Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 職場のメンタルヘルス
    今日は管理職研修があって、最近職場で増えている「うつ病」等による心の病の話が出ていました。確かにメンタルな部分で休職する人は自分の近くにもいました。自分も4月から新しい職場に人事異動があって、仕事尽くめの毎日です。「生真面目で…仕事を抱え込み…孤立傾向で…」と講師の方に言われると、日頃職場でメンタルな相談に乗っている管理職だって、いつ「うつ病」傾向になるかわかりません。自分を振り返ると恐ろしくなるところですが、自分には公務の他に創作活動があり、それで自分の精神のバランスを保っていると言えるのかもしれません。モノ作りをしている時は、すべてを忘れて打ち込んでしまうのです。それはそれで思いつめると厳しいものがありますが、少なくても公務のストレスは発散しています。そこで創作に対するストレスが発生しますが、公務に戻ると逆に創作ストレスは消えてしまいます。自分には互いのストレスを回避する方法があると考えてもいいのかもしれません。                            Yutaka Aihara.com
    「オブジェ焼き」を読む
    表題は八木一夫著「オブジェ焼き」(講談社)です。八木一夫は前衛陶芸家として知られ、用途を持たない陶による作品を作った草分け的な存在です。陶彫を表現方法に選んだ自分としては、八木一夫の「ザムザ氏の散歩」等の前衛陶芸は避けては通れない世界です。本書は著者が生前に上梓した「懐中の風景」と没後に出た「刻々の炎」から編集された文庫版です。京都の窯元に生まれた著者が、中国や朝鮮の陶磁器研究や若い頃からの交遊録等を通して、オブジェ焼きに到達するまでの過程を、時に軽妙洒脱、また辛辣な口調で語る内容からは、自分などは足元にも及ばない伝統の分厚さを感じさせるものがあります。轆轤を挽くこともままならない自分には、土の土たる所以を知らしめてくれた刺激的な一冊になりました。60年という短い人生の中で様々な試みをして、後世に表現の何たるかを伝えた八木一夫。自分には飄々とした雰囲気が伝わってきますが、果たしてどんな人だったのでしょうか。Yutaka Aihara.com
    横浜中華街へ…
    義母の三回忌が来月に迫り、食事会の予約に横浜中華街へ行ってきました。ウイークディだというのに結構人が多くて驚きました。横浜の観光スポットではありますが、まるで週末のような賑わいでした。行きつけの中華飯店に予約を入れて、家内と散歩をしました。久しぶりの中華街です。行けば必ず立ち寄るところが「チャイハネ」という雑貨店で、アジアや中南米の色彩豊かな雑貨が所狭しと置いてあるのです。プリミティヴなデザインはなかなか刺激的です。扱っている雑貨を見ると、敢えてアート感覚に優れたものを選んでいるような感じがします。アフリカの古い仮面は姿を消してしまいましたが、「チャイハネ」系列の別の店でよく見かけた仮面が楽しく、行く度にひとつくらい購入しようかと思っていたところ、その店が別の雑貨を扱うようになってしまいました。それでもそこで鉄製の馬や扉のようなモノを購入しています。それはインドの工芸品でした。やはり近くにこうした中華街があるのはいいなと思いながら帰ってきました。             Yutaka Aihara.com
    睡眠ばかりの代休
    土曜日から二泊三日の出張があり、昨晩帰ってきて今日は代休です。出張でかなり疲労していたらしく、今日一日は眠気がとれず、ウトウトとした一日を過ごしました。創作活動をしようにもヤル気が起こりませんでした。眠っているような眠っていないような時間が流れ、何もせずに過ごしました。最近は珍しい時間の過ごし方です。このところ週末は本格的な作業はしないにしても、何か創作をやっているような状態です。今日は午前中は治療中の歯科病院に出かけ、午後は寝てばかり。こんな一日もあっていいと自分に言い聞かせています。                          Yutaka Aihara.com
    縄文土器への思い
    新潟県に行ったことで、もう一度縄文土器を見に新潟県に来てみたいと思っています。十日町に多くの出土品があると聞いています。縄文土器を芸術として位置づけたのは岡本太郎ですが、自分も縄文土器の魅力に取り付かれている一人です。粗い作りに始原的な力があり、人がモノを作る原点のようなものを感じます。ピカソやモディリアーニがアフリカの彫刻に魅せられたように、自分も縄文土器に魅せられるのだと思います。人間の営みの中で派生する美には、説明のつかない力が宿っていると思います。縄文土器の装飾が装飾で終わらず、器全体にまるで生き物のような動きを感じさせるのは、自分の陶彫制作の発想の下地にもなっているのです。自分は縄文土器そのものをモチーフにしていませんが、現代の造形であっても人がモノを作る原点は当時も今も変わらないのではないかと思います。