2012.07.06 Friday
最近見た夢の話です。どこか美術系大学の敷地の片隅のような場所に自分の作品が置いてありました。コンクリートの建物の庇の下にちょっとしたスペースがあって、そこにシートで覆われた巨大な直方体がありました。シートを取り除くと、壁の一部を切り取ったような作品が現れました。素材は石なのか木なのか鉄なのか認識はできませんが、機械の一部のような彫り込みがあって、それは確かに彫刻でした。作りかけの作品は、自分の意欲を掻き立て、そこに留まらせてくれないパワーを放射していました。完成を願っても完成を許さない造形。今一歩のところで作り込みを拒否する造形。そんな作品が夢の中に現れています。イメージの源泉はどこから来るものでしょうか。現在取り組んでいる新作屏風にも通じるものがあるのでしょうか。連なる壁のイメージは度々自分の頭の中に登場してきます。自分は、それだからといってそのイメージをエスキースとして描き留めることはしていません。頭の中を自由に去来できるようにしているのです。そのうちイメージが熟してカタチとして具現化する時がくると信じています。
2012.07.05 Thursday
表題の本書の持つ難解な論理に慣れてきたとは言え、いまだ理解に苦しむ箇所も多々あります。朝の通勤時は比較的頭に入り、夜の帰宅時はボンヤリと目で文面を追うだけになってしまいます。「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の「そのⅡ」としたところは「裸体と肖像と」という単元です。裸体と肖像の関係を述べている箇所を選び出します。「アポルロン的な人間理想とファウスト的な人間理想との対立を要約しよう。裸体と肖像との関係は、体躯と空間、瞬間と歴史、前景と背景、エウクレイデス的な数と解析的な数、量と関係との関係と同じである。彫像は地のなかに根をおろし、音楽はーそして西洋の肖像は音楽であり、色調から編み出された魂である。ー無限界の空間に浸透する。フレスコ画は壁に結びついて、これに癒着している。油絵は額面画であって、場所の制約を受けない。アポルロン的な形態語はただ成ったものだけを現わし、ファウスト的な形態語は、とくに成ることさえも現わしている。」さらにこの単元ではルネサンス芸術についても言及しています。「これら偉大な三人はそれぞれのやり方で、それぞれ特有な悲劇的な彷徨のなかに、メディチ的な意味においてギリシャ・ローマ的であろうと企て、そうしてそれぞれ異なった面で、夢を壊したのである。すなわちラファエルロは大きな線を、レオナルドは表面を、ミケランジェロは体躯をこわしたのである。彼らにあっては魂が迷ったあげく、自己のファウスト的な出発点に戻っている。」ここで自分が気に留めた箇所を抜き出します。それはミケランジェロの彫像に関する文面です。「ミケランジェロが大理石の租塊に手をつける熱情的な方法はみな知っている。彼は石に近づくのに、彫ろうと欲した像のあらゆる面から近づくのではない。ミケランジェロは空間のなかに彫りこむように、石のなかに彫りこんでいった。そうして正面から始めて、層一層と石塊から材料を取り除きながら、奥深く彫り進んでいって一つの姿を作り上げた。一方、四肢はゆっくりと魂のなかから現れてきた。人は生き生きとしている形を通して、成ったもの、すなわち死を捕えようとする。その成ったものに対する世界の怖れが、これよりもはっきりと表現され得たことはなかった。死の象徴としての石に対し、そのなかにある敵意のある原理に対して、これほどまで内的で、同時にまたこれほどまで強制的な関係を持っていた西洋の芸術家はミケランジェロ以外にはない。」
2012.07.04 Wednesday
現在「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)という人文・自然科学全般に亘る広義な洞察を下敷きにした「世界史」という哲学をとつおいつ読み砕いています。最近はずっとこんな論理に囲まれているので、単純で感覚的なコトバに出会うとハッとすることがあります。書店で何気なく手に取った本に、胸のわだかまりがとれたような内容があって思わず購入してしまいました。これは僅かな時間でサクッと読める本ですが、凛とした勇気がもらえます。「堀文子の言葉 ひとりで生きる」(求龍堂)は、90歳を過ぎた女流日本画家が書いた散文のような詩のようなコトバが連ねてあります。「群れない、慣れない、頼らない、これが私のモットーです。」「刻々と失われていく心身のエネルギーの目減りを防ぐのは、自分自身の力でしかできないことだ。人の助けで埋められるような生やさしいものではない。」「泥水をかきまわし、その混沌のなかから顔を出すようにしていつも私の絵は生まれてきた。人は必ずその絵の意図や説明を聞きたがるが、『こうなってしまった』と答えるしかない。私の作品には意図も主張もない。」等々。「西洋の没落」読書中のちょっと寄り道で、コーヒータイムといったところです。
2012.07.03 Tuesday
自分の創作活動の際に参考資料としている書籍をNOTE(ブログ)で公開してしまうのには抵抗がありますが、創作イメージの源泉は必ずしもこの書籍だけではないし、模倣もあり得ないので、「生物の進化 大図鑑」(マイケル・J・ベントン他 監修 小畠郁生 日本語版総監修 河出書房新社)を取り上げることにしました。これは厚い書籍ですが、古生物から人間の誕生に至る画像が大変美しく、とりわけ恐竜の骨格やその発掘調査の場面は見ていて飽きません。骨のカタチの美しさを以前のNOTE(ブログ)に書いた記憶があります。今回作っている新作屏風は生物的なイメージがあるので、本書は参考資料として自宅では片時も離さず手元に置いて折に触れて眺めています。古生物学者によれば、骨格や殻が化石になって残っている場合は問題はなく、むしろ残骸が失われた生物がどのくらい存在していたかが問題だそうです。それを考えると動植物をはじめとする生物の多様性は、私たちの想像をはるかに超えているように思います。現代のテクノロジーによって古代の謎が少しずつ解明されていく様子は、それを知るだけで心がワクワクしてきます。同時に人間も地球の一部であると改めて認識し、長い地球史の中で破壊を繰り返す新参者の人間の暴慢さが浮き彫りになってきます。人間も時代とともに骨格が変化しています。二足歩行を始めた頃から比べると身体は華奢になり、近い将来は環境適用もできなくなるのではないかと思いつつ、人間も自然のサイクルによって誕生と死滅を辿るのかと思いを巡らせています。日々の雑務から離れてそんなことを考えました。
2012.07.02 Monday
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作って「RECORD(記録)」と称しています。今年は漢字二文字のテーマを月ごとに掲げてやっています。今月は「束縛」。現代社会では束縛を受けることが多く、手枷足枷の中で生きている感覚はあります。それに慣れてしまっているためか拘束があったほうが気が楽なところもあります。日々の労働は、組織であればなおさら、そうした拘束の上に成り立っていると言っても差支えありません。束縛はさらに具体化したもので、仕事に限らず私生活でも起こりうるものです。人間関係があれば、お互いの位置や距離をはかり、その強弱はあっても束縛する行為が皆無とは言えません。束縛は精神的な面が大きく、場合によってはメンタルな問題を孕んでいます。創作人生全般を通して「束縛」を象徴的意味として捉える作家もいます。RECORDでは、たかだか1ヶ月のテーマに過ぎませんが、象徴となりうるように頑張ってみようと思います。