2011.11.19 Saturday
今日は大雨警報が出るくらい激しい雨が降りました。工房で朝から制作をしていましたが、雨の音に時折手を休めました。今日はさほど寒さを感じない一日でしたが、昨年のNOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、11月21日(日)にストーブを出しています。そこで今日はストーブを出して試し焚きをしました。自分は身体全体を使う彫刻を制作しているので作業が始まると寒さを感じなくなりますが、工房に出入りしている若い子の中には絵画をやっているうちに寒さで悴んでしまう子もいます。ストーブで暖を取るうちに眠くなってしまう子もいます。いずれにしろ工房は厳しい環境であることは間違いありません。これから寒さが増す季節を迎えます。広い空間の割には頼りない大きさのストーブですが、大変重宝しています。今日制作は陶紋の彫り込みをやりました。意外に時間がかかり、まだ1点しか終わっていない状態です。明日も継続です。
2011.11.18 Friday
「その異常な経歴や放浪者風の生活態度から考え、また『泥棒日記』の成立の事情や宝石のようなイマージュが次々と湧き出る文体などから考えると、ジュネはいかにも天衣無縫といった言葉のあてはまる天成の詩人のように思われるが、実際はそうではなく、その一行一句が苦心して彫琢され鋭利な自意識によって研磨されたものであることをぼくは知った。彼は放浪者ではなく、むしろストイックな意志で己れを厳しく律する修道僧に近い。厳しい訓練と注意力の集中によって危険な中空を渡る孤独な綱渡りを讃えながら、おそらくジュネは彼自身の理想像を描いたのであろう。」(「ジャコメッティ」矢内原伊作著 みすず書房)先日からNOTE(ブログ)に書いているフランスの作家ジャン・ジュネに関する文章が前述の書籍にあったので紹介します。ジュネは、若い頃に放浪や犯罪を繰り返していた経歴をもっていますが、文才に長けていたことで世に出た作家です。過激で波乱に富んだ人生の中で、矢内原伊作の観察によれば、コトバの推敲を繰り返していたように思います。破天荒な人となりをイメージしていた自分には意外な一面と移りました。確かに今読んでいるジュネの著書から受ける印象は、矢内原伊作の描写に納得さえしてしまうものがあります。
2011.11.17 Thursday
昨日NOTE(ブログ)に書いたジャン・ジュネの著作とは、表題の「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」(鵜飼哲 訳 現代企画室)のことです。彫刻家ジャコメッティは、自分が学生時代から興味を寄せている巨匠で、ヘンリー・ムアと対極した表現として自分では捉えています。ジャコメッティは矢内原伊作というモデルを得て作った作品が数々あります。モデルが日本人だったことで大変親近感があります。学者であった矢内原伊作は専門の論文ではなく、ジャコメッティとの交遊録しか自分は読んだことがないのです。今回はジャン・ジュネによるジャコメッティとの交遊録ですが、詩情に溢れる中で展開するジャコメッティ芸術に対する思索には興味を抱きます。読み始めてすぐ思索の部分ではなく、ジャコメッティを描写している部分に面白みを感じました。「彼はほほえむ。すると、彼の顔の皺くちゃの皮膚の全体が笑い始める。妙な具合に。もちろん眼が笑うのだが、額も笑うのである(彼の容姿の全体が、彼のアトリエの灰色をしている)。おそらく共感によってだろう、彼は埃の色になったのだ。彼の歯が笑うー並びの悪い、これもやはり灰色の歯ーその間を、風が通り抜ける。~以下略~」という箇所は、自分が勝手に描いていたジャコメッティのイメージそのもので大変愉快でした。また、今までのように通勤電車の中で時間をかけて読んでいきたいと思います。
2011.11.16 Wednesday
フランスの作家・劇作家で政治的活動にも身を投じたジャン・ジュネは、自分にとって馴染みの薄い作家でした。矢内原伊作著による「ジャコメテッィ」(みすず書房)に登場してくるジャン・ジュネに少なからず関心を寄せる程度でしたが、今回ジャン・ジュネの著作を読んでみることにしました。ジャン・ジュネは売春婦だった母のもとで1910年に生まれています。生後7ヶ月で捨てられたジャン・ジュネの生育暦を見ると、凄まじいものがあり、放浪や犯罪を繰り返し、また投獄もされています。文才をジャン・コクトーに認められ、コクトーやサルトルらの請願によって大統領の恩赦を受けて、ようやく自由の身になれたようです。その後、革命に参加したり、反戦運動等の政治活動を続け、1986年に世を去りました。まさに波乱万丈の人生で、自分のような恵まれた平均的な家庭に育った者には、到底理解できない哲学があろうかと思います。どこまで共感できるかわかりませんが、特異な環境で創作活動を展開した芸術家の片鱗に触れてみたいと考えました。
2011.11.15 Tuesday
10代の終わりに読み始めて途中で放棄し、30数年経った今になって再読を始めた書籍は結構あります。A・ブルトンの著作も然りで、最近になってようやく全て読み終えた按配です。工房に出入りしている若い美大生に私の若い頃に挫折した書籍を貸していますが、どうやら彼女も挫折しているらしいことがわかりました。ある程度の知識や経験がないと難解極まりないと感じるのは誰でも同じなのだと思います。さて、表題の書籍ですが、当時工業デザインを学ぼうとしていた高校生だった私にとっては大変厳しい内容で、派手で浮ついたデザイナーを夢見ていた自分の進路は、社会的責任を負うという壁にぶち当たって儚く散ってしまったのでした。もちろん現在の自分は、ある組織の管理職として常に責務を背負っているので、工業デザイナーとしての社会的責任とたいして違いはないと感じています。30数年経った今なら理解でき、また共感できる箇所も多いのが本書です。人間が生存していくために何が必要か、デザイナーは今何をなすべきかを問う根源的な職業課題が描かれています。古い書籍で在庫があるのかどうかもわかりませんが、工業デザインを学ぶ若い世代に是非とも読んでいただきたい一冊であろうと思います。