2014.02.08 Saturday
仕事から自宅に帰って、一番くつろげる場所が自宅だなぁと感じます。家内が用意する夕食を待つまで食卓でRECORDを描き、飼い猫をからかっていると心が癒されます。自宅でくつろげる幸せを噛みしめていると、手足が怠くなり、一日の疲れが取れている感じがします。自分は仕事の持ち帰りは一切しません。職場の個人情報を扱っているので持ち帰れないこともありますが、気分的にも自宅で仕事が出来ないのです。RECORDはウィークディの仕事とは異なりますが、それでも辛い時があります。くつろぐとはこういうことだと思います。心の解放はくつろぐこととは意識が異なり、主に工房で創作活動に向かう時にその気分が現われます。くつろぐ時とは違い、全身に力が漲って心は愉快になります。その気分が基盤になって集中力が生まれるのです。ウィークディの仕事とは別のところが緊張して、疲労の度合いも増しますが、それでも心の解放された状態は大変快いものです。ウィークディの夜のくつろぎと週末の解放感。これに支えられて生きていると言っても過言ではありません。
2014.02.06 Thursday
飼い猫のトラ吉は最近寝てばかりいます。元来猫はよく寝る動物ですが、寒い日は起きてきません。若干暖かくなると、元気に飛び回っているので、気候の変化を飼い主よりも敏感に察知しているんでしょう。人間は気候の変化をものともせず、労働に勤しんでいて、そのせいか体調が不良になったり、気分が優れなかったりしています。気候の変化は自分が認知している以上に、身体に負担をかけているのかもしれません。トラ吉を見ていると、気候の変化に逆らわずに生きていて、可能なら自分もそうしたいと思ってしまいます。ペットを見て癒されるのは、人間の勝手な視点であって、ペットの側から言えば、与えられた環境に順応して必死に生きていると言っていいでしょう。人間の勝手な思い込みがペットにとって都合がいいのかどうかはわかりません。偶然に拾ったトラ吉は家の中で飼われ、定期的にエサが与えられ、柔和な環境で育っています。野性の本能は不要になり、自然における外敵と戦うこともありません。人間はこれを猫の幸福と理解していますが、果たして猫にとってどうなのでしょうか。学習はするけれど理性のない猫には眼前の事象が全てであって、そこには過去の振り返りも未来への展望もありません。ただ環境が厳しければ寿命が短く、外的刺激が少なければ長く生きるというように、これも自然の摂理だろうと思います。人間もストレスが少なければ同じように長寿を全うできるのかもしれません。
2014.02.05 Wednesday
今月のRECORDのテーマを「匂い立つ土俗の構え」にしました。自分は土俗性、土着性の強い造形が大好きです。アフリカを初めとする世界各地の仮面の収集もやっていて、自分の制作動機をそこに求めることがあります。アフリカの造形は20世紀初頭に活躍した画家モディリアーニやピカソが影響を受け、始原的なパワーに溢れた民族芸術を制作動機に取り入れたことは余りにも有名です。歴史的事実と言うことではなく、自分もアフリカを初めとする民族芸術に影響を受けました。素朴な木彫と斬新なデザインや独特な色彩に目を見張り、とくに仮面は所有したい願望が芽生えました。そのうち工房に仮面展示場所を作ろうと思っています。眺めているだけで、仮面は創作意欲を刺激してくれます。そんな土俗的な芸術をRECORDにしようと考えました。また今月も地道に頑張っていきたいと思います。
2014.02.04 Tuesday
ミットライト(共苦・同苦)ペシミズム(厭世主義)は、現在読んでいる「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)の根幹をなす思想です。簡単に言えば、世の中も人生も苦悩に満ちている、であるから幸福を求めるということは、欠乏を認識してそれを満たす方向へ行くことだとショーペンハウワーは言っているのです。一理あると思います。そこで本書を分かりやすく解説しているものがないかとネットで調べたら「松岡正剛の千夜千冊」を見つけました。松岡氏曰く「われわれは自分の苦しみというものを、自分だけの苦しみだと感じていることが多い。けれども、多くの苦しみ、たとえば失意・病気・貧困・過小評価・失敗・混迷・災害などは、その体験の相対的な差こそあれ、結局は自分以外の誰にとっても苦しみなのである。まして、自分の苦しみが相手の苦しみよりも強いとか深いということを、相手に押し付けることはできない。相手も同じことを言うに決まっている。このとき、われわれは『共苦』の中にいることになる。誰だって『苦しみがない』などとは言えないはずなのだ。~略~世界は『共苦』を前提にできていて、そこから意志があらわれてくるのではないか。その意思の行方には放っておけば必ず欲望が待っていて、富裕や長寿や支配に向かおうとする。~略~ブッダが『一切皆苦』を出発点にしたことと、とてもよく似ている。」解説の抜粋をしましたが、内容がよく分かりました。今までいきなり難解な書籍を読んできて、解説があった方がいいと感じることもありました。ミットライトペシミズムは本書を総括するテーマで、内容全体の概観を掴むために分かりやすい解説が必要でした。
2014.02.03 Monday
「苦痛は避けがたく、一つの苦痛を追い払えば次のが現われ、前の苦痛が退けば新しいのが引き寄せられてくるというようなことを考え合わせれば、われわれは次のような仮説へ、すなわちそれぞれの個人において彼の本質をなす苦痛の量は彼の本性を通じて初めからちゃんと確定的に定まっているのであり、たとえ苦悩の形式がいろいろに変わっても、苦悩の量そのものはなんの過不足もなく一定しているのではなかろうかという、逆説的であるがしかし辻褄がまったく合っていないとも言い切れない仮説へと導かれるであろう。もしそうだとすれば人間の苦悩と幸福とは断じて外から規定されるものではなく、ほかでもない、今述べたばかりの量によってのみ、すなわちかの素質によってのみ規定されるものなのであり、いうまでもなく身体の調子いかんによって違った時期ごとにその量に若干の増減があり得るかもしれないが、しかし全体としてはその量は不変のままにとどまることになるであろう。」以上の引用は「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第四巻で、いよいよショーペンハウワーの厭世主義との言うべき世界に入り込んできました。ショーペンハウワーの哲学的考察の如何はともあれ、こうした考え方をまず自分は受容しようと思います。受け入れてみて初めて厭世主義の何たるかが解ると思うからです。そこから導き出される幸福とは何かは、案外現実味を帯びていて、手放しで人類の幸福や平和を謳っているものに比べれば、自分の性に合っているかもしれないと思っているところです。