2011.12.04 Sunday
工房には若い世代の子たちがやってきます。彼らは画家を目指して課題を一生懸命やっています。自分の作品の手伝いもしてくれます。新作屏風の砂マチエールはこの子たちにお願いしているところです。自分が20歳の時に夢見た彫刻の仕事は、30数年経った今もやっていて初志貫徹と自負しています。若い子たちは、私の姿勢を見て画家を目指しているのかもしれません。今日来ていた2人とも自分と同じように就職をして、週末だけ制作をしている子です。一人の子が創作活動は絶対に止めないと決意表明をしていました。自分も20歳の頃は同じ思いを持っていました。自分は学校を卒業した後、彫刻を作るための作業場がなくて四苦八苦しましたが、工房に出入りしている子たちは、この工房があるので制作環境は整っています。その分、自己表現を極める時間も空間もあるので、思いさえ保持できれば夢の実現も可能になるでしょう。そんなことを傍らで考えながら制作をやっていました。
2011.12.03 Saturday
祖母の記憶が次第に薄くなりつつあります。齢89歳で他界した祖母は、長い人生を精一杯生きたと言ってもよいと思います。祖母は横浜に生まれ、関東大震災や第二次大戦を経験し、この地で田畑を耕し、大工の棟梁だった祖父とともに歩んだ人生でした。参会した親戚もだんだん少なくなってきて、故人を偲ぶにはあまりにも時間が経ってしまった感は拭えません。ここにきて法事が立て続けにありました。先日他界した叔父より、23回忌という時間が経過している分だけ祖母はリアルな状況が消えていたので、今日は穏やかに過ごせました。時間を見つけて工房に行こうと考えていましたが、やはりそれは無理で、祖母の供養として自宅でゆっくりしていました。明日は制作を行います。工房に若い子たちもやってきます。明日から通常の生活に戻ります。
2011.12.02 Friday
12月になりました。残り1ヶ月で2011年が終わるのが実感としてありません。光陰矢の如しとはよく言ったものです。今月の制作目標として新作屏風の木彫部分の完成を考えています。まだ木彫を始めたばかりなので、いささか無謀な目標ですが、来年夏の個展を考えるとやらざるを得ません。今月の週末も全部制作に充てることができず、その中で厳しい制作工程を組んでいますが、健康に気遣いながら精一杯頑張ろうと思っています。新作は久しぶりに砂マチエールを使います。砂と硬化剤が大量に必要になります。ボランティアの子たちに手伝ってもらわないとやりきれないかもしれません。そういえば工房に出入りしている子が、美大の社会人入試を受けて無事合格した報告がありました。その子は国家公務員で美大の夜間部に通うことになります。自分と同じ二束の草鞋。自分を見習って画家になる決心をしたようです。じっくりと確かな足取りで自分の世界を構築して欲しいものです。慌しい時季にちょっと嬉しいニュースでした。
2011.12.01 Thursday
齢80歳で叔父量義治が逝去しました。今日は告別式でした。叔父は東大でカント哲学を専攻し、定年まで大学の教壇に立っていました。多くを語らなかった叔父ですが、自分の個展には度々来て示唆に富むコトバをかけて頂きました。前夜式や告別式を通じて周囲の親戚が知らなかった本当の叔父の姿が浮き彫りになりました。叔父は学問の前に信仰ありきの人だったようです。10代でキリスト教に心酔し、一度は牧師を目指したことがあったけれど、周囲の説得で大学に行くことにしたこと、無教会主義をもって聖書の解釈に努め、信仰に裏付けられた論理を展開し、その厳しさは世俗的な私たちには到底理解が及ばなかったこと等が俄かに見えてきました。告別式で代表牧師が叔父の小さな論説を読み上げました。「愚か」と題されたもので、雑駁な紹介をすれば「どんなに信仰しても成就したためしがない、歴史的に見ても信仰は愚かとしか言いようがない、しかしどんなに愚かであっても信仰し続けること、神の存在を信じることだ」といったような内容でした。叔父に師事した若い学生の弔辞では、「信仰に逃げてはいけない、信仰も世俗的な仕事も命がけで行いなさい」と言われたことを独白するように語っていました。叔父にとって信仰とは何だったのでしょうか。いや、人にとって信仰とは何でしょうか。今となっては叶わない願いですが、自分も思索に支えられた人生を叔父に問いかけてみたいと感じました。叔父は結論だけをきっぱり言う人で、自分の作品に対しても「これでいい。これでいきなさい。」と言っていたのが印象に残っています。自分は今後ともその一言だけを頼りに創作を展開し続けていくつもりです。
2011.11.30 Wednesday
NOTE(ブログ)に何度となく書いていることですが、昔買い込んだ数々ある難解な書籍をどうしようか考えています。買い込んだものばかりではありません。贈呈を受けたものもあります。今日この話題にしたのは哲学書を贈呈してくれた叔父が他界した連絡を受けたためです。叔父の量義治はカント哲学で身を成した人です。晩年には瑞宝中綬章という勲章も頂いています。その叔父が贈ってくれたカント哲学に関する自著は、自分にはどうにも難しくて読み解くだけの博識を持ち合わせていないのです。いづれ読む時が来ると思って書棚の埃に塗れて仕舞ってありますが、本当に挑戦する時がくるのでしょうか。その他諸々の書籍も思想に蓋をしたまま眠っています。自分が20歳そこそこの頃はどうしてこんなに難解な書籍ばかり買っていたのでしょうか。少し読んでみては挫折して、また別のものを読み出しては諦めるという繰り返しが、今となって再読という挑戦を自分に課す結果になっています。30年経ってもなお興味関心が薄れずにいたことが唯一の救いです。読書人生の仕切りなおし。中年パワーで頑張ってみようかと思うこの頃です。