Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 窯入れが始まると…
    窯入れが始まると、出勤前の早朝に工房へ行き、窯内の温度を確認し、また仕事帰りにも工房に立ち寄っています。自動的にコントロールされる電気窯なのに、自分は温度が気にかかって仕方ないのです。自分の手の届かないところで作品化される陶彫は面白い反面、不安なところがあります。自分はこの焼成という過程が好きで、陶を素材にした彫刻を作っているわけですが…。若い頃からずっとピカソやミロの自由闊達で色彩豊かな陶芸に魅かれています。かつて暮らしていたオーストリアのウィーンでは、フンデルトワッサーの立方体を歪ませた大き目の壺がウィンドゥに飾られていて、ケルントナー通りを歩くたび、そのウィンドゥを飽きることなく眺めていました。海外の芸術家の陶を素材にした作品が初めに目に飛び込んできましたが、帰国した後は栃木県や茨城県の陶芸の里に関わりをもって現在に至っています。窯とのつきあいは1985年に日本に帰ってきてから始まっています。だいぶ時間も経って、窯入れも慣れたはずですが、やはり窯入れが始まると、そわそわ落ち着かない現状は最初の頃と変わりません。水曜日か木曜日に窯出しをする予定です。今回もどうなっているのか神のみぞ知る結果です。
    週末 陶紋の再制作
    前回の焼成でヒビの入った陶紋4点を再度作ることにしました。30cmの高さのある直方体に文様を彫り込んだ単体の陶彫です。風景の中に点在させて撮影をしたい意図があるので、これはどうしても諦めるわけにはいきません。ヒビの原因を確かめながら補強を考え、とりあえず成形をやってみました。しばらくビニールをかけて放置して様子を見ようと思います。その間に昨日仕上げと化粧掛けを終わらせた陶彫部品数点の窯入れを行いました。今日はこの季節にしては暖かく好天気に恵まれた一日でした。工房に若い世代の子たちもきていましたが、自分は用事があって工房を出たり入ったりしていました。朝8時半から夕方6時近くまで細切れに作業をしていたら、さすがに疲れました。この爽やかな季節は制作が進むのですが、疲労感も増してヘトヘトになります。明日から金曜日までは公務が待っています。心身が休まる暇がありませんが、二束の草鞋を履く者の宿命として受け入れてやっていきます。
    週末 陶彫制作が大詰め
    週末になり、工房で制作三昧の時間がやってきました。新作屏風に接合する陶彫部品の仕上げが大詰めを迎えています。新作としては最後の窯に入れることになります。陶彫部品がすべて出来上がったところで、再度全体構成を確かめて次の工程に進みます。次の工程は木彫部品を作ることです。陶彫部品と木彫部品の組み合わせ、表出された部分と隠された部分の関係、そんなところを考えながら制作を進めていく予定です。とりあえず今は陶彫部品のことだけに注目しています。朝から夕方まで休む間もなく作業をしても思うように工程が進まず、時間ばかりが過ぎていきます。週末がやっと来たかと思うと、あっという間に過ぎていく貴重な時間に焦りを覚えます。明日も制作ですが、明日は職場関係の用事があって制作三昧とはいきません。何とか時間をやりくりしていこうと思います。
    生育・生活環境について考える
    現在読んでいる「生きのびるためのデザイン」(ヴィクター・パパネック著 阿部公正訳 晶文社刊)の中に「美的に整えられた環境がいかに重要な意味をもつか、ということを証明するために」行った実験のことが書かれていました。2グループの実験用ネズミを、一方は「恵まれない環境」で育て、他方を「恵まれた環境」で育てたらどうなるかというものです。「~略~この実験の結果、恵まれたグループのほうが学習能力が大きく、精神の発達も速く、新しい刺激に対する柔軟性ないし適応性が強く、記憶力もはるかによい、ということがわかった。しかも、年をとっても精神的能力を失わずに維持していた。~略~」という箇所に注目しました。「~略~実際、ネズミたちの恵まれない環境に匹敵する人間の環境は、世界の人口の90パーセント以上の人びとの場合に見られるといってもよい。この25年ほどの間、人間の作った環境は徐々に自然の生態系の性質を示すようになってきた。連鎖、使用への反応、自己再生などである。全人類はこの新しい生態系に組み入れられているのであるが、自分たちがひとつの生息環境から追われて、いまひとつの環境へと強いられてゆくのに対して生物学的仕組みがどうように反応するか、ということについてほとんど考えをめぐらされていない。今日の社会の、いわば動物園のごとき場面を見るだけでよいだろう。~略~」という現在の環境に対して警鐘ともとれる文章が続きます。本書は論理の捉えが大きいのですが、デザインを切り口にした人としての生存に関わるものだと思っています。
    閉じ込められた造形
    子どもの頃、暗い狭い通路で右往左往した記憶から、僅かながら閉所恐怖症が残る自分にしては、閉じ込められた世界をイメージとして描くのはどうしたものだろうと思っています。怖いもの見たさなのか、創作は自分の記憶とは別のところで発想されるものなのか、さらに観念的なものなのか、自分にはよくわかりません。閉じ込められた造形は、ジョセフ・コーネルが作った詩的なボックスアートにしろ、若林奮が制作した全体を埋めて一部を表出した彫刻にしろ、自分が魅力を感じるものばかりで、そうした芸術家の創作活動に影響をされていることもあろうかと思います。現在制作中の陶彫新作は、まさに閉じ込められた造形なのです。ところどころ表出した部分に陶彫部品があって、埋められた部分と表出した部分の関係に今回の造形の醍醐味があります。されど自分が自分の造形世界の中に閉じ込められたら、正気を失って光を求めて彷徨い歩くかもしれません。自分の深層心理に何があるのか、閉じ込められた造形を精神のカタチとして捉えるなら、一度自分の心を分析してみたいとさえ思っています。