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  • 横浜の「辻村寿三郎人形展」
    人形師辻村寿三郎はNHKドラマ「新八犬伝」に登場していた個性的な人形によって知りました。当時自分は高校生だったように記憶していますが、夕方放映のTV人形劇に熱中していました。美術を専門とする道に進んだ後も、辻村ワールドに機会あるごとに触れて、とりわけ衣裳の絢爛たる豪奢さと人形の情念のある風貌に目を奪われました。今回、地元横浜のデパートで開催される「辻村寿三郎人形展」は平家物語をテーマにしています。さっそく勤務終了後に時間を作って出かけました。何しろ職場から横浜駅まで歩いていけるので、帰りがけに立ち寄ることが可能なのです。作家は現在79歳ですが、その奔放な制作意欲と枯れることのない表現力に頭が下がりました。おどろおどろしい平清盛とそれを取り囲む群像。布地の渋い美しさ。魂を感じる人形のポーズ。彫刻とはひと味もふた味も違う世界ですが、心にダイレクトに働きかけてくるドラマ性と演じている人物のデフォルメされた面白さは、人形ならではのエスプリに富んだ世界です。平家物語の他に人形による仏像や十二支もあって充分楽しめる展示内容でした。
    銅版画への憧れ
    学生時代、自分はドイツ表現派の色濃い木版画に夢中になっていて銅版画をきちんとやらずに卒業してしまいました。当時、銅版画を制作していた後輩の技法的なアイディアが気に入って、いつかそのアイディアで自分も作品を作りたいと言ったら、後輩は快く了解してくれました。いつぞやのNOTE(ブログ)に書きましたが、工房にエッチングプレス機が置いてあります。古いプレス機を頂いた時に修理にも出し、いつでも版画が刷れる状態になっています。銅版画に対するイメージは、20代後半にウィーンで暮らしていた頃、ギャラリーや書店のウィンドゥを飾っていたウィーン幻想派の銅版画の数々が今だ鮮やかに記憶に残っていて、その精巧な世界から自分なりの発想が生まれ、技法的にも前述したアイディアを凝らして画面構築をしようと思っています。大学の先輩に優れた銅版画家がいて、助言が受けられる環境にあるのも銅版画制作へ自分が掻き立てられる要因です。またRECORDで試みているテーマで銅版画に作り直せるものが結構あるように思えます。必要なのは時間的な余裕だけですが、これが今のところ一番の問題なのです。結局、定年を待たないと無理かもしれず、銅版画に対する憧れは増すばかりです。
    「西洋の没落」に纏わる情報
    「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を読んでいて感じていることですが、自宅に眠る史学や哲学(叔父に中国考古学者がいて、別の叔父がカント哲学者)の専門書と比べると、本書には独特な発想があり、また断定的な言い回しがかなりあります。そのせいかどうかわかりませんが、刊行された当時の風評も様々で、いまだに評価が定まらないと聞きました。しかも2段組み400頁が2巻に亘る大作なので、学者肌でもない自分は否が応でも影響を受けてしまい、罠に嵌ったような感覚を持ちます。文化形態の比較や難解な比喩も多く、それでも自分は面白いと感じているので、これが学界でどう位置づけられているのか知りたいと思っています。ほんの触りだけ読んだ家内はこの独断的な主張に嫌悪感を持ちました。ネットで調べてみると、本書は第一次世界大戦終了後に刊行され、その大戦で西洋が疲弊した様子をシュペングラーが見て、当初の論調を変更して現行になったようです。しかも本書に描かれていた歴史的運命の言い回しが、当時台頭してきたナチスの未来的神話(第三帝国)の捏造に使われたこともあって、問題作とされました。自分は本書全体に散りばめられた比較類推だけではなく、アラビア文化に費やされた内容にも驚嘆しています。世界史を従来の専門書とは異なる視点から捉えた本書は,やはり「独特な」手法による大作としか言いようのない書籍であることは間違いなさそうです。
    西洋の没落「国家」そのⅡ
    「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第二巻を読んでいます。第4章「国家」の、そのⅡとしている副題は「国家と歴史と」です。「国家はその純粋な形式に近づけば近づくほど、絶対的になればなるほど(すなわちすべての他の形式理想から遊離して)、国民の概念は階級の概念に対してますます重要さを加えてくる。そうして国民が国民として統治せられ、階級がただ社会的区別を表示するにすぎない瞬間がくる。文化の必然であって、不可避的であり、取り消し得ないものであるこの発展に対して初期の勢力である貴族身分と僧侶身分とがもう一度反抗する。かれらのためにはすべてが英雄的なことと宗教的なものとが、古い権利が、品位が、血が賭けられている。」「西洋の国家世界においては市民的な階級政治の両面、すなわち理想的と現実的側面はイギリスにおいて最高の訓練を受けた。第三階級が専制国家を破壊してその残骸の上に自己支配権を建設するために、この専制国家に対して断固たる行動に出る必要のなかったのは、イギリスにおいてだけできたことである。第三階級は第一階級の強い形式のなかにはいって成長し、そのなかに完成された利益政治を見い出し、またその方法として自己の目的にとってそれ以上望むところはない程完全な古い慣習による戦略を見い出したのである。」この章では国家が形成される過程が、中国を含めた世界的視野と比較でもって書かれています。
    早朝と夜の工房での制作
    昨日は休日出勤があったため朝5時過ぎから8時までの2時間半程度の制作を行いました。その気になれば早朝でも作業は進みます。ただ、疲れが残って昨日は職場から帰った夜に工房へは行けませんでした。制作は気分としての作用が大きく、とりわけ夜工房に行く習慣はなかなかつきません。仕事から帰った後で気力が多少残っていれば工房に出かけますが、日常的に工房に通うのは厳しいなぁと思います。制作は作業を始めるまでの気持ちの持ちようだと思います。公務員として就職をしたばかりの頃は、制作をしたくても出来ずイライラが募りました。時間があっても何故か制作に気持ちが向かわなかったのです。やりたい、でもやれない、このままずっと何もせずに時間が過ぎてしまうのかという不安がいつも付き纏っていました。それは休日を休日として過ごすことに対する自分にしかわからない不安です。仕事に慣れてきて、曲がりなりにも制作を始めた頃に、ようやく不安が解消され、現在の二足の草鞋生活がスタートしました。次の段階としてやってきたのが、時間のやり繰りで、週末だけではやりきれない制作量に立ち往生する現在の日常です。早朝と夜の工房通いを目標に、気持ちを強く持とうと自分に言い聞かせている毎日です。