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  • 南魚沼産コシヒカリ
    横浜から数時間で新潟県南魚沼市の舞子高原にやってきました。南魚沼はやはり「コシヒカリ」が有名で、このコシヒカリが誕生するには様々な苦労があった話を宿舎のご主人から聞きました。ここの「コシヒカリ」は炊きたてはもちろん、ご飯が冷めた時も美味しいと言われ、宿舎でおにぎりを作っていただきました。時間をおいて冷めたおにぎりを食べたら、なるほど美味しいのです。そればかりではなく山菜の美味しさも特筆に価します。米は日本人の主食で、米の美味しさがわかることが世界の食通に通じると自分は思っています。自分の舌は米によって培われたものだとさえ思います。朝に昼に晩に「コシヒカリ」を食べました。白米で単純に焚いたものが一番美味しさがわかるような気がします。基本中の基本です。冷えてもふっくらとしてモチモチした歯ごたえを味わえたことが大きな収穫でした。
    明日は地方に出張
    明日は地方に出張です。新潟県南魚沼市に出かけます。NHK大河ドラマの舞台になっているところなので、かなり盛り上がっているのではないかと思います。自分は「魚沼産コシヒカリ」に魅かれます。宿で出る食事のご飯はきっと美味しいのではないかと期待しています。横浜の職場を離れるのは気分が変わっていいかもしれません。私は新潟県に行ったことがありません。仕事とは言え楽しめるところは大いに楽しんでこようと思っています。  Yutaka Aihara.com
    イメージする力を保つ
    創作活動から離れていると、イメージする力が衰えてきます。美術の制作であれ詩作であれ、それは同じです。イメージする力は漫然と生きていても、なかなか身につくものではなく、常に何事かをイメージしようと心がけていなければ出来ません。作品作りが佳境を迎えるときに、何か別の世界が見えてきたり、制作途中の作品の発展したものが忽然と現れたりします。心が何かを求めている最良の状態と言えます。コトバは自分にとって困難な表現のひとつですが、詩を作るのも同じではないかと思います。コトバがいつも心に用意されていないと、詩が生まれてこないのかもしれません。イメージする力を保ち続けること、モチベーションを下げないようにしたいと考えながら、職場を後にして帰宅しました。                  Yutaka Aihara.com
    「金属」という素材
    私の学生時代、ちょうど彫刻を始めた頃は野外展が華やかで、都市計画と連動して街の中に彫刻が置かれ始めた時代でした。鏡面のように磨いたステンレススティールの構成的作品が街の風景を映し出して、現代の空気を人々に伝えていました。高層ビルの庭には金属の巨大彫刻がよく似合います。自分の通っていた大学にも金属を素材に作品を作る売れっ子彫刻家が教壇に立っていました。自分は塑造をやっていたにも関わらず、そうした彫刻の潮流に浮き足立っていました。でも自分のイメージは錆びた鉄製の古い工場のようなところに向けられていて、どうもそういう泥臭い世界が自分にとって意欲を感じるものでした。溶接の資格を得たのも鉄で作品を作りたかったためでしたが、ずっとかなわぬ夢で今まできてしまいました。金属、とりわけ錆鉄は自分には憧れの素材です。憧れているからこそ未だに手が出せません。自分の作り出す陶彫は錆鉄のようだと人に言われます。これを鉄で作ったら当たり前だから逆につまらなくなるとも言われます。それでも鉄で作品が作りたいと願っている自分がいます。溶接の資格はとっくに無くなってしまい、時間が出来たら、もう一度講習を受けなおそうと思っています。     Yutaka Aihara.com
    無限に繰り返す力
    昨日、アーティスト草間弥生の作品に触れたブログを書いていて、草間弥生の持つ異様な世界は、水玉や網が繰り返される単純な作業によって生み出される世界なのだと改めて思いました。単純であるが故にどこまでも広がる世界。細胞のように増殖する生命体。ひとつひとつが地道で丹念な作業は、やがて爆発するような運動を形成していきます。まさに生命の進化と同じような過程を持つ造形物だから、自分がその世界に取り込まれて、やがて魅かれていくのかもしれません。自分も集合彫刻をやっていて、時間の許す限り広げていく可能性を持つ世界です。ギャラリーや美術館を丸ごと作品で覆いたい欲求に駆られます。制作という労働の繰り返しが、やがて大きな意味を持つことに自分も関心が高いのです。自分の作品は要素が単純ではないため彫刻以外の媒体に広がっていかない嫌いはありますが…。しかしながら無限に繰り返す力をさらに深めて保ち続けたいと考えています。 Yutaka Aihara.com