2014.02.17 Monday
出勤では午前6時過ぎに自宅を出てバスの停留所に向かいますが、雪に覆われた真冬はこの時間帯とルートが危険です。小高い丘の上にある自宅は坂道が凍結している可能性があるからです。雪掻きをしても細い坂道は両側の積んだ雪から雪解け水が流れ出して、それが凍結して危険な状態になります。これが原因で昨年は仰向けに転んで背中を打ちました。完全に治るのに何か月もかかったので、それが今でもトラウマになり、雪が降ったら自宅前の坂道は通らないようにしています。早朝出勤の安全策としては多少の回り道をしても凍結の少ない道を選んでいます。通勤バスも遅れがちです。職場での立場上、多くの仕事を抱えていますが、どうしても朝早く出勤しなければならないことはありません。普段と同じ午前6時に自宅を出たとしても、職場に到着するのが遅くなっても仕方がないと思っています。ともかく安全に通勤できれば良しとしています。
2014.02.16 Sunday
先週より積雪が多く、工房へ続く畑道は膝まで雪に埋もれ、工房まで歩くのに大変な思いをしました。自分が工房で制作に没頭している間、家内は自宅の前の坂道の雪掻きに精を出していました。雪掻きに関しては私よりも家内の方が根性があるらしく、長い坂道を一人でほとんど雪を掻いてしまいました。私は30分程度手伝ったにすぎず、家内のパワーに脱帽です。工房での制作は思うように進まず、今日のところは窯入れを断念しました。陶彫部品制作の進度は3分の2くらいでしょうか。そのうち3分の1くらい焼成が終わって床に並べています。陶彫部品は大きなものから作り始めていて、塔の床面に接着する大きな部品は半分焼成が終わり、半分成形が終わって後は焼成するだけになっています。つまり大きな部品はほぼ出来上がっているのです。だからといって余裕があるわけではなく、残りの3分の1くらいの部品は小さくても手間がかかります。今まで夢中で作り続けてきて、床に置いた部品を眺めていると、まだこんなものかぁとガッカリすることもあります。作っても作っても不足感があって、実りのない労働のようです。時間ばかりが過ぎていくのは毎年のことですが、今年は一層時間に追われているような気がしています。雪に覆われた工房で、なかなか部品に覆われることがない進度に焦りを感じます。
2014.02.15 Saturday
昨日降り積もった大雪で、またもや陶土が届かないことになりました。3週間前に栃木県益子町の明智鉱業に陶土600キロを注文し、それが近くまで来ているというのに、運送業者から電話があり、運搬はまた来週になりました。仕方がないとは言え、先週も雪、今日も雪で制作の根幹を成す素材がないというのは辛いものです。今日は残った陶土でタタラを作り、明日の成形の準備をしておきました。工房の周辺は積雪で大変な状況になっています。野外工房にある大きな樹木の枝が雪の重みで折れそうになっているので、長い棒で雪を払い落としました。工房は自分しか歩かない植木畑にあるので、そこまで辿り着くのが困難でした。ましてや車の出入りする工房シャッター前も大変な積雪になっていました。これでは陶土を運ぶ業者は入って来れないと思いましたが、午後から自分は職場に行かなければならず、今日は雪掻きはできませんでした。一週間経ったら雪は融けるでしょうか。自宅の玄関先は家内が雪掻きをしてくれていて、帰宅はちょっとホッとしました。明日は何が何でも成形をしなければなりません。制作のことを考えると大雪なんか眼中にありません。
2014.02.14 Friday
雪国にあっては塵が舞う程度のことでしょうが、横浜では今年2度目の積雪になりました。職場は横浜駅近くにありますが、見る見る雪に覆われて銀世界になっています。仕事をしていると雪の情緒を味わう余裕はなく、交通機関の乱れを気にするばかりです。出勤時間帯の朝6時には少々の粉雪だったので革靴で来てしまったため帰宅は困難でした。滑りにくい雪靴の有難味を知りました。家内の胡弓のイベントは中止になりました。昨年はそのイベントが成人の日にあって、楽器二挺を抱えた家内を駅まで徒歩で迎えに行ったことを思い出しました。当時の制作で自分は木彫に課題を抱えていました。今は陶彫の量が課題になっています。積雪と厳しい制作状況が重なって雪に対するイメージがよくありません。冬場の時期は制作が佳境を迎えるので仕方がないのかもしれません。明日運搬業者が陶土600キロを持ってくることになっていますが、この積雪で果たして可能でしょうか。陶土が底をついているので是非運んでもらいたいと願っています。明日の午後は職場に行って仕事です。これも積雪のため通勤が困難になると思っています。
2014.02.13 Thursday
何週にもわたってずっと読み続けてきた「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)もそろそろ終盤に差し掛かり、ショーペンハウワーの思索が仏教思想に近づくような展開を見せています。「松岡正剛の千夜千冊」にある通り、西欧哲学にして初めて解脱に触れ、それが本書のまとめになっていくのではないかと思われます。それを示唆する文面があるので、引用いたします。「われわれは憎悪と悪心とはエゴイズムによってもたらされるものであること、そのエゴイズムは認識が『個体化の原理』にとらわれていることに基づいているものであることを見てきたが、さらにまたわれわれの正義の起源と本質は、この『個体化の原理』を突き破ってその奥を見とどけることであることを知ったのである。そしてこれに次いで、さらに進んでいけば、愛ならびに高潔心の起源と本質とは『個体化の原理』を看破するこのことの程度が最高度まで達した場合であることをも知った。ひとえに『個体化の原理』を看破できることのみが、自分を個体と他人の個体との間の区別をなくし、他人の個体に対する無視無欲な愛、高邁宏量な献身にまでいたる心の持ち方の完全な善を可能にするものであり、またこれらを説明するものである。~略~万物のうちに自分を認識し、万物のうちに自分の最内奥の真実の自我を認識しているそのような人であれば、生きとし生けるものみなすべての無限の苦悩をも自分の苦悩とみなし、こうして全世界の苦痛をわがものと化するに違いあるまい。~略~このようなときわれわれは断乎として徹底した諦念を通じてあらゆる欲情の刺をつみ取り、いっさいへの苦悩への入口を閉ざし、自らを浄化し聖化したいと念ずるようになるであろう。」