Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 武蔵美の「近現代のブックデザイン考」
    武蔵野美術大学美術館で表記の展覧会を開催していました。芸祭(ゲイサイ)を見に行った時に同展を知り、書籍に興味のある自分は楽しく見ることができました。書籍はもちろん文字を目で追って内容をイメージしながら楽しむものですが、装丁も大切なものと考えています。学生時代はこうした装丁に関わる仕事もあるかもしれないと思っていたので、若い頃からブックデザインに関心を寄せていたのでした。当時、手刷り木版による創作絵本を作ったことがあるので、木版画風にまとめた装丁は今でも大好きです。夏目漱石の「我輩ハ猫デアル」のアールヌーボーを髣髴とさせる橋口五葉の見事な装丁、内田百間の「お伽噺王様の背中」にあるモノクロが織り成す谷中安規の装丁、お馴染みの竹久夢二、モダンな恩地考四郎もありました。とりわけ恩地考四郎デザインの「日本の憂愁」はカンディンスキーのようで、藤田嗣治デザインはマティスのような雰囲気を感じました。近現代のブックデザインは、現在の眼で見ても美しさは変わることがなく、高度な表現力を持っていたことがわかりました。
    今年も母校の芸祭訪問
    芸祭(ゲイサイ)というと、何とも独特な響きと雰囲気が自分にはあります。相原工房に出入りしているスタッフが、自分の母校で学んでいるおかげで、今年も母校の芸祭(学園祭)に行きました。創作活動またはモノ作りに関わっている大学だけに、自分には母校への思いが今もあるのです。習作に苦しみ、芸術の魔力に憑りつかれてしまったあの頃の自分。当時のキャンパスには、出発点になった何かがその場所に在るのです。それは未練ではなく自己表現の原点とも言える何かです。最近になって彫刻棟が新しくなり、自分が居た場所が消えてなくなりました。それでも彫刻家として出発した心の場所は残っています。新しくなって充実した彫刻棟の設備を見るにつけ、つくづく羨ましいなぁと思います。作りかけの大きな木彫作品がゴロゴロと置いてありました。絵画棟や工芸工業デザイン科も見てまわりました。案内してくれた子はテキスタイルの大きな染めの作品を工芸工業デザイン科と五美術大学展の2箇所に展示していました。とても頑張っている様子が窺えて自分も嬉しくなりました。昨年も書きましたが、これだけの環境を整えた大学で学んでいる学生は、どのくらいの人が満足できる進路を選択できるのでしょうか。アーティストになりたい学生はどのくらいいるのでしょうか。またデザイン界に夢を託す学生はどのくらいいるのでしょうか。自分にとって大学生活は夢幻の如く過ぎていき、自分は学生と社会人のギャップに精神を病むほど悩んでしまいました。現在の学生作品には才能溢れる作品も少なくありません。芸術文化を支える人になってほしいと思う学生もいます。夢を諦めずに創作を続けてほしいと願うばかりです。
    週末 職員による宿泊研修
    職員による宿泊研修をやっているところとやっていないところがあります。今年4月からお世話になっている職場は宿泊研修をやっています。年齢もあって夜を徹してとはいかないのですが、職員と親交を深めるいい機会でした。若い頃は先輩職員にアドバイスを頂く機会として、それこそ夜を徹して話をしました。職場を離れてのフリートークは話題が飛んで楽しいと感じます。これも仕事のうちと若い頃に先輩から言われ、自分は否応なく職員研修に参加していましたが、いつの頃か気を使わなくなりました。中堅になったということでしょうか。管理職となって、別の視野から職員を眺めるようになり、今の職場の信頼の度合いを確かめるようになりました。そういう意味でも宿泊研修はいい機会と捉えています。
    現職場での秋のイベント
    NOTE(ブログ)は基本的には彫刻家としての自分を書いていて、それに付随するものとして、たとえば展覧会の感想だったり、読書のことだったりしています。彫刻制作では生活が成り立たないことがあり、二足の草鞋生活を余儀なくされている現状も書いています。その二足の草鞋生活では、横浜市公務員という身分は明らかにしていますが、仕事内容に関しては触れていません。ここは公務の影響もあることからご容赦願いますが、今日は職場を挙げての大きなイベントがありましたので、これを書くことにします。前職場でもこの時季に大きなイベントがありました。書ける範囲で留めて書けば、やはりどこの職場でもそうですが、現職場でも全職員の組織的な連携が随所に見られました。普段は職員一人ずつに与えられている仕事があって、別々に活動していることが多いのですが、何か協力し合う場面があれば、専門を問わず協力を惜しまない環境がここにはあります。一人ずつの資質が高いおかげかもしれません。管理職としては有難いと思うとともに、常日頃から危機管理と背中合わせである実情を考えると、私たちの職場では指示待ちは通用せず、自ら考えて動くのがあたりまえになっています。今年のイベントは大成功に終わりました。偏に全職員の力あってこそと思います。
    「西洋の没落」読後感
    「西洋の没落」をやっと読み終えて、一区切りつけました。1918年に書かれた本書は第一次世界大戦直後という時期でもあり、西欧の都市が破壊された状況を見た著者が、まさに没落していく西欧を目の当たりにしたことが契機となって書き上げたようです。現在、西欧諸国はEUとして経済等で連携しあう関係になっています。ファウスト的魂の「没落」はあっても当然ながら西洋の滅亡はなく、西欧諸国は日米または台頭する中国の国際競争の中にあって対抗力をつけようと模索しています。本書はひとつの政治・経済・宗教・文化等がまるで季節が巡るように萌芽し、やがて没落していく過程を描きだしましたが、現在、国際流通はますます盛んになり、情報化時代の到来とともに、人々は世界的視野で物事を捉える時代にあり、新たな関係構築が世界各国の思惑となっていて、西欧諸国を巻き込んだカタチで混沌とした時代を迎えています。また、インターネットがあれば机上から世界が見え、マスコミにより世界各地の情勢はビジュアルな媒体を通して瞬時に目に飛び込んできます。そこで見えてくることは民族や宗教・文化に関係なく政治の事情で国境が引かれ、それ故に地域での紛争が絶えない現状です。一触即発の危険を孕みながら血族伝統は歪みつつ生き続けて、歴史を振り戻そうとしているかのような動きも感じます。没落というならば西洋に限ったことではなくなっているのが現代で、日本も世界的に見れば経済や教育分野で第一線からやや下降傾向を辿り、政治の在り方では恥ずかしながら論外と言わざるを得ない現状があります。本書曰く歴史には予定された運命があり、やがて円環をなすというならば、今後未来に向けた国際社会の在り方が築かれてくるのでしょうか。地域性や人権が尊重される時代。理想的な世界観をもって、次なる季節を生きていければと思います。それほど長くは生きられない自分ではありますが…。