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  • 制作追い込みの5月に…
    今年も東京銀座のギャラリーせいほうで個展を企画していただいています。個展には図録を用意するため、作品の撮影日を6月初めに予定しています。図録撮影にはカメラマンを初め、スタッフたちも多く呼んでいるため、日程の変更は出来ず、ともかくその日までに作品を完成しなければなりません。今日から5月になり、作品完成までの猶予が1ヶ月となりました。今月は制作追い込みの1ヶ月になりますが、2年がかりで計画した365点で構成される陶彫立方体は、なかなか厳しい日程となっていることを実感しています。まぁ、教職との二束の草鞋生活を送っていた頃は、365点で構成される陶彫立方体なんて考えも及ばないものでした。ともかく今月は身体を壊さないように心身ともに頑張っていこうと思っています。彫刻は精神の産物だなぁと思うのは、創作は単純な手仕事というより自分の内面に向かうことで形作られる行為があって、そこに緊張感が生まれてくるのです。一日があっという間に過ぎていくのは、こうした張り詰めた状態が続いていることの証です。長く制作を続けるためには休息も必要だなぁと思っています。丸一日休むことは出来ないので、窯入れをした日には映画館や美術館に行こうと思っています。今日の夕方に窯入れをしたので、明日は電気が使えないため午前中は照明を点けずに作業をして、午後に映画に行こうと思います。それが気晴らしになれば、また明後日から制作を再開いたします。今月も読書はシュルレアリスムについての書籍を読んでいきます。大好きな美術に囲まれているので、何と言っても心は充足していて楽しい1ヵ月が過ごせそうです。
    無休の4月を振り返る
    今日で4月が終わります。今月は30日間あって、工房に出かけた日は30日間ありました。つまり今月は無休で創作活動を続けていたことになります。無休で仕事が出来たのは、この仕事が人から与えられたものではないからで、自分の意欲が自分の心身に打ち克って、休日を欲しなかった結果です。それでも今年の個展に作品が間に合うかどうか微妙なところで、私は尋常でない精神状態になっているのかもしれません。常に工房で陶土に触れている私は、気持ちを内面に向けることだけに特化してしまっているようにも思います。このゴールデンウィークには気分転換を図る必要を感じます。今のところ遠出するのは無理なので、映画にでも行こうかなと思っています。日記代わりの小さな手帳を見ると、工房にいる時間も長くなり、仕事を終える時間が遅くなっています。今月の美術鑑賞は「ブランクーシ展」(アーティゾン美術館)、昔の同僚が出品していた「モダンアート展」(東京都美術館)に行ってきました。ブランクーシの簡潔な作品は、私には涼風に頬を撫でられるような清涼感を齎せてくれました。映画鑑賞では「ハイキュー ゴミ捨て場の決戦」(鴨居ララポートTOHOシネマズ)に行ってきました。スポーツ漫画による娯楽映画でしたが、日本のアニメーションのレベルの高さを伺わせました。今月で一番大きかったことと言えば、17年間一緒にいた飼い猫トラ吉が22日未明に亡くなったことでした。トラ吉は病院通いもなく、次第に筋力がなくなって立てなくなりました。私たちはトラ吉を最期まで世話し、看取れたことで、気持ちの整理が出来ました。今月は短く感じられましたが、いろいろな意味で充実していたのだろうと思います。
    「イギリスのシュルレアリスム」について
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)はフランス発祥のシュルレアリスムについて述べたものですが、イギリスでもその動きがありました。「イギリスのシュルレアリスム」について、気に留めた箇所をピックアップしていきます。イギリスには気鋭の評論家ハーバード・リードがいて、ロンドンで開催された「国際超現実主義展覧会」について講演をしています。「注目すべきことは、この展覧会の講演会でのハーバード・リードが、完全にシュルレアリストの立場をとっていることである。『芸術の意味』『今日の芸術』『芸術と工業』などの著者はまったく面目を一新した趣きがあるが、今後の仕事にいっそうの活躍を期待したいと思う。彼は二回にわたる講演で、イギリスにおけるあらゆる因襲的観念を批判し、シュルレアリスムの位置を確立しようとしている。~略~『人間の性格の分離は不定のものであり、またこの性格の選択された一部分にのみもとづいた芸術形式もまた不定である。古典主義のなかに見出される知性の芸術、印象主義の眼の芸術、表現主義の感情の芸術などーすべてこれらは芸術の部分的な不完全な形態であり、理想的先入観の種々な形式にほかならない。もしわれわれの目的がレアリテにあるとすれば、そこに人間的体験のあらゆる諸相を包含しなければならないのであって、夢や白昼夢、狂気、幻覚などに現われる無意識生活の諸要素を排除してはならない。』内部世界と外部世界との諸問題については、ブルトンたちの数年来主張してきた論拠に一致点を求めようとしている。~略~『シュルレアリスムの庭園のすべてがつねに美しいものではない。この不完全と崩壊の時代に、その芸術がその様式において単一であり、内容において肯定的であることは不可能である。創造の前には破壊がある。シュルレアリスムが嘲笑やファースの要素を帯びるとすればこの理由からである。』今回はここまでにします。
    週末 GWというけれど…
    昨日からゴールデンウィークが始まり、高速道路や駅、空港等の混雑ぶりがテレビ報道で伝えられています。好天に恵まれ、気温も上昇すれば、どこかへ出かけたくなる気持ちになるのは、心情としてよく分かります。私も教職に就いていた頃は、ゴールデンウィークが待ち遠しかった思い出が甦ります。私の場合ゴールデンウィークは、時間をかけて創作活動ができたからでした。教職員は暦通りの休みしか取れないため、飛び石連休になることはありましたが、通常の週末とは違い、連続して作品が作れる幸せがありました。ゴールデンウィークのための制作目標も考えました。彫刻を作り始めると、一日が短く感じられて、ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去り、なかなか目標通りにいかなかった自分に焦りも覚えました。栃木県益子町や茨城県笠間市に住む陶芸家の友達に会いに行ったこともありました。益子町の陶器市や笠間市の陶炎祭に自作の陶器を展示していた友達と、久しぶりに積もる話をして楽しく過ごしたことを思い出しますが、今でも時間が取れれば、それも可能です。今年の私は7月個展に向けて、陶彫立方体の制作に追われていて余裕が持てないのです。ゴールデンウィークというけれど、今の私にとって特別なことはありません。仕事を退職すると、ゴールデンウィークの有難味は薄れます。日常の工房通いが続いているだけです。朝9時に工房に入り、夕方は4時か5時まで工房に留まっています。作業の合間に休憩を取ると、身体が動かなくなるのは加齢の証かなぁとも思いますが、気分は上々です。最近は額に汗が流れるようになりました。水分もこまめに取っていますが、もう夏の態勢になっているのが、例年より早いと感じています。
    週末 飼い猫死亡と映画鑑賞の1週間
    週末になりました。今週を振り返ります。今週で一番印象が強かったのが、飼い猫として17年間連れ添ったトラ吉が、月曜日未明に亡くなったことでした。ワンボックスカーに焼成炉を積んだ火葬車というものがあって、自宅の庭先に車を停めてトラ吉を火葬しました。小さな骨壺に収まったトラ吉はリビングに置いてあります。17年間お世話をしていたので、その習慣が抜けずに家内はそのたびに思いに耽っていました。私は毎日朝から夕方まで工房に出かけていたので、トラ吉の使用したグッズの後始末は家内がやってくれました。火曜日の午前中、私は地域の公立中学校に呼ばれて、学校運営協議会に参加してきました。私は教職を退職してもう3年が経ち、そろそろ学校教育のことが頭から離れつつあるのに、こうした機会が与えられて学校現場に関われることを幸せに感じます。地元の学校が良くなることに尽力できればと思っています。この日の午後は家内とエンターティメント系の映画館に、現在流行っているアニメ映画を観に行ってきました。この情報は教え子から得たもので、私は20代の子たちと付き合いがあり、なおかつ美術を専攻する者として、日本が世界に誇るアニメーションに興味関心があるからこそ、今もアニメ映画に足を運ぶのかなぁと思っています。ヴィジュアル系表現の巧みさで言えば、日本のアニメーションには眼を見張るものがあり、人の心を掴むキャラクターを創り出す能力では、アメリカのディズニーに匹敵するのではないかと思っています。世界を席巻するサブカルチャーが日本で生まれたことに誇りを感じるこの頃ですが、自分がやっている空間造形もそうありたいと願っています。ともかく、今週も朝から夕方まで陶彫制作に励みました。