2012.11.18 Sunday
今日は制作を休んで東京の展覧会巡りをしました。まず、六本木にある東京国立新美術館で開催中の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展。これは家内の希望で出かけたものですが、久しぶりにルーベンスの世界を堪能しました。詳しい感想は後日改めます。同美術館の野外で開催中の「現代瓦造形と建築文化展」。これは美術館に行った時に初めて知って見てきました。瓦職人による瓦屋根や鬼瓦、オブジェ等が所狭しと展示されていました。伝統的で理に叶った造形に面白みを感じました。次に向かったのが上野で、最近リニューアルした東京都立美術館に行きました。自分の前職場の人が絵を出品している「太陽美術展」を見る目的で出かけましたが、今日は日曜でしかもメトロポリタン美術館の企画展があったため大変混在していました。「太陽美術展」に出品していた前職場の人は、西欧の店内に佇む人々をセピア調にまとめあげた油絵の大作を描いていて、特別な賞を受けていました。自分と同じ二束の草鞋生活を送っている彼は、昨年以上に頑張っている様子が覗えて嬉しくなりました。最後に向かったのが、東京丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「シャルダン」展。18世紀のフランスで活躍した画家の足跡を辿る展覧会でした。感想は改めますが、照明を落とした落ち着いた室内に並べられた静寂な画面にホッとさせられました。今日は家内と六本木、上野、丸の内と回り、行動範囲は広くなかったものの4つの展覧会を見てきました。ついでに改修工事が終わった東京駅舎を写真に撮って帰宅しました。今日は盛りだくさんの内容でしたが、最後に夜工房に出かけて窯入れをしてきました。毎週日曜日には窯入れをして水曜日に窯出しをするサイクルが出来ているのです。
2012.11.17 Saturday
今日は土曜日ですが、休日出勤になりました。午前中は障害者のための避難訓練をサポートする仕事があって、昨日から準備をしてきたのでした。午後は止むに止まれぬ出張でした。週末に制作時間が十分に取れないことは立場上仕方がないことですが、制作工程はかなり厳しいので、それを解消するためウィークディの勤務終了後に工房に出かけています。水曜日、木曜日、金曜日の3日間は夜の時間帯を使って陶彫の彫りこみ加飾をやっていました。ただし、土練りや成形は時間がかかるため夜の時間帯では無理です。ウィークディにはそれなりの作業があると自覚しました。週末に丸2日間の制作時間が取れれば、先行きを見て仕事を進めます。制作工程のやり繰りは、管理職になって考えるようになりました。まさに自転車操業です。いつまで保てるかなんて考えないことにしました。目の前の小さな目標をクリアすること、休まず焦らず、でも時に焦ることもありますが、休むことはしません。作業の蓄積が成果を生むことを信じてやっていくだけです。
2012.11.16 Friday
先日ドイツから届いた電子メール。それで思い出したことが数々あります。ドイツに住んでいる先輩も当時が懐かしいと言っていますが、自分も同感です。先輩夫妻が来る前から自分は単身でオーストリアにいて、慣れない一人暮らしをしていました。おまけにドイツ語も儘ならず美術アカデミーの講義もわからなかったので、ウィーンの旧市街をウロウロと歩き回っていました。環状道路に囲まれた旧市街は古くて謎めいた路地が多く、磨滅して凹凸になった石畳を何時間もかけて散策しました。当時は寂しいような虚しいような複雑な気持ちで散策をしていましたが、今から思えば散策で何気なく目に触れた光景が、現在の作品構想に一役買っていると言っても過言ではありません。交差しつつ視界を遮断する壁には、時折バロック彫刻による柱やレリーフがあって、中世の佇まいを残しているのが印象的でした。夕暮れになるとバロック建築群は自分が歩く目前に魔物のように立ち塞がり、バタ臭い文化を漂わせているのでした。この堅牢なる都市空間の中で、自分はまるで草藁のような湿った軟弱さをもち、ガラス窓に映った自分は、黄ばんだ肌とのっぺりした風貌をもつ東洋人そのものでした。そんな散策は自己造形イメージ蓄積の恰好な場であったと述懐しています。学生ビザで5年間ウィーンに暮らしましたが、旅行では得られない日々の空気感や古い石造校舎に漂う重厚な雰囲気が今も忘れられません。
2012.11.15 Thursday
オーストリアのウィーンで暮らしていた20代の頃に、大学の先輩夫妻がやってきました。彼は大学で勤務していたのを辞めて渡欧してきたのでした。デザイン系の学科にいたにも関わらず、彼は音楽やオペラにも精通していて、自分はウィーンの音楽環境について彼から教えられることが多かったと記憶しています。まもなく先輩夫妻はドイツのデュッセルドルフに移住し、彼は博報堂に勤務することになりました。自分が帰国した直後に、ドイツから一時帰国した彼と東京で会って旧交を温める機会がありました。その後、音信不通のままでいたら、自分のHPにアクセスがあって、久しぶりに近況を伝えるメールがきました。彼はヨーロッパの街々を水彩で描いて、画家としての活動を自身のHPにアップしていました。ドイツからのメールに嬉しさがこみ上げました。
2012.11.14 Wednesday
「カンディンスキーにとって、調和に至る関係とは、場合によっては一方に服従を強いるものであった。彼は舞踊の他にも、あらゆる芸術手段の“依存”ー例えば、オペラにおける音楽と歌詞、バレエにおける物語と運動などーを否定する。そこに浮かび上がるのは、カンディンスキーの世界観である。彼の考えでは、調和とは、音楽について言えばある音を主音とした調声に支配されて成立するものであり、そうした芸術世界は各要素の服従なしにはありえないものである。カンディンスキーの目指す『記念碑的』芸術としての〈舞台コンポジション〉はそうした単調な世界ではなく、どの要素も支配的地位につくことのない、多調・多彩な総合世界を提供するべきであった。全ての要素が同等の価値を持つものとして扱われてこそ、総合芸術はあらゆる民族・文化に向けられた世界芸術となり、それこそがー現実社会において不可能でもー芸術の『帝国』だけが達成しうるユートピアになると、カンディンスキーは考えたのだろう。」(「青騎士の誕生 カンディンスキーの舞台美術」小林奈央子著 早稲田大学出版部)当時、カンディンスキーが考えていた芸術世界は作曲家シェーンベルクが提唱していた無調音楽も念頭に入れ、それぞれの媒体が主従の関係から解放されて、独立した表現を持つことでお互いに緊張を作り出し、それらを併せたものでした。昨日、自分はNOTE(ブログ)に拡散彫刻のことを書きましたが、彫刻というひとつの媒体であっても、独立した不調和な複数形態がアンバランスな中で作り出す空間が、カンディンスキーの舞台美術と同じコンセプトではないかと考えます。そんなことに思いを馳せながら、現在カンディンスキーの研究書を読んでいるところです。