2012.07.26 Thursday
今年の年賀状は、以前のRECORDに描いた龍を使いました。RECORDはポストカード大なので、そのまま絵手紙にもなるのです。そこで、来年の干支である巳(つまり蛇)の絵を今年中に描こうと思っていました。そこで昨日までの5日間で蛇の絵を描きました。今月のテーマは「束縛」なので樹木に絡みつく蛇を描いたのです。家内は蛇が苦手なので、もっと象徴的にして欲しいと言われましたが、結局具象傾向の作品になってしまいました。ただ、鱗などは象徴化していて生々しい感じを控えています。5日間で展開するRECORDなので、5匹の蛇の姿態があります。これを今年の暮れにひとつだけ選ぼうと思います。年賀状は例年木版画に拘ってやってきましたが、今年からRECORDの1点を撮影して年賀状にすることにしました。昨年から始めたRECORDの十二支シリーズですが、楽しみながら作っていこうと思います。
2012.07.25 Wednesday
「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第一巻を読み終えて、第二巻へ突入しています。第一巻ではギリシャ・ローマ文化のアポルロン的魂と西洋文化のファウスト的魂、それに東方のマギ的魂を加えた3本の柱を中心にした広義に亘る哲学的な洞察が展開していました。自分はとりわけ造形美術の論理に過敏に反応し、ルネサンスやバロック、ゴシックの捉えを考え直す契機になりました。第二巻では「起源と土地と」「都市と民族と」「アラビヤ文化の諸問題」「国家」「経済生活の形式界」の章があります。今年の夏は「西洋の没落」第二巻の読破を目標にやっていきたいと思います。実を言えば「西洋の没落」は若い頃から書棚に仕舞い込んでいた書物で、今まで2回チャレンジし、途中で放棄してしまった経緯があります。第二巻に進むのは3回目にして初めてのことです。シュペングラーが再三引用しているゲーテ、カント、ニーチェら西洋の学問体系を構築した文豪にも興味が沸きます。それら人物の成し得た功績の概略しか知らない自分は、少なくとも代表作くらいは読んでおきたいと思っていますが、先日他界した量義冶叔父はカント哲学を専門とする学者でした。叔父の著したカント哲学の書物が自宅にありますが、その難解さに幾度となく辟易して、これも「西洋の没落」同様に書棚の埃に塗れています。専門書に手を出すのは、よほどのことがない限りやめておこうと思った次第です。平易に書かれた書物があれば、それで西洋の学問体系を一応押さえておきたいと、その程度で考えることにしました。ともあれ「西洋の没落」第二巻をじっくり読んでいきたいと思います。
2012.07.24 Tuesday
今回の個展に出品した「陶紋」のひとつを叔父が購入してくれました。今日は自分の勤務終了後に「陶紋」を携えて叔父宅に行きました。叔父は声楽家です。叔父の家にはヨーロッパの品々が多く展示されています。1階にはプライベートのレッスン室があり、2階には個人住宅にしては立派なホールがあります。そこには叔父が若い頃小澤征爾と共演したオペラの写真が飾ってあります。そんな居住空間に自分の作品が合うかどうか少々不安もありましたが、収まるところに収まって良い雰囲気になりました。叔父は「陶紋」の中に蝋燭を入れて照明を落として楽しんでいました。叔父の声楽もそうですが、自分の作品も心に潤いを齎すものだと思います。自分はそんなことを考えて作っていませんが、生活の場に作品が置かれると空間が変容してきます。西欧にはバロックやロココの彫刻等が周囲の空間に馴染んで存在していますが、現代日本の居住空間にも石や木や陶の立体作品があってもいいと感じました。それは照明を内蔵するものであっても、単なるオブジェであってもよいと思います。モノを飾ったり装う伝統は日本にもあります。そこには日本独特の美意識があって、モノの価値変容も認められ、それが禅思想と相俟って、西欧に影響を与えています。そんなことを思いながら、叔父宅に見事に収まった「陶紋」を見ていました。
2012.07.23 Monday
表題は「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)第一巻の最終章です。この章に副題はなく、これが第一巻全体のまとめになっています。ようやくここまで辿りつきました。表題にあるファウスト的~とアポルロン的~は、先日NOTE(ブログ)にも書いた通り、西洋史の中で根本概念が異なるものとして、その比較論が本書全体に亘って述べられていると言っても過言ではありません。また気に留まった箇所を抜き出します。「ギリシャ・ローマ的人間の『自然』は、裸体像をその最高の芸術的象徴としていた。それから当然生ずるものは体躯の静力学、すなわち近さの物理学である。アラビヤ文化に属するものはアラベスクと回教寺院の空洞状の丸天井である。この世界感情からは『哲学者の水銀』のような神秘的作用のある本質に関する観念とともに錬金術が生じた。『哲学者の水銀』とは物質でもなく性質でもないのであって、魔術的に金属という色彩的存在の基礎をして、そうして一金属を他金属に変えさせる力を有するものである。最後にファウスト的な人間の『自然』は、無限界空間の動力学、すなわち遠さの物理学を生じさせた。こうしてギリシャ・ローマに属するものは質料と形相との観念であり、アラビヤ文化に属するものは全然スピノザ的に、実体とその顕在的なあるいは秘密な属性との観念であり、西洋文化に属するものは力と質量との観念である。アポルロン的理論は静かな瞑想であり、マギ的理論は錬金術という『恩寵の手段』ーここでもまた力学の宗教的起源が認められ得るであろう。-に関する沈黙の知識であり、ファウスト的理論は最初からして作業仮説である。ギリシャ人は目に見える存在の本質を尋ね、われわれは『成ること』という目に見えない原動力を支配し得る可能性を尋ねる。前者はつつましく外貌のなかに沈潜し、われわれは無理にでも自然に尋ねる。すなわち方法的実験をなすのである。」この引用文では第一巻のまとめにはなりませんが、この遠大な本書を一言でまとめようとすれば自分の力不足を露呈する結果になります。もとより乏しき知識で読み始めた本書ですが、20代の頃よりは現在の方が多少なりとも論理に入り込める感覚が持てることが嬉しいと思います。第二巻も引き続き通勤の友にしたいと考えています。
2012.07.22 Sunday
昨日で最終日を迎えた東京銀座での個展。今日は朝から脱力感がありました。身体が動かない中で朝から工房に出かけました。自分は今日は絶対に休まないと決めていました。今までの個展に囚われてはならないと思っているのです。今日は新作の作業に没頭して頭の切り替えをしたいと考えました。しかし作業を始めてみると、困難な作業に気持ちが入らず、これを来週に回すことにしました。そこで今日は単純作業である土練りを行いました。新作の成形に使う陶土が無くなりつつあるので、そろそろ栃木県益子から陶土を取り寄せなければなりません。今日は7月にしては涼しい一日でしたが、土を練りだすと汗が噴出しました。今年もこんな作業が当分続いていきます。地道な作業工程ですが、作品は一夜にしてならず、一気呵成もありえず、来年5月を目指して一歩ずつやっていこうと思います。今の職場で事務をやりながら家具職人として勉強をしている人がいて、夕方はその展示会に行ってきました。自分と同じ二束の草鞋を履いている人です。こういう人がいるから自分も頑張れると思った一日でした。