Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 暑い工房再び
    9月に入ってもまだ残暑が厳しく今日は蒸し暑い工房での作業になりました。相変わらず若い子たちが絵を描きにきていましたが、汗ばみながら制作に励んでいました。自分は「陶紋」の彫り込みの続きをやっていました。気温が高いので陶土の乾燥が早く、彫り込みに時間をかけていると、まだ彫り込んでいない面がどんどん硬くなって、霧吹きで水をかけながらの作業になりました。いつになったら涼風が立つのか、夜の制作時間帯では秋を感じる気温になるのに、日中の暑さは夏そのもので身体がぐったりしてしまいます。「陶紋」の彫り込み加飾は、何とか明日で終わらせたいものです。加飾は陶彫が自分らしい作品になるので楽しいのですが、夜の時間帯のほうがじっくり出来るように思います。明日も継続です。明日も頑張りたいと思います。
    平日1時間の工房通い
    今週は昼間の仕事がやや少なかったことで余力を残したまま帰宅しました。そこで夜の1時間を工房に行って制作に充てることが出来ました。大体7時から8時くらいまで工房にいました。秋の虫が周囲で鳴いていて、網戸から涼しい風が通ります。気候的にはちょうどよい按配で作業が捗りました。「陶紋」新作の彫り込みをやっていました。これを年間通してやれるといいのですが、そんな甘くないのは重々承知です。会計監査や次年度人事が始まれば心身ともに仕事に絡みとられて、夜はRECORDをやるだけで精一杯になります。工房で陶彫制作1時間、自宅でRECORD制作1時間、HPブログ書き込み30分というのがアフターファイブのベストな過ごし方だと自分は思っています。昼間仕事をしながら理想的なスケジュールを考え、それを遂行したのが今週1週間です。来週はこれが出来るか否か。工房を去るときに今日は充実したと感じる時は至福の時です。今週は月を見ながら毎晩充実感を味わいました。
    「陶紋」新作の成形・加飾
    今年7月の個展に出品した「陶紋」シリーズ。球体をベースにした「球体都市」から直方体をベースにした「陶紋」へ移行しました。「陶紋」は、全体の構造と表層に表れる浮き彫りの関係性を常に意識した成形をしています。来年発表予定の「陶紋」5点は、さらに高さがある直方体を作りました。加飾による浮き彫りは細かい文様を施して高さを強調しています。「陶紋」は集合彫刻ではありません。個体のもつ存在を示すような作品にしたいと考えています。自分が作る作品の中では比較的小さい作品ですが、自然の中に放置して、実際のスケールがわからないように画像処理をしたいのです。いずれカメラマンに相談するつもりですが、「陶紋」は風景の一部として配置できたらと思います。今は5点が点在する状況を考えながら1点ずつ作っています。場を想定して作り上げていく作品として考えるならば、「陶紋」はやはり集合彫刻と呼べるのかもしれません。何点までシリーズとして作り続けていくのか今はわかりませんが、「球体都市」が40点少々作ったことを考えれば「陶紋」もそのくらい継続する可能性があります。とにかく今はひたすら作ることに徹しています。
    RECORD9月のテーマ
    今月のRECORDは鋭角な二等辺三角形を3つ並べた画面をベースにしています。真ん中の二等辺三角形を逆向きにしているので全体で台形の構成になっています。そこに有機的なカタチを絡ませていこうと考えています。幾何学的抽象の画面ですが、色彩はカタチに拘らず、画面全体に広がる滲み、斑点、点描、吹流し等を駆使して作っています。滲みや吹流しはオートマティズムで偶発的な効果が期待できます。ただ、完全に制御をはずしているわけではなく作為的な計算が働いています。そういう意味では概念としてのシュルレアリスムから脱しているものではありません。色彩の持つ奥行きや深みに対する表現を自分は捨てきれないし、新しい価値観でRECORDを作るには、かなり時間が必要です。毎晩1時間程度で作っているRECORDにおいて時間のなさを言い訳にしたくありませんが、思索しながら具現化実験を行うには日々苦しいものがあるのも事実です。月ごとにテーマを決め、5日間で展開する方法を今月も採りますが、繰り返しの中から出てくるカタチにマンネリズムを感じているのも確かで、これを何とかしたいと願いつつ今月も毎晩作り続けていきます。
    「擬似幾何学的」なブランクーシ
    現代彫刻の父ブランクーシに関する文献に出会うと不思議な興奮を覚えます。NOTE(ブログ)にも何回か登場したブランクーシですが、自分は若い頃にルーマニアに何度か出かけ、木造民家の柱に見られる呪術的で抽象性を伴う浮き彫りにブランクーシの原点を見た気がしました。それ以来ブランクーシは自分の中で神格化した存在になっています。今読んでいる「問いなき回答」(建畠哲著 五柳書院)に「聖域の形態学」というブランクーシに関する論文があって興味をもって読みました。「ブランクーシの作品の大半が動物や人間をモティーフにしていたのは事実だが、それらはいずれも極度に単純化されており、むしろ一般には『マシーン・エイジ』を反映した幾何学的形態の系譜の先駆とみなされているのである。~略~しかし台座の部分などを除けば、彼の作品に厳密な意味での幾何学的形態がほとんど見られないのもまた事実である。それは『擬似幾何学的』『擬似機械的』(シドニー・ガイスト)であり、つねに多少なりとも歪みをはらんでいるのだ。ロザリンド・クラウスはこの問題について興味深い観察をしている。『この変形はほんのわずかなので、幾何学的なボリュームの全体としての特性、本質的に分析しえない単元的な特質を乱しはしない。…それにもかかわらず、この変形は、純粋幾何学の絶対領域の外へとそのボリュームをねじ曲げ、多様にして不確定な偶然性の世界のなかに居座らせるのに十分な力がある』。つまりクラウスには『ブランクーシはつねに、幾何学的形態の絶対性を修正しなければならぬ特定の状況における彫刻の意味を明言しているように見える』というのである。」ブランクーシの一見幾何学とも見えるカタチが多少の歪みによって彫刻としての存在を明らかにしているように自分も思えます。自分の作品にも擬似幾何学的なカタチをもつものも少なくありません。自作に置き換えるのは無謀ですが、論文のこの部分に妙に親近感をもった次第です。