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  • 12‘個展の最終日&搬出
    今年の個展が最終日を迎えました。職場のひとたちや上司夫妻にも来ていただきました。来客が途切れることなく続いたのが何よりも嬉しいと思いました。声楽家の叔父夫妻が「陶紋」を所望してくれて1点売れました。自分が仕事で来ることができなかったウィークディにも多くの方に来ていただいたようで、芳名帳を見て感激しています。本当に有難うございました。毎回思うことですが、わざわざ銀座に足を運んでいただいた方々には感謝に堪えません。個展も7回目ともなれば、多少慣れてきてもいいはずですが、懐かしい人や新たにいらした方々に接していると新鮮でワクワクした気持ちになります。鑑賞された方が自由に感想を述べていただいていると、こんな発想もあったのかと我ながら驚くこともあります。それらが全て自分の糧になります。搬出は毎回作品をお願いしている業者が、手際よく作品を梱包して荷台に積み込んでくれました。18時半にギャラリーせいほうを出て1時間あまり、作品は工房に戻ってきました。また来年も「海の日」から始まる個展を企画していただきました。新作は明日から制作再開、1年後は8回目の個展です。よろしくお願いいたします。
    創作意欲を掻き立てるモノ
    夏を迎えて夏季休暇を楽しみに毎日を過ごしています。5日間の夏季休暇を自分は連続して取ることはできませんが、どこかに出かけて気分転換をしたいと考えています。家内は温泉や食事に一般的と言っていい程度の拘りを持っていますが、自分のあまり乗り気でない様子を見て、せっかくの休みをどうしたいのか聞いてきます。自分は創作意欲を掻き立てられるモノに出会えれば満足で、それが最高の気分転換になります。短絡的には美術館に行って、創作されたモノ(作品)を観るだけでもいいのです。ただ、創作意欲を掻き立てられるモノというのがなかなかの曲者で、絵画や彫刻なら何でもいいという訳にはいきません。自分にとっての創作意欲を掻き立てられるモノとは何か。それは作品に限らず、風景であったり、環境であったりします。休みと言えども主体的に関われるモノ、自分の中に取り込んで創作の糧となるモノ、そんなことを考えているのは自分だけなのかもしれません。休みは何もしないでボンヤリ過ごすという人も多い中で、自分は創作行為から離れられない性があります。
    原宿の「FMダイニング カフェバー」
    家内の従兄弟で音楽活動をやっている人がいます。彼が関わっているレストランバーが東京原宿にオープンしたので、今日はそのレセプションに行ってきました。家内は銀座のギャラリーせいほうに来客の接待に出かけ、私は職場から勤務時間終了とともに東京にやってきました。私は職場のある横浜から渋谷へ、家内は個展会場である銀座から渋谷へ向かい、渋谷ヒカリエで落ち合いました。JR原宿駅より歩いて10分くらいのところに「FMダイニング カフェバー」がありました。ボツワナ大使館に勤務している家内のもう一人の従兄弟も駆けつけてきて、レセプションでごった返す店内で久しぶりに楽しいひと時を過ごしました。彼は最近オリジナル曲を収録したCDを出していて、それをプレゼントしてくれました。おまけに今日は無料の飲み放題、食べ放題の大盤振る舞いで、店の経営が心配になるほど人が集まってきていました。ここで店の宣伝をしておきます。「FMダイニング カフェバー」東京都渋谷区神宮前2-31-7(1F)11:30~15:00ランチ 15:00~18:00カフェ 18:00~23:00ディナー&バーになります。お近くへ行った際は是非お立ち寄りください。
    アポルロン的魂とファウスト的魂
    「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を読んでいると、ギリシャ・ローマ文化と西洋文化の相違があらゆる場面で比較されています。簡単に言えば見たままを静的に表し、本書の語彙を使えば彫塑的と言えるギリシャ・ローマ文化をアポルロン的魂と呼び、その一方、過去や未来を空間として動的に捉え、本書の語彙を使えば音楽的と言える西洋文化をファウスト的魂と呼んでいます。こうした洞察は自分にとって初めてのことで、ギリシャ・ローマ文化と西洋文化の間に確固たる溝が存在していたことに改めて驚いています。確かにギリシャ彫刻には表情がなく、悲劇を初めとする演劇表現は単調で形式的です。それに比べて例えばシェイクスピアの劇では心理的で情念としての葛藤があり、それ故人物描写には立体的な陰影が存在します。先日のNOTE(ブログ)でゲーテによる壮大な戯曲「ファウスト」を取り上げて、その粗筋等を簡単に書いたのは、本書に度々登場するファウスト的魂とは如何なるものかを改めて自分が確認したかったためです。そうしたことを踏まえてヨーロッパに行ったなら見るものや接するものが変わっただろうと思えます。20代の渡欧前に「西洋の没落」を読破できなかった自分に悔いがありますが、今後ヨーロッパに行ける機会があれば、西洋文化の成り立ちを彼の地で考えてみたいと思っています。
    西洋の没落「魂の像と生命感情と」そのⅡ
    「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)第一巻が後半に差し掛かりました。今月いっぱいで第一巻が読み終えるかどうかですが、第二巻も間髪を入れずに読んでいこうと思います。さて、今回「そのⅡ」としたところは「仏教、ストア主義、社会主義」という副題がついた箇所です。また、気に留めた箇所を抜き出して掲載いたします。「社会主義ー市井における意味ではなく、その最高の意味におけるーは、あらゆるファウスト的理想と同様に排他的理想である。この理想が通俗化したことは、その代弁者さえこれを完全に誤解したためだ。すなわち社会主義は義務の合計ではなくて権利の合計であるとされ、カント的無上命令の強化ではなくてその廃棄であるとされ、方向エネルギーの緊張であるとされたからである。」「ストア主義は未来と過去とに関係なく、あるいは他人に関係なく、個人の態度に向けられ、彫像的な、純然たる現在的存在に向けられた。社会主義は、この同じ主題を動力学的に取扱うのである。同じく防衛であるが、態度の防衛ではなく、生活の達成の防衛である。遠さに向かう強力な攻撃的推進をもって未来全体にひろがり、唯一の方法に服従すべき人間の全大衆にひろがってゆく防衛である。仏教とキリスト教とを比較することができるとするものは宗教研究のディッタレントに過ぎない。仏教というものは西洋の諸言語の言葉によってほとんど再現することのできないものである。ただストア的涅槃について論じ、ディオゲネスの姿を例にあげることは許される。社会主義的涅槃の概念もまたヨーロッパ的疲労が生存競争からの逃避を目差して、これを世界平和、人道および四海同胞等のような合言葉に託する限り、是認されるべきである。」