Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 仕上げと化粧掛け
    週末になり朝から工房へ行って制作三昧です。新作の陶彫成形が出来上がり、部品ひとつひとつの仕上げと化粧掛けを行いました。もちろん今日一日で全部網羅するのは無理なので数点を選びました。化粧掛けは野外工房を使いました。雨の降らない時間帯を選んで、陶彫成形部品を外へ運び出しましたが、風が強くて難儀をしました。数点は窯詰めをして明日夕方から焼成に入ろうと思います。陶彫は焼成を終えないと成功しているのかどうかわかりません。成形して出来たつもりでも焼成したら失敗ということもあります。それが面白いところでもあります。結局今日のところは仕上げと化粧掛けに時間を取られてしまって、6つの箱に木材で補強をする時間がなくなってしまいました。明日は職場で用事があって出勤になるので制作ができません。あっという間に時間が過ぎていく週末です。ちょっと焦りも出てきました。
    放射能の測定
    先日、職場に行政の方々が見えて放射能の測定をしていきました。数ヶ所で測ったところ数値に問題はなく、微量が検出されただけでした。大震災以降、私たちは放射能という見えない脅威に晒されています。放射能に汚染されるとはどういうことか、素人の私でも多少の知識が入ってきて、家でもよく話題になります。安心・安全な社会は既に神話になっているのでしょうか。古代の遺跡や発掘品を見て、人の残した造形物の見事さに感銘を受け、現代の産物が遠い未来にはどんなカタチで残るのかを問いながら、自分は日々創作に励んでいます。自分の彫刻は人が消えた近未来型の都市を思わせると、よく人から言われます。社会が汚染され、本当に現代の都市から人がいなくなることがあるのではないか、SF映画のような世界がそこまで近づいているような気持ちにさせられる昨今です。現代社会に警鐘を鳴らすのは、映画に限ったことではなく、アートでも主張すべきかなと思っています。放射能の測定に立ち会って、そんなことを考えました。
    出勤の行程で…
    朝、自宅を出るのが6時頃で、玄関を出るとすぐ横に植木畑に続く小路があります。その小路を横目で見ながら舗装された道を歩いていきます。その小路の先には工房があるのです。工房に行きたいなぁという誘惑に駆られながら坂を下りていきます。自宅も工房も小高い丘にあってバスの停留所まで数分歩きます。坂の途中には最近出来たモダンな介護施設の建物があります。バスはほとんど時間通りにやってきます。早朝だからでしょうか。乗客も少なく毎日座れます。私鉄の駅には6時半頃に到着します。駅始発の各駅停車に乗れれば、ゆったりと座れて快適です。バスがやや遅れると次の各駅停車を待ちますが、座れるかどうか微妙なところです。自分は車内では読書をしています。乗車駅からわずか2つの駅に止まれば職場の最寄の駅に到着します。その間10分。そこから歩いて数分で職場に着きます。読書は出勤というちょっぴりつらい行動の中では唯一の癒しです。読んでいる書籍によっては癒されないものもありますが…。職場まで歩いていく途中にコンビニに寄って昼食を買います。お茶とおにぎり。だんだん気に入るものが限定されてきて、いつも同じ種類のものばかり買っている自分に気づきました。出勤の行程をこうして書いていくと、職場は自宅から近く、比較的恵まれた場所にあるのがわかります。職場に文句を並べてはいけないと戒めつつ、明日も同じ時間に同じ行程で同じ昼食をぶら下げて、朝7時少し前に出勤する予定です。
    工業デザインから彫刻へ
    「生きのびるためのデザイン」(ヴィクター・パパネック著 阿部公正訳 晶文社刊)を通勤電車の中で読んでいると、30年前の自分が甦ります。今でも当時と同じ気分になるのが不思議で、自分はまるで成長をしていないようです。ひとつわかったことは、その頃の自分は決して工業デザインに興味関心を失ったことではないということです。むしろ書籍の内容から読み取ることで、工業デザインのもつ社会的責任の観点から、市場心理や流行に惑わされることなく、本当の意味で人々に役立つデザインを探ることの難しさを痛感していたのでした。それが出来なければデザインをやる意義がないと思っていました。工業デザインに対する理想が自分の中で作り上げられていて、それが弊害となっていました。誤解を恐れずに言えば、それだから彫刻に逃避したわけではないと一方では考えていました。言い訳がましく聞こえますが、デザインと正対する制約を受けない造形の何たるかを知りたいと本気で思っていました。彫刻は人の直接役立つものではないけれど、美的価値観を揺さぶる造形を、その思索と共に具現化しようとしたことが契機になって、工業デザインから彫刻へ180度の転換をしていったのでした。現実生活の中で生きるデザインと精神世界の中で生きる彫刻。生活の糧になるものと心の糧になるもの。2つの領域はそんな極端なものではないにしろ、自分は30年前に確かな足取りで彫刻の道を歩き出しました。それが良かったのかどうか、「生きのびるためのデザイン」を読みながら確認作業をしている30年後の自分がここにいます。
    イメージをもつ
    創作活動では頻繁にイメージというコトバを使います。エスキースは具現化する前に行う作品の完成予想図のことで、頭の中に広がるイメージを出来うる限り描きとめる方法です。何かをイメージすることはモノ作りには欠かせない行為です。スポーツでもイメージをもつことが重要とされています。自分は水泳をよくやっていますが、泳法に合わせたフォームをイメージしながら泳いでいます。自分がイメージ通りに出来る出来ないはともかく、様々なことにイメージをもつことは日常生活を送る上で結構大切なことかなぁと常々考えています。公務の仕事に対しても、自分はこうでありたいとイメージしながらやっているし、机上や部屋の整理整頓にもイメージをもつことが手際よく物事を進められる方法だと思います。一日の流れをイメージによってシュミレーションして心の平穏が得られることもあります。イメージはトレーニングによって膨らむものでしょうか。自分は創作活動に関してイメージが浮かぶ心的環境を整えているように感じています。これはトレーニングによって得られたものかもしれません。創作ではふと脳裏を過るイメージを捉まえて、エスキースしておくことが多々あります。これが後になって効いてくるのです。イメージをもつ大切さを感じるこの頃です。