Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 陶彫から木彫へ
    今週末で陶彫から木彫へ作業が移行することになりそうですが、今日のところは木材を陶彫を配置した画面に置いて、全体のバランスを見る程度に留めました。木材に切断する箇所のデッサンを施し、陶彫との関係を考えました。陶彫による数々の塔を目立たせるために、木彫はあまり凹凸を作らずに、緩やかな彫り込みにしようと決めました。陶彫の作業でまだやり残したことがあって、なかなか木材の切断まで辿り着けませんでしたが、朝9時から夜21時半まで長い時間を工房で過ごしました。夕食や買い物に家内と出た時間帯もありましたが、ここにきて制作に弾みがついていることは確かです。ただ、昨日のイベントの疲れが残り、一日中身体が重くて作業能率は悪かったと思っています。明日も頑張ろうと思います。
    職場最大のイベント
    NOTE(ブログ)に自分の身分として橫浜市公務員の管理職と書いています。どんな職種か明言を避けていますが、察する方もいらっしゃいます。ICT情報の拡散性を考えると、NOTE(ブログ)においては定年まで具体的な職業の明言について、どうかご容赦願いたいと思います。今日は年間を通して最大のイベントが職場でありました。これをNOTE(ブログ)でどう扱っていこうか考えるところですが、今日一日はこのイベント一色で時間が過ぎていきましたので、書けるところは書いていこうと思います。イベントの中で自分は式辞を読むことになりました。いわゆる式典で、職場全体の陣容が新しく生まれ変わる節目でもあります。実際の仕事は、年度の変わる4月より始まりますが、今日のイベントも重要なポジションを持っています。組織の節目としての式典は必要なものだと思います。全体の責任者としての自分は、こうした式典の意義や重みを感じずにはいられません。若い頃は創作を通して自由奔放に生きたいと願った自分でしたが、まさか組織をまとめる役職が数十年後に待っているとは思いもよりませんでした。様々なことが頭を過ぎった一日でした。
    「罪と罰」読後感
    「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)を読み終えました。重厚なロシア文学の中で、多様な要素を持つドラマとして、後半に差し掛かるほどドラマは白熱し、エピローグの最後の最後まで惹きつけられてしまいました。解説にあった要素を選び出すと、まず推理小説的要素、社会風刺画的要素、思想小説的要素、さらに愛の小説とも言うべき愛と自己犠牲によって魂を救済する重要な要素が本書にはあります。推理小説的要素としては犯人ラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリイによる殺人事件を巡る知的で心理的な対決がありました。社会風刺画的要素として当時のペテルブルグの風物や人々の風俗が克明に描かれていて、1860年代のロシアを知る上で貴重な資料となっている点があります。思想小説としてはラスコーリニコフの雑誌に掲載した理論があります。解説をそのまま引用すると「人類は凡人と非凡人に大別され、大多数は凡人で現行秩序に服従する義務があるが、選ばれた少数の非凡人は人類の進歩のために新しい秩序をつくる人々で、そのために現行秩序を踏みこえる権利をもつ」という理論です。これを様々な環境的要因でラスコーリニコフが実行したため、心理的な苦悩の日々を送り、やがて娼婦ソーニャの愛に触れて殺人を自白する物語が、この「罪と罰」の大筋ですが、罪を償うエピローグでシベリア流刑地での生活が描かれています。ラスコーリニコフと彼を追ってきたソーニャの自己犠牲愛が、ラスコーリニコフの閉ざされた魂に変化の兆しとして現れてきます。「罪と罰」は最後に魂の救済で幕を閉じ、大団円となって読者をホッとさせてくれます。読破に些か時間がかかりましたが、名作に相応しい面白さがあったと思っています。
    3.11から学んだこと
    4年前の東日本大震災が発生した時は職場にいました。大きな揺れに驚いて、放送を流し、緊急対応をして職場にいた人たちの安全を確保したことが思い出されます。自宅のことも心配しましたが、頭にあったのは職場のことばかりでした。深夜になって自宅に帰って無事を確認してホッとしました。コンビニやスーパーマーケットから食品や水が消え、ガソリンスタンドが閉鎖し、物資が途絶えることを体験しました。マスコミから流れる東北の映像にショックを受け、自分は何をしたらいいのか戸惑いました。次の年の3.11は休日だったため工房にいました。制作中の作品の前で黙祷しました。その次の年から、午後2時46分になると黙祷の放送を職場内外に流しました。今日も自分が放送を通じて弔意を表しました。3.11から学んだことは防災意識と備蓄です。家内は防災グッズを収集し、もしもの時に備えています。自宅で被災したら何日耐えられるか、職場で被災したらどうするか、どんなに備えても盲点はあると思いますが、普段から防災意識があれば生き伸びる道は開かれると信じています。
    亡父の残した植木の行き先
    相原工房は亡父の残してくれた植木畑に農業用倉庫として建てました。内壁がなく鉄骨が剥き出しの簡単な構造体の建造物です。この建物を作るに当たって、ここに植えてあった樹木を相当処分した記憶があります。でも周囲はまだ緑に覆われていて、季節によって花や実をつける樹木が多くあります。自分は造園業には就かなかったので、周囲の木々は雑木林となっています。時折親戚の植木職人に頼んで、手入れをやっていただいていますが、父がいた頃と比べると、植木が売れることもなく、畑内での植木の移動もありません。大きくなりすぎた樹木は放っておくにしても、花や実をつける比較的小さな植木は、鑑賞に値するモノで、畑の中に埋もれてしまうのはもったいないと感じています。そこで自分が管理職を務める現在の職場に移植しようと考えました。環境整備という業務内容で職場の作業員の方々に植木の移動をお願いしました。いわゆる寄贈です。今年度と来年度にかけて徐々にやっていこうと思っています。