゐる。」(1962年10月23日 保田龍門)とあるのは現在読んでいる「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)の中のコトバです。本書は彫刻家親子のそれぞれの環境や思索をやりとりした書簡であって、具象彫刻を全うする父から、抽象彫刻で活躍を始めた子への愛情溢れる批評とも感じられます。1960年代の彫刻の動向を世界規模で語る龍門氏のコトバに、自分は感銘を受けました。同業である父のコトバは、自分には雲上の羨望でもあり、また父の掌中で苦闘する春彦氏の並々ならぬ事情が飲み込めてきたように思えます。