Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • RECORDのコトバ
    自分のホームページでは作品のイメージ写真にコトバを加えています。これは自分にとっては至難の業で、コピーライターのように巧くはいきません。宣伝やアピールとは違うものになってしまっているからです。学生時代から詩が好きで、一度詩らしきものを作ってみたいと思ったのが、あるいは間違いだったのかもしれないと思うことがあります。文芸なれば詩にも技法があって、これを押さえた上で心の発露を表現として生み出していくものと考えています。自分の綴ったものは幼くて、いつホームページから撤収しようかと迷うところですが、それでも厚顔無恥にも、いまだ詩が好きで曲がりなりにもやっている次第です。日々制作しているRECORDにもコトバをつけています。最初は貧しいながら技巧に走りましたが、少し自分の自然な心の吐露から生まれるものが増えてきたように思います。気を取り直して、もう少しコトバに拘ってみようかなと思うこの頃です。           Yutaka Aihara.com
    墓参りで思うこと
    母から連絡があり、近隣にある菩提寺に亡父の墓参りに行きました。母の夢の中に父が出てきたと言うのです。週末の制作をやや中断して母と家内とで菩提寺に出かけました。菩提寺である浄性院の庭は手入れが行き届いていて、墓地周辺も清潔な感じがしました。夜、NHKで「日曜美術館」の再放送をやっていて、ウィーンの画家クリムトを取り上げていました。番組の内容とは直接関係ないのですが、午前中、亡父の墓参りをしたせいか、ウィーン滞在中にクリムトの墓参りをしたことが思い出されてしまいました。クリムトの墓は、白い石板にクリムトの名前だけ彫られたシンプルなものでしたが、そのシンプルさが清々しくて、とても気に入っていました。その影響というわけではないのですが、相原の墓も黒い石板に名前だけ彫ってあります。「〜家之墓」と彫られた墓石群の中で、ひと際シンプルなのではないかと思っております。                         Yutaka Aihara.com
    「ギャラリーせいほう」へ
    個展を2週間後に控えて、今日は東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。図録500部と案内状1000部を届ける目的でした。横浜の自宅から東名、首都高に乗り、銀座まで1時間程度のドライブでした。ギャラリーでは、美術商の田中さんが迎えてくれました。ギャラリーは、月曜から始まるアメリカ人彫刻家の石彫作品が既に搬入されていました。磨かれた石の作品が床に横たわり、アメリカ人女性がソファに座っていました。そこに図録と案内状を運び込んで、自分の搬入の簡単な打ち合わせを田中さんと行いました。今日は家内も一緒でした。家内は合羽橋で開催される「おわら風の盆」に胡弓奏者として参加するため、銀座まで車に同乗して、その後電車で浅草に向う予定でいました。前に雨模様だった天気予報が当日曇りに変わり、さらに陽が出てきて暑くなっていました。個展開催まであと2週間。いよいよ恒例となった夏の個展が始まります。            Yutaka Aihara.com
    詩的世界の散歩道
    書店に入り、ふと捲ったページにあった一文が忘れなくなったり、画廊で、ふと目にした絵画の情景が記憶に焼きついてしまったりすることがあります。コトバは自分が忘却した記憶のどこかと触れ合って、説明のつかない懐かしさが頭を過り、繰り返し暗唱してしまうことがあります。詩的な世界に遊ぶ第一歩かもしれません。つらつらコトバを読んでいくと、詩的世界に彷徨い、自分だけの世界を築き上げて、その中を散歩しているような錯覚に陥ります。それは自分が育った原初的な風景と密接に関わりを持った世界だと感じています。その後の人生で知的に仕入れた世界とは異なり、それは幼い頃に記憶にすり込まれた情景とそこに満ちていた大気であって、五感を通して感じていたことが、コトバやカタチやオトを通して甦るのかもしれません。現代の芸術は哲学的な傾きの様相を呈していますが、そればかりではなく、人の記憶や生理に関わる部分も任なっていると考えます。      Yutaka Aihara.com
    会津さざえ堂
    10数年も前に会津で見た不思議なお堂が忘れられずにいたところ、愛読書「奇想遺産」に会津さざえ堂のことが掲載されていて、あっこれだ、と思わず心で叫んでしまいました。「行き帰り別々の二重のらせんスロープを昇降しながら、西国三十三観音を拝礼する高塔形式の仏堂。今は観音像は失われてしまったが、スロープの形がそのまま外壁に現れる異形の大胆さで、抜きんでた存在となっている。」(松葉一清 著)さほど大きくないお堂だった記憶がありますが、木造建築としては、かなり異様な作りで、何だ?これは?と咄嗟に思ってしまうほどです。その頃はまだ自作に木彫を取り入れていなかったのですが、こうした木造建築が自分の頭にすり込まれて、木材の良さを捉えなおすきっかけになっているのではないでしょうか。見慣れた日本の仏塔がドイツ表現主義の絵画のようにギクシャクした感じがいいのです。