2012.09.09 Sunday
今年3月までいた職場でも大がかりな地域防災拠点訓練を行っていました。現在の職場は横浜駅近郊にあり、都会の中心だけあって地域防災拠点や医療拠点になっています。有事があれば職場を被災者のために開放します。東日本大震災の時も帰宅困難者を一時受け入れたという話を聞きました。今日は地域防災拠点としての訓練を行いました。仮設の防災用トイレの設置や防災用電話の使用方法、AEDの使用方法などグループに分かれて実施しました。昨今の事情を考えると真剣にならざるを得ない事情があります。私たち職員も参加して、有事の時は何をするべきか考える一日となりました。
2012.09.08 Saturday
週末になり、朝から工房で制作三昧です。まだまだ暑い日が続いていて、土練りやタタラ作りに汗を流しています。毎週制作工程に追われるような気分で作業に精を出していますが、時に何が楽しいのか、自問自答をして虚しさを感じることもあります。そんな時に後輩の若い彫刻家が工房に訪ねてきました。彼は二科展に木彫作品を出品している気鋭の作家です。自分と同じ二束の草鞋生活で、年齢の違いこそあれ、お互い励ましあって制作をしている仲です。彼は今年の二科展の案内状を携えてきたので、午後時間を作って家内と東京六本木にある国立新美術館に出かけました。二科展では大変いい刺激をもらいました。彼の作品は昨年より完成度が高く、また勢いがありました。ウネウネと這う蔦のような形体が全体を引き締めていました。今夏集中して取り組んだ様子も覗えました。植物的発想から動物的生命体になりつつあって何か得体の知れないものが誕生する予感を感じさせる作品でした。来年が楽しみです。自分も来年の個展では昆虫のような生命体を作ろうとしているので、何か共通する意識を感じました。虚しさなど感じてはいられない、頑張って陶彫に取り組まなければならないと感じた一日でした。
2012.09.07 Friday
「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第二巻を読んでいます。第2章「都市と民族と」のそのⅢとした副題は「原始民族、文化民族、フェラッハ民族」です。部分的な引用をいたします。「土着住民は決定的な多数となって~略~弱者が故郷を失うことが問題となる。かれらは自己を防衛しなければならないか、それとも新しい土地を獲得しなければならない。空間はもう一杯になっている。どんな種族も、あらゆる側面とたえず接触しないでは生きられないし、いつでも気を配って抵抗しようとする用意をしないでは生きられない。戦争という苛酷な必然は男を訓育する。民族は民族に接触、対抗しつつ内的偉大さにまで成長する。武器は人間に対する武器となり、動物に対するものでなくなる。」「(民族)の形態学の本質が認められるやいなや、歴史の民族の流れのなかに内的秩序が発見される。民族とは、言語的単位でも、政治的単位でも、動物的単位でもなく、魂的単位である。」この章では、民族の世界史的視野による移動や興亡が書かれています。点在していた原始民族が、現在の民族に落ち着くまでの考察が述べられていて、理論の奥行の深さを感じながら読み解きました。
2012.09.06 Thursday
海外に住んでいた頃、日本から友人知人が来ると、観光名所や隠れた名所を案内するのが楽しくて有頂天になっていた時期がありました。おもてなしの心はとても気持ちがいいと感じていましたが、逆の立場でもてなされるのもとても気持ちがいいと気づきました。その頃、社会主義圏だったルーマニアに出かけ、小さな村々を渡り歩いていた時に、農家から招かれて、もてなされた思い出が数々あります。当時のルーマニアは都市よりも農村の方が裕福な印象がありました。彼らは収納庫からありったけの材料を出してきて、料理を振舞ってくれたのでした。物資配給制の時代に信じられない光景を目の当たりにして、おもてなしの心の真髄がわかった気がしました。日本でも客人を招いて料理を振舞うのが自分は大好きですが、今は余裕がなくてそれが出来ません。言い訳かも知れませんが、二束の草鞋生活では時間がなさすぎます。本来の自分なら、こんな器にあんな料理を盛り付けたいとか、料理の組み合わせや演出も考えたいところです。経済的に余裕のなかった若い頃にやっていたことが、今は経済的な余裕があっても出来ないなんてどういうことだろうと思ってしまいます。定年退職したら、客人をもてなす心が再び甦ってくるのでしょうか。日々の決まりきった食事を前にして、そんなことに思いを巡らせました。
2012.09.05 Wednesday
手元に「月歩き」(庄司利音著 新風舎)という詩画集があります。詩人の庄司利音さんが詩も絵も手がけたもので、詩は絵の説明ではなく、絵は詩に付随するものでもありません。詩と絵が別々の世界観をもち、2つの表現媒体が有機的に結びつき、ひとりの作家の内面を表出させるものとなっています。「月歩き」に解説はありません。「あとがき」も「あとがき」を装った詩なのです。2つ以上の表現媒体がなければ自己を捉えられない作家がいる一方で、ひとつの表現を深めていく作家もいます。自分は学生時代に絵画や詩に興味を持ちましたが、詩があまりにも拙かったため、視覚的な表現を学ぶことにしました。絵画的なものから建築的なものへ進路選択が移り、さらに工業デザインから彫刻へ、という変遷の中で、たどたどしい足取りで詩のようなコトバを綴っていたのでしたが、コトバが表現まで高まることはありませんでした。20代後半になって漸く彫刻だけを深めていきたいと願い、立体イメージに憑かれました。ところが作業できる場所がなく、版画や油画で代用することになりました。彫刻ができる環境を手に入れた今では、むしろ積極的に複数の表現媒体を使って自己表現をしたいと考えています。RECORDでは平面表現を、ホームページの画像には30年前に拙いと感じたコトバを、それぞれ復活させています。やりたいことはまだまだあって、かつて取り組んだ版画に未練があります。環境を考えた野外造形にも興味があります。今後は複数の表現媒体を楽しんでいけたらいいなぁと思っています。