Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 隣国の軍事政権はどうなるのか?
    出張中に北朝鮮の金正日総書記が亡くなったニュースを耳にしました。69歳だったそうで、世辞に疎い自分は金総書記は意外に若かったんだなと思いました。隣国でありながら注意を要する体制を取っていた北朝鮮。日本にどんな影響が及ぶのか即刻考えてしまうのは私ばかりではないと思います。日本が核ミサイルの脅威に晒されていることで、自覚はあるものの実際の問題として捉えられていない自分がいるし、平和的な解決の糸口を掴もうとする外交問題も他人事のように思っている自分がいます。この軍事政権はどうなってしまうのか、もし体制が緩むとしたらどんなところに波及してくるのか、自分にはこの国の進むべき羅針盤が見えません。現代は情報が広範囲に流れていき、ネットでは噂や誹謗中傷、何でもありの時代です。そんな中で孤立傾向がいつまで続くのか、この国の人々はどうなってしまうのか、疎い自分も時事問題に首を突っ込みたくなるような事件でした。
    相原工房スタッフの遠足
    今日は快晴に恵まれた一日になりました。相原工房に来ている若いスタッフ3人を連れて、静岡県長泉町にあるクレマチスの丘に行ってきました。言わば工房スタッフによる遠足です。東名高速の海老名サービスエリアで朝食をとりました。有名なプレミアムメロンパンとお茶。雄大な富士山に歓声を上げながら、車内では会話が弾みました。裾野I.C.で降りて、なだらかな登り坂を走り、まずはベルナール・ビュフェ美術館に到着しました。私は過去2回、この美術館を訪れています。今回の感想は後日改めます。それからヴァンジ彫刻庭園美術館。ちょうどチェンソーを使った木彫で日本を代表する戸谷成雄展をやっていてラッキーでした。ヴァンジについても感想は後日にします。遅い昼食を御殿場アウトレットでとろうという話になりましたが、これは駐車場が満車で入れず、結局昼食は高速道路のサービスエリアになってしまいました。帰路は事故渋滞があって周囲は暗くなっていました。若い子たちは楽しかったようで創作意欲が湧いたという話をしていました。私も同様です。たまにはこういう機会もいいものです。来週は3連休があります。新作屏風を頑張ろうと思いました。
    制作のない週末2日
    今日は職場関係の用事があって午前中は出張していました。週末になっても2日間丸々は彫刻の制作に当てられないのです。おまけに午後も別の用事で工房には行けませんでした。明日も工房には行けません。ただし、明日は創作活動に関わる一日になります。最近、週末になると相原工房に若い世代の子たちが通ってきています。絵画をやっている子や工芸工業デザインをやっている子で、実はこの子たちと明日地方の美術館へドライブする計画があるのです。つまり相原工房スタッフの遠足です。場所は静岡県裾野にあるクレマチスの丘で、フランス人画家のビュフェやイタリア人彫刻家のヴァンジの作品に会ってこようと思っています。自分はヴァンジ美術館に行くのは初めてです。ビュフェ美術館にはクレマチスの丘が整備されていない頃に行っています。明日が楽しみで、それがあるからこそ今日は職場関係の出張にも出かけられたのです。美術館での感想、若い彼らがどんな反応を示すのかを含めてNOTE(ブログ)に載せていきたいと思います。
    ギャラリー「構築~瓦礫~」アップ
    ホームページのギャラリーに2010年制作の「構築~瓦礫~」をアップしました。ギャラリーやRECORDにアップしてある作品に関する解説は一切避けて、同じ発想のもとで作ったコトバを添えています。カタチとコトバを対峙させて、双方によりイメージの具現化を図る意図でやっていますが、自分が満足しているかどうかはともかく、これが現在の自分であることに間違いはありません。「構築~瓦礫~」に添えたコトバは最近作ったものなので、実際にあった震災の影響があります。ただ、彫刻は震災が起こる1年前に制作しています。瓦礫というタイトルも2010年の3月には出来ていました。何か有事があって営みが崩れ、瓦礫と化した生活環境を集合彫刻を通して描きました。瓦礫の中から命が芽生えはじめて欲しいという願いも込めました。作品の解説はやらないつもりでしたが、震災があった関係で、敢えて1年前の予兆とも思える発想に触れました。なお、ホームページには左上にあるアドレスをクリックしていただければ入れます。ご高覧いただければ幸いです。
    詩作への憧れ
    詩は若い頃からよく読んでいて、詩人はどうしてこんなコトバが思いつくものか不思議でした。頭脳の回路が普通ではないのか、コトバを感じ取る能力が優れているのか、ただ文章を綴るだけが好きな自分には到底出来ないと思っていました。今でもそう思っていて、自分が10代の頃から訓練を積んできた造形美術に比べれば、詩はどうアプローチしていいのかわからないのです。コトバを使った創作活動の中で詩ほど自分の心を捉えるものはないし、そうかと言って自分で作ってみても作為が見えて気に入ったものはできません。詩と言えども造形美術のような訓練を必要とするものなのかもしれませんが、作ると言うより生まれると言った方が適切かなぁと考えています。造形的イメージも生まれるものです。詩が生まれる時はどんな時なのか、さて書くぞ!と机に向かって出来るものなのか、ふとした瞬間に思いつくものなのか、詩作への憧れは募るばかりです。自分がやっている造形美術にも詩的世界が存在すると考えれば、詩はコトバを介さずとも自分の中に在るものなのかもしれません。ただ、ここで言う詩作への憧れはコトバを表現手段として使った場合です。