2014.01.13 Monday
今日で三連休が終わります。制作に精一杯頑張った三連休だったと思っています。思えば昨年は大雪が降りました。成人の日に晴れ着の若者たちを襲った大雪は、夜になっても降り続け、翌朝の通勤が辛かったことを思い出します。数日後に自宅から出た坂道で転倒し、背中を打った苦い記憶があります。凍結した道に足が取られたのでした。昨年のこの頃の制作は「発掘~地殻~」の木彫部分がうまくいかず、計画を変えようかとも思っていました。それに比べて今年の三連休は、今のところ迷いは生じていません。もちろん陶彫部品の量の多さに辟易していることはありますが、まだ全体が見通せないので、悩みはもう少し後からやってくるのかもしれません。この3日間は朝から夕方まで陶土をひたすら見つめ続けて、土練りやタタラ、成形、仕上げ、化粧掛けを休む間もなくやっていました。今晩窯入れをして三連休の制作は小休止としました。以前のNOTE(ブログ)にも書きましたが、制作に楽しいことはなく、むしろ自己を追い詰める苦しさが伴います。それでも気持ちのどこかで楽しいと感じているのかもしれず、何かに憑かれたように創作に向かってしまうのです。苦しい中で何かが吹っ切れると、時間や空間のない不思議な世界が現れてきます。素材との対話が始まる瞬間で、若い頃のような強引さはなくなって、今は抑制の効いた良い気分で素材を巧く扱えるようになった気がしています。雁字搦めになる前に一呼吸おいて冷静になれるのです。逸る気持ちを鎮めて、敢えて坦々とした姿勢に変えていきます。力むと意欲が空回りして、良い結果は残せません。ふとリラックスした瞬間に創作の糸口を見出し、スラスラと意図する世界観が伸びていくこともあるのです。満足感が得られるのはこんな場面です。来週末も継続です。
2014.01.12 Sunday
三連休の中日にあたる今日は成形を主に行いました。陶彫の成形では、タタラや紐作りで均一の厚みにした陶土を立ち上げていきます。陶芸のようにロクロを回してカタチを立ち上げることはしませんが、便宜上ロクロを利用することもあります。これは彫刻の塑造と同一であって、言わば立体の在り方を決めていくのです。塑造は心棒に粘土をつけて、中心から膨らませてカタチを決めていきますが、陶彫の成形は窯で焼成するため、立体の内部を無垢にはできず、刳り抜いた状態になっているのです。作り方の違いはどうであれ、どちらも立体を作ることには変わりありません。これは陶彫にあっては唯一彫刻制作に近い作業なので、興味が沸くところではあります。そんなわけで今日の作業は神経を使いながら、自分の思い通りのカタチにしていく工程でした。面白い反面、疲れもあって、大きな成形を2点行って今日の作業に幕を引きました。予定ではこの後、土錬機を回すはずでしたが、もう気持ちがついていかず、明日に持ち越しになりました。自分がやっているのは陶彫という技法を用いた彫刻であるため、どんな立体を作るのかを一番に考えます。立体の在り方が重要なのです。陶彫は彫り込み加飾をしたり、仕上げをして化粧掛けをしたり、焼成もやっていきますが、基本は成形でどんな立体にしていくのかが作品を左右するものと考えています。今日は僅か2点の成形でしたが、朝から夕方まで休みなく作業をしました。明日は土錬機を回して土練りを行い、次の成形に備えます。
2014.01.11 Saturday
今日から三連休となり、まとまった制作時間が確保出来るのはこの三連休しかありません。ともかく制作サイクルを取り戻して、3日間は「発掘~層塔~」の陶彫部品の制作に明け暮れる計画を立てています。今日は朝から工房に篭り、土練り、タタラ、乾燥した成形作品の仕上げ、化粧掛けを時間を惜しんで取り組みました。次から次へと休む間もなく作業したので、本当に疲れました。快い疲れではありますが、身体の節々が痛んでいます。明日はさらに身体に負担のかかる作業が続きます。創作活動は元来楽しいものですが、制作の場面において楽しいと思ったことはなく、悩んで苦しんで身体を駆使していることが多いと思います。労働なら気持ちを入れない事務的な作業もたまにはありますが、制作はそうはいかず、思い切り気持ちを入れて作業をしています。ただ、佳境に入ると時間も空間もなくなり、陶土を見つめることだけの不思議な関係が出来上がるのは、作ろうとしているものが精神世界からやってくるものなんだと自覚しているせいかもしれません。現在読んでいる哲学書で言えば、それは万物に存在する意志ではなく、直接視覚が捉え、意志を介在せずに語りかけるモノとしか言いようのない認識です。それは楽しいとか面白いと感じるレベルではありません。今日も夕方になって、そんな不思議な感覚に囚われました。その後に言いようのない満足感がやってくるので、これは精神の成せる業だろうと思っています。苦しみの末に見える何か得体の知れないもの。それに憑かれて制作をやっていると考えます。明日も続行です。
2014.01.10 Friday
「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻を読み始めました。第三巻は「表象としての世界の第二考察」という副題がついています。「根拠の原理に依存しない表象、すなわちプラトンのイデア、芸術の客観」というのが第三巻に論述されている内容のようです。プラトンのイデアとは何か、第二巻にも登場した偉大な哲学者プラトンとカント、そして自分にとって楽しみな芸術に纏わる論考、それらをまとめた第三巻はどんな深化が望めるのだろうと思っていますが、読解は生易しいものではないと感じています。「われわれにとっては、意志とは物自体であり、イデアとは一定の段階におけるこの意志の直接の客体性にあたるのである。とすれば、カントの物自体とプラトンのイデア -これがプラトンにとって唯一の真の存在であるー 西洋の二人のもっとも偉大な哲学者のとなえるこれら二つの大きく曖昧な逆説は、もちろんまったく同一ではないにせよ、やはりきわめて互いに縁の深いものがあって、ただその異なるところといえば、たった一つの規定によってであるということが分かってくるのである。」という箇所を第三巻からさっそく引用しましたが、そもそもプラトンのイデアとは何かを知る必要があると思いました。イデアとは姿や形を意味していますが、辞書によれば、心の目(魂の目)によって洞察される純粋な形、つまりものごとの原型のことを言っているようです。天上の世界で魂が見ていたイデアを、人間となって現実界に降り立ち、かつて天上で認識していたイデアを想起するものとも書かれていました。いずれもイデアとは魂レベルの純粋形態であるのは分かりました。通勤の友は、ますます難しくなり、通勤電車で揺られながらイデアに親しむ時が暫らく続きそうです。
2014.01.09 Thursday
私が起床する5時半はまだ夜明け前で、カーテンを開けると外は真っ暗です。この時季の起床は例年辛くて、寝床から出たくない気持ちを強い意志を持って遮り、5分ごとに鳴る目覚まし時計に怯えています。6時前に朝食をとり、それから出勤ですが、周囲はまだ闇に包まれています。出勤途中に工房に立ち寄り、窯の温度を確認します。バスの停留所まで歩き、6時24分のバスに乗ります。夜が白々と明けてくるのはバスに揺られている時間帯です。職場での仕事は午前中が勝負かなぁと自分は思っています。接客やら業者対応があっても、書類は朝のうちにまとめていくような習慣をつけています。昼過ぎに行う事務的な仕事では誤記が多くなってしまう傾向が自分にはあります。自分は朝型人間だと思っています。長年の公務員としての仕事がそうさせたのかもしれませんが、週末の制作も午前中にピークがあります。ただし制作は夕方にもピークを迎えますが、やはり朝の仕事の方が創作する形態に緊張感があるような気がしてなりません。でも、これは自分の体内時間ではないような気もします。定年になって制作一本になるとどうなるのか、現在のように朝型人間を続けられるのか、出来るなら長年の習慣を継続させたいと願っています。朝型人間を自分では結構気に入っているのです。