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  • 3月RECORD「散歩する気まぐれ美神たち」
    3月のRECORDのテーマを「散歩する気まぐれ美神たち」にしました。自分はエスプリの効いたイラスト風の絵を描くのが得意ではありません。どちらかと言えば彫刻的な構造を持つがっしりした描写が得意です。以前のRECORDで遊び心に通じる気儘な線描を試みたことがあります。洒落たニュアンスを表現するには、どうしたらいいのか思いを巡らせながら、自分崩しをやってみました。参考にしたのはミロやクレーを初め版画家の故池田満寿夫氏や山本容子氏等々の素描で、どうしたらあの雰囲気が出せるののだろうと憧れにも似た気持ちを持ちました。もともと自分にはない感覚なので、無理強いして何とかなるものではありませんが、軽快で詩情を醸し出す画風に羨望の眼差しを持っています。ますます春めいてくる3月のRECORDではそんな思いを表現してみようと思います。
    形而上学神学の否定について
    哲学者ニーチェは「神は死んだ」として神に替わる超人を作り出しました。「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)の「幸福の島」の章にこんな一文があります。「神とは、すべての正しきものを歪め、すべての直立せるものを捻転せしむるところの思想である。そうではないか?もし完全なる神というごときものがありとせば、時間は存在しない訳ではないか?そうして、一切の過ぎゆくものは虚妄である筈ではないか?」というニーチェ独特の主張です。これに対し訳者による解説が加えられています。「ツァラトストラは時間空間の内に存在する現実のみを唯一の実在と認め、仮象の外に立つ本体というごときものを否定する。もし完全永久不滅なる神の存在を認めるとすれば、この現実世界は仮象であり、虚妄にすぎぬ、という結論に達する。形而上学神学のかかる前提はツァラトストラにとって堪えがたいことである。」こうした神の死を論じたニーチェは実存主義を唱えた先駆者と言えます。ニーチェに続く未完の大作「時間と存在」を著したハイデッガーは次世代に入る哲学者で、さらに実存主義はフランス人哲学者サルトルによって広がりを見せました。雑駁な考え方で言えば、自分は系譜的にはこうした思考に同意するところがあるので、自分なりの研鑽を積んでいきたいと思っています。
    週末 久しぶりの制作&美術館
    今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。成形を5点やりましたが、今週は夜に工房に出かけて彫り込み加飾を行う予定です。そのために窯入れを敢えてやりませんでした。電力の関係で窯に作品を入れて焼成を行うと、他の電気が使えなくなるからです。夜の作業には照明や暖房が必要なため今週は焼成サイクルを1回休みます。夜の作業だけではなく、もうひとつの理由は、週2回の焼成を行っていくと成形部品の乾燥が間に合わないことになり、暫し成形の制作を中心にしたサイクルに切り替えようとしているのです。そんなわけで今週は可能な限り帰宅後に工房に出かけようと思っています。今日は作業を早めに切り上げ、夕方久しぶりに家内と美術館に出かけました。地元の横浜美術館で開催している「魅惑のニッポン木版画」展を見に行ったのです。木版画は大学時代にドイツ表現主義の影響で、自分も大きな版木を使って具象傾向のモノクロ版画を作っていました。そんな関係があって木版画には特別な思い入れがありました。「魅惑のニッポン木版画」展は期待通りの面白さで、見にきてよかったと思いました。感想の詳細は機会を改めます。今日は充実した一日でしたが、時は既に3月です。今後を考えると厳しい状況は変わっていません。少しでも作品を先に進めたいと思っています。
    多忙な年度末です。
    3月になりました。職場は年度末を迎えています。会計決算やら監査があり、人事評価やら来年度に向けた人事も始まっています。この1ヶ月は多忙を極めます。この時期の自分は職場でダラダラ仕事をしているわけにはいかず、集中力を持って一気呵成に複数の仕事を片付けていきます。今月と来月は頑張りどころなのです。三寒四温で花粉症もあって体調は芳しくありませんが、それでも仕事をやり遂げなければならないのです。制作も佳境を迎えています。いよいよ新作の「発掘~層塔~」の追い上げを始めなくてはなりません。制作は一気呵成とはいきませんが、工房での作業時間を可能な限り多く取ることを考えています。今月の目標として「発掘~層塔~」の成形を全て完成させること、これに尽きます。それでも余裕はないので、制作でもダラダラ作業はせず、テキパキと動こうと思っています。RECORDは春の訪れを告げるようなテーマを考えようと思います。読書は相変わらず哲学書に没頭しています。ニーチェが頭の中で既成道徳を壊しにやってきています。どんな1ヶ月になるのか、忙殺される中で少しでも充実感を得るために、我を忘れず、健康にも気を使っていこうと思います。
    神聖なる戦争の意味するところ
    「よき理由は戦争をすら神聖ならしめる、と。しかし、われはいう、よき戦争はいかなる理由をも神聖ならしむる、と。戦争と勇気とは、隣人の愛よりも大事業を成就してきた。従来、災厄に陥った者を救い出したものは、なんじらの同情にあらず、なんじらの果敢であった。」これは「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)に論じられている「戦争と戦士」に関する抜粋です。神聖なる戦争とは何か、それは実際の戦争を意味するものか、それとも形而上のものなのか、よく理解できません。訳者の解説に次のような文章がありました。「多く議論されるように、これらの言葉が純粋に精神的領域に於ける闘争に関してのみ言われたのか、あるいは現実の戦争に関して言われたのか、にわかに決め難い。いずれにしても、この戦いのための戦い、新鮮なよろこばしい戦闘的勇気を正義以上の至上の位置におくという傾向は、古代以来ゲルマン人の性格であり、また現代に及ぼしたニーチェの影響のおそるべく破壊的な半面であることは『ニーチェ自身の主張は高貴な意義のものであるとするも』現実の事実として否定できない。」これを読むとドイツが第二次世界大戦で行った恐るべき虐殺行為が重なってしまいます。ドイツ人には元来そんな気質があるのでしょうか。われわれ日本人も戦争と言う異常事態で隣国に対し残虐な行為を行った事実があります。実際の戦争で言えば、戦争に神聖なるものは絶対に存在しないと自分は考えます。