2014.12.29 Monday
NOTE(ブログ)は日記としての役割があるので、制作工程だけではなく日常生活の面でも、その日にやったことは書き留めておくようにしています。自分にしか役立たない日記を公開しているわけですが、他に記録する手段がないのでご容赦願います。年賀状の宛名印刷なんてどうでもよいことですが、敢えてアップしたいと思います。年賀状はご無沙汰している人に挨拶を送ることができる有効な儀礼だと考えています。最近一般的になった家族写真の入った年賀状を作ったことは一度もありません。顔写真がどうしても好きになれないのです。このホームページにも自分のポートレイトは掲載していません。年賀状の画像はRECORDから取ります。今年は11月分の中から羊の絵をトレースして印刷しました。昨年は自宅のプリンターで印刷しましたが、今年は業者にお願いしました。宛名印刷は自分の気分として例年元旦にやっていて、そのせいか年賀状が届くのはずっと後になってしまいます。今年は業者に画像印刷を依頼したので、多少早く宛名印刷ができました。印刷枚数は250枚。次第に知り合いが増えてきて250枚でも足りなくなっています。昼は工房に行っているせいか、夜の自宅ではぐったりしていて、年末の慌しさに一日があっという間に過ぎていきます。
2014.12.28 Sunday
休庁期間に入って2日が過ぎました。工房は朝9時から夕方4時まで、時間を決めて制作をやっています。余力を残して作業を終わります。継続させるために自分の中でペースを作っているのです。現在は美術系の大学院生2人が、自分と同じペースでそれぞれの制作に挑んでいます。大作に向かう心構えは長距離ランナーに似て、途中で息切れしないように常にマイペースでやっていくのが得策と思っています。自分はこうした作業が得意です。逆に一気呵成に作り上げることが苦手です。ペースが定まると元気になってきます。昨日のNOTE(ブログ)に書きましたが、陶彫部品がひとつずつ終わっていく度に、ちょい休憩という褒美を与えて、また作業を再開しています。こんなペース配分で緩やかにやっていきたいと思いますが、全体が出来上がってくると、ずっとこのペースではやっていけません。全体構成を眺めることによって不足な箇所や不満な箇所が気にかかり、追加制作ややり直しを考えます。そうなると制作工程は一気に緊張を孕んできます。次第に常軌を逸してくるのです。内面を突き詰めていく過程ではペース配分など無意味になります。例年そんな時がやってきて作品は完成に近づくのです。今は時期的にまだそこまでいきません。ペース配分を考えながら休庁期間を過ごしたいと思います。
2014.12.27 Saturday
今日は自宅にテレビ・パソコンのケーブル追加工事が入る関係で朝のうちにNOTE(ブログ)のアップをいたします。今日から9日間の休庁期間に入ります。長丁場の制作は、日々の時間帯を決めて、多少ゆとりをもって切り上げるのが有効です。そこで一日の作業時間を朝9時から夕方4時までとします。集中できる時間はせいぜい6時間か7時間くらいで、そのうち精神が研ぎ澄まされる時間は2時間くらいかなぁと見積もっています。一日ごとに小さな目標を決めておいて、ひとつずつクリアしていき、そのつど達成感を得るのが自己高揚にも繋がると考えています。ひたすら努力に努力を重ねていく意識は、自分にとっては得策ではありません。自分に褒美を与えながら気分をコントロールしていくのが、強靱な精神力を持たない自分にはちょうどいいのです。今日は午前に成形、午後に彫り込み加飾を行う予定でいます。休庁期間の初日である今日の作業具合を基準にして今後も続けることになるでしょう。今回の休庁期間には中国籍のアーティストが工房にやって来ています。彼女も大学院修了制作に向けて、自分と歩調を合わせて制作をやっていく予定です。大作に挑むには、それなりの覚悟とそれを具現化していくペース配分が必要で、彼女はそうした心構えをここで学ぼうとしているのです。思えば昨年は芸大大学院受験のために別の子が工房に来ていました。若いアーティストが来てくれるのは社会的促進が図れて自分には好都合です。今日から頑張りたいと思います。
2014.12.26 Friday
家内が胡弓や三味線演奏で「○○さんは一所懸命なので漸く技巧が身について上手くなってきた」とか「私もやっと余裕が生まれてきた」と言っています。演奏や歌唱はそのつど技巧を習い、練習を繰り返して、漸く人前で演奏できるようになるものだと思っています。聴くに堪えないと言うのは練習が不完全であることを意味し、また逆に演奏に余裕があるのは場数というか、精神的な慣れによるもので、そこに強弱や抑揚という楽想が生まれます。聴く快さはそこから現れてきます。美術の世界でも同じではないかと思うことがあります。創作行為が楽器演奏と異なるところは、慣れが必ずしも感動を生むモノではなく、寧ろ拙い技法でも表現したい思いが強烈に伝わるような精神性を感じると、鑑賞者の心を捉えるところです。それを承知の上で、絵の具や素材を思うように扱える技量を作品から感じられると、その表現の深さに眼が奪われます。習うより慣れろというのは、ただ慣れるだけではなく、主張する内容がそれに見合っていることで、完全燃焼する作品世界が生まれることを言うのではないかと思います。「技量は内容を語る」という台詞は自分が学生の頃に先輩が言っていたコトバです。今になって思い出したツボに落ちるコトバのひとつだと認識しています。
2014.12.25 Thursday
今日はクリスマス(聖夜)です。イエス・キリストが生まれた日で、キリスト教徒にとっては重要な日です。30年以上も前にヨーロッパで過ごした聖夜は今もなお自分の印象に残っていて、かつてNOTE(ブログ)にも書きましたが、オーストリアやルーマニアで迎えた聖夜は忘れられない思い出です。自分がキリスト教徒でなくても、十字架という宗教的象徴に向き合い、一途に祈りを捧げる人々の姿に感動を覚えました。イエスの誕生を祝う礼拝の荘厳さは、異教徒であってもその真摯な姿勢に襟を正すこともありました。そんな印象から一転して、日本のクリスマスの光景は宗教性とは関係なくショービジネスのようになっています。これも日本の文化なのかもしれません。5年間に及ぶヨーロッパ生活から帰国した時に、日本のクリスマスの光景を見て唖然とした自分でしたが、今は肯定的に考えていて、イルミネーションが輝く夢のような世界を演出するのも案外いいものだなぁと思うようになりました。日本人が快く感じる文化、お互いのコミュニケーションがとれる場面があれば、どんなものでも良しとしている自分がいるのです。震災の影響なのか、人間関係の絆を探るためなのか、人が集い、夢に思いを託す瞬間があってもいいと自分は思っています。ヨーロッパと違い、日本人にとってクリスマスは単なる年間行事の一部です。同じ意味でも聖夜は日本語表記で、クリスマスは外国語のカタカナ表記ですが、宗教に裏づけされたヨーロッパでは聖夜と呼ぶに相応しく、夢を演出する日本ではクリスマスと呼びたい気持ちになります。コトバに微妙なニュアンスの違いがあるように思えます。