2012.08.30 Thursday
「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第二巻を読んでいます。第2章「都市と民族と」に入り、そのⅠとした副題は「都市の魂」を主題にするものです。都市とはいかなるものか、その発生から没落に至る経緯が様々な観点から述べられています。気に留めた箇所を書き出します。「原始の人間は流浪する動物であり、その覚醒存在が一生を通じて休みなく模索する現存在であり、純然たる小宇宙であって、場所にも束縛されず、故郷もなく、鋭敏で臆病な感覚を持ち、たえず敵である自然から何物かを取ろうとしているのである。深い変化は農業とともに初めて生じた。ーというのは、これは漁師にも牧人にも全然縁のない人為的なものだからである。耕したり、鋤いたりする者は自然から強奪しようとするのではなく、自然を変えようとするものである。植えるということは何物かをとることではなく、何物かを生み出すことである。しかしこれとともに人間自身植物になる。すなわち農民になるのである。人はその耕すところの地面に根をおろす。」「文化の初期時代が都市といなかとの争闘を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである。根もなく、宇宙的なものに無感覚となり、そうして不可避的に石と知能の手に落ちた文明は、自己の本質のあらゆる特徴を再現する一つの形態語を発生させる。」
2012.08.29 Wednesday
今夏、石川県金沢に出かけた目的のひとつは金沢21世紀美術館を見てくることでした。昔、金沢を訪れた時には金沢21世紀美術館はありませんでした。美術館は兼六園に近い場所にありました。円形をした開放的な建物は、いかにも現代美術を体験するのに相応しい環境でした。企画展は「工芸未来派」展で、現在活躍している工芸家の作品を堪能できました。工芸と彫刻はどう違うのか、かつて工芸は日常品として使われるものを示しましたが、現代では境界がはっきりしなくなっています。技巧的な部分で工芸の面目躍如たる高度な技術をもつものがあり、これこそ工芸と思いきや、素材のもつ可能性に挑むもの等があって、「工芸未来派」展では様々な機微に富んだ造形が見られました。彫刻との境界は定かでなくなっている昨今ですが、自分は最初の発想から空間の捉え方が何となく彫刻と工芸では違っているように思えます。工芸の中には限りなく彫刻に近い造形もあります。またその逆もあります。自分は陶を使うので工芸家の友人に教えを乞う場面があります。でもこの場合は陶を陶芸ではなく彫刻の素材として扱っているので、焼成で無理なカタチがあって失敗も少なからず生じます。そう考えると工芸は「初めに素材ありき」なのかもしれません。今回の展覧会で気に留めた作品は、中村信喬氏の綿密に細工された陶人形と、野口晴美氏のアニミズム的な陶彫です。そう書いていくと自分の気に留めた作品はいずれも彫刻的な要素が強いものであることに改めて気づきました。
2012.08.28 Tuesday
先日、金沢を訪れた際、石川県立美術館に立ち寄りました。当初予定にはなかったのですが、ホテルのロビーにあった「田中一村展」のポスターを見て、即座に行こうと決めました。田中一村の日本画はいろいろな機会に見ています。とりわけ奄美大島の動植物を描いた斬新な日本画が自分は大好きで、それに纏わる本も読んでいます。今回行こうと決めたのは田中一村の天井画が展示されていることを知ったためです。薬草を丹念に描いた49枚の板絵は、その1点1点の構図が植物のカタチから割り出されたものと思われ、その卓抜した画面構成に見入ってしまいました。石川県宝達志水町にある小さなお堂にあったその天井画は随分長いこと忘れ去られていたようで、板絵の痛みも激しく修復に苦労された状況が資料写真で伝わりました。一村が本腰を入れて描いた小さな何気ない薬草が清々しい姿で登場し、一瞬夏の暑さを忘れさせてくれるようでした。
2012.08.27 Monday
「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第二巻を読んでいます。「起源と土地と」そのⅢとした副題は「諸文化の関係」です。ここでは法律史に多くの紙面が割かれており、法律思想が政治的、経済的利害に関係を持ち、それぞれの地域や時代の求めに応じた概念としての歴史が描かれています。時に神託として、また市民創作の産物として受容され、法律学は永遠の根本概念を仰いでいる唯一の科学として論じられています。文面を引用いたします。「根本動機としてわれわれの法律史のなかを一貫しているものは、書物と生活との戦いである。西洋の書物は神託でもなく、魔術的な秘密な意味ある魔法の文句でもなく、一片の圧縮された歴史である。それは未来であろうと欲し、しかもわれわれ読者のうちにその内容を復活させ、そのわれわれによって未来であろうと欲する圧縮された過去である。」「全法律思想を高等物理学および数学の類推によって転換することは、未来の要求となる。社会的、経済的、技術的生活の全体は、ついにこの意義において理解せられるのを待ちつつある。われわれはこの目標に到達するためには、1世紀以上も非常に明敏な、非常に深い思考を必要とする。そうしてそのために必要なものは全然異種の法学者の準備教育である。その要求するところは、1.現代の経済生活における直接な、広いそうして実際的な経験。2.ドイツ法イギリス法およびロマン法の発達をたえず比較した上においての西洋の法律史の正確な知識。3.今日有効な概念の模範としてではなくいかに法律が時代の実際的生活から純粋に発展するかということの輝かしい実例としてのギリシャ・ローマ法の知識。」
2012.08.26 Sunday
何も今日に限ったことではありませんが、今日も朝から工房には暑さが篭り、陶土の乾燥が進んでいます。この酷暑はいつまで続くのか、それによっては制作にも影響が出てきます。今日は若い世代の子たちがやってきて、この酷暑の中で絵を描いていました。この暑さで昼に作業を止めにして工房を出ました。若いスタッフの一人は9月に展覧会を控えています。展覧会には畳大のペン画を2点出す予定で、ずっと工房で描き続けていたのです。今日それが完成し、額装の準備をしていました。もう一人の子は、国家公務員を続けながら美大の夜間部に通う努力家です。油画専攻ですが、自分と同じ二束の草鞋を履いて創作活動をしている子です。2人とも相原工房が支援している画家の卵たちです。それにしても今日の暑さも制作が滞る気温で、無理をしないように早めに切り上げました。涼しくなることを願いつつ自分は制作の遅れを心配しています。今月は工房にいるだけで頭がボーとしてくることもあったので、秋に制作の遅れを取り戻さなければなりません。来月は公務員としての仕事が本格化する中で、制作の方も厳しくなりそうな気配です。