2014.12.19 Friday
自宅の書棚には学生時代に放り投げてしまった書籍が数多くあり、この年齢になって漸く再読を始めている次第です。O・シュペングラー、A・ブルトン等の書籍に混じってロシア文学も書棚にあります。旧ソ連で20世紀初頭に興った構成主義に、若い頃自分は注目していました。表現主義とともにロシア構成主義に傾倒していたので、どうやら自分は北方民族文化に憧れる傾向があるのかもしれないと思っています。当時オペラ歌手の叔父がムソルグスキー作曲「ボリス・ゴドノフ」に出演したこともあって、ロシア文学を囓ってみようという意欲も持っていました。そこで読み始めた「罪と罰」でしたが、分厚い書籍の前で辟易して途中で止めてしまいました。貧困に喘ぐ学生が罪を犯して自己を問うという雑駁な導入部だけの記憶しかありません。これから「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)の再読を始めます。動機としては自宅に眠っている名作の再チャレンジで、名作の名作たる所以を知りたいと願うところです。先月まで奮闘していた哲学書ほど難解な語彙に悩むことはないと思いますが、偉大な文学を紐解くことで読破には時間がかかりそうです。年末の通勤の友にしていきたいと思います。
2014.12.18 Thursday
「父が消えた」(尾辻克彦著 河出書房新社)を読み終えました。著者の尾辻克彦(赤瀬川原平)という人は、視るということ、視点を微妙に変えることに相当長けた人だと思いました。文章描写が赤瀬川流の劇画描写に似ています。もちろん同一人物だから当たり前ですが、ちょっとした気配や人間の心理を、平易なコトバにして何でもないようにして書いた世界に自分はつい引き込まれてしまいます。「赤瀬川原平の芸術原論展」で見た劇画原稿「お座敷」は、四畳半くらいの部屋に古風な女性がいて、そこに兵士が現れて、いろいろ絡むうちに、その縁の下に不思議な生物が棲息していて、その妙な取り合わせが不思議な物語を紡ぐものでした。その情景にあった昭和の古色蒼然とした写実に、荒唐無稽な生命体が蠢く物語を、その感覚のまま文章に代えただけなのが、作家尾辻克彦の著作なのです。自分自身が鄙びた過去に連れ戻されるような錯覚の中で、突如シュールな発想に転換されるところが、湿っぽい日本の下町風情を纏いつつ、実はこれは価値転換を図った芸術なのではないかと自分は考えています。ここで描かれる下町風情に哀しみが滲みます。何とも言いようのない空虚も感じます。文体はゆるキャラですが、こうした着眼点はカミソリのような切れをもつ才覚を示すものではないかと思うのです。ともかく読書を楽しみながら、ちょっと異次元な自分になれる不思議な書籍だと思いました。
2014.12.17 Wednesday
今月のRECORDのテーマは「甲冑が浮遊する場所」にしました。甲冑は戦国時代に武士が身に纏った武具ですが、あまりそうした具象性に拘らず、鈍い光沢を放つ装飾を削ぎ落とした鎧のようなイメージが浮かんでいます。今年のRECORDは文章で表したテーマを掲げてやってきました。年間を通じて魑魅魍魎が跋扈するイメージが多く、爽やかな絵柄はついに現れなかった記憶があります。職場で重責を担う立場になったためか、内面に向かう思考が続いたためか、原因は自分にもわかりませんが、今年は寧ろプラス思考で過ごしたのではないかと自分では思っています。重責とは言いながら今は自分の主張が通る心地よさがあります。内面を見つめていたのは自己を振り返って足元を固めたい意向があったためで、多くの哲学書に親しみました。「甲冑が浮遊する場所」はふと湧いたコトバです。身を守る甲冑がフワリと浮くイメージは現在の自分の象徴なのかもしれません。肩肘を張らずに自然体で仕事が出来れば最高です。今年の締め括りとして、このテーマで頑張っていこうと思います。
2014.12.16 Tuesday
先日、橫浜にあるミニシアターに家内と行ってきました。上映されていたのは、ハンガリーの亡命作家アゴタ・クリストフによる「悪童日記」で、以前から観たいと思っていた映画でした。アゴタ・クリストフはハンガリー動乱の時に亡命し、スイスを経てフランスに渡りました。敵国であったフランスに身を寄せて、フランス語による小説を書き始め、この「悪童日記」によって一躍有名になったようです。「僕らは書き記す。この眼に映る、真実だけを。」というキャッチフレーズが物語るように、双子の少年たちが戦争中の壮絶な日常を書き綴った日記が物語の中心になっています。双子の兄弟はハンガリーの片田舎で暮らす祖母宅に預けられます。そこでは過酷な労働が待っていますが、双子は逞しく生きるため自分たちを鍛え上げていきます。盗人や殺人さえも真実と思えば実行する、そこに中途半端な情念はありません。双子がまだ年端もいかない子どもと思えるのは、優しくしてくれれば友人と思う近視眼的な周囲によって描かれています。一方大人たちは社会的な視野で、時に裏切る行為もあるわけですが、双子には通用しない理屈もあって、それは両親と言えども同じ尺度で考えているのです。親の屍を平然と乗り越えていく彼らの強さは一体何でしょうか。そうした意味で双子は純粋とも思える生き様を晒していくのです。亡命作家であるアゴタ・クリストフはここで何を言いたかったのか、戦争に翻弄された人々から見て取る人生観とは何か、見終わった後、静かな感動が込み上げてきたのは自分だけではないと思います。
2014.12.15 Monday
真冬になると朝早く起きるのが辛くなります。例年のことですが、起床する6時はまだ夜明け前で、カーテンを開けると外の景色はまだ暗いのです。仕事上の立場が変わっても、早朝に出勤することに変わりありません。春眠暁を覚えずにいられるのは定年にならなければ無理かもしれません。いや、定年になれば自分は創作に燃えて、もっと早く活動することになるかもしれず、意欲が漲って、おちおち寝てもいられないように思えます。と言うのは週末の制作は自分の身体に負担を強いているからです。週末はこんなふうにして燃え尽きてしまうので、勤務が始まる月曜日は身体中の筋肉が痛みます。朝になると仕事に行くのが億劫で腰が引けているのですが、思うにこのくらいでいる方が健康を保てるのかもしれません。仕事は組織があるので、最終責任は自分がとるにせよ、有能なスタッフのおかげで自分一人で課題を背負い込むことはありません。起床の辛さを乗り越えて職場に来てしまえば何とかなっていくものです。判断さえ間違わなければ普通に仕事は流れていきます。週末は自己との闘いなので、恒例になった起床の辛さなどモノともせず、気張って工房に出かけます。さて、二足の草鞋生活を一日の始まりである起床から捉えると、どっちがいいのでしょうか。定年まで残り1年少々、組織として何事も頼っていられるのも時間の問題ですが、たった一人の創作活動は終わりなき業と言えます。制作オンリーになっても春眠を貪れるような健康的な生活設計でありたいと思っています。