2026.01.11 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は自らの創作活動というより、視点を変えて最近のアニメーションについて考えてみたいと思います。私の教え子にアニメ情報に長けた子がいます。彼女には言葉の表現力があり、彼女が推すアニメ作品を言葉巧みにラインで私に伝えてくるのです。現在のアニメ放映は深夜枠になっており、私は睡魔と闘いながらアニメを見ています。彼女が推すまでもなく、最近のアニメの世界は多様性に富んで、しかも見る側の情感に沿う微妙な説得力があるなぁと感じます。海外のCGアニメと違い、平面的で線描の美しい日本のアニメは世界に冠たるユニークな表現であると私は思っています。日本人は平面表現に古来から親しんでいて、たとえば安土桃山時代の障壁画の様式美にひとつの頂点を見ることが出来ると私は考えます。江戸時代の浮世絵も自由闊達であり、軽妙洒脱で簡潔な線によって支えられた表現には現代のアニメに繋がる要素があると思います。「鳥獣戯画」から「北斎漫画」に至る線描の巧みさは、日本人の遺伝的なものかもしれず、私が大いに誇りとして感じているものなのです。さて、私はいつごろからアニメに目覚めたのか、モノクロ画面で動きはディズニーを模倣していた時代には、テレビが全家庭に普及しておらず、街頭テレビの前に人が集まってテレビを見ていました。亡父は新しがり屋だったので村で一番早くテレビを購入し、近所の人たちが実家に見に来ていました。1964年の東京オリンピックでテレビが普及し、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が放映されました。私は貪るようにアニメを見ていて、親から注意を受けたことも屡々ありました。やがて私はアニメを卒業し、社会人になってからテレビから離れていた時期もありました。教職に就いていた私は生徒からアニメ情報を得ていて、ブームになったスタジオ・ジブリの一連のアニメや「鬼滅の刃」や「チェンソーマン」などを映画館に観にいくようになり、映画の実写との比較も頭を過っていました。実写の映画監督をやっている高校の同級生竹中直人君にもアニメに負けるなとエールを送ったことがありました。教え子で美大に行った子の中にはアニメーターを目指す子も現われました。まさに私の周囲にはアニメに溢れた環境があると感じています。世界的に見ても日本のサブカルチャーを代表する媒体になったアニメは、今後もあらゆる方面に影響が及んでくるのではないかと察しています。
2026.01.10 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週は毎日工房に通っていましたが、寒さが増した工房は、通常通りの制作時間では身体がなかなか厳しくて、午後は早めに切り上げて自宅で休んでいました。工房には大型ストーブが1台ありますが、それでは工房全体を温めることは敵わず、作業の合間に手を温めることくらいしか出来ないのです。現在は壁に掛ける作品の要素になるコラージュを作っています。それは杉板材を刳り貫いて、それを炙って炭化させる効果に期待を持っています。今週は毎日杉板材の刳り貫き作業に時間を費やしました。毎日少しずつ出来上がっていく作品に多少満足を覚えながら、身体に無理がかからないように過ごしていましたが、火曜日と金曜日は近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきました。私は一人でやる運動が苦手で、スポーツ施設にやってくる人たちに混じって一緒に身体を動かすのがいいと思っています。今年も水泳が始まったので、出来るだけ通いたいと思っています。教職に就いていた頃は、夜の時間帯に水泳をしていました。教職の多忙さがあって結構不定期になっていましたが、それでも可能な限り継続していました。若い時代には近所に住む仲間とマスターズの大会に出ていたこともありましたが、今となっては体力の現状維持が目的です。毎回同じように泳げれば良しとしています。制作にも同じことが言えて、制作時間を短くしても毎日同じように作業が出来ることが幸せだろうと思います。新作は今年の5月あたりに完成させるつもりでやっています。毎年この時期に個展用の図録撮影があるからです。水泳は体力現状維持、創作活動はさらなる自己確立を目指してやっていると認識しています。今週は制作と運動以外に何もなく、生活の基本とするところを頑張っていたのでした。
2026.01.09 Friday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「4画学校の活動」と「5『慈しみの聖母』のその他の遺品」の2単元を取り上げます。「日本の画学舎はインド以東にイエズス会が布教した地域のなかで、もっとも生産的であり、かつレベルの高いものであったことが推測できる。その理由は、第一に、日本美術がもともと保っていた技術的、美的水準の高さにまつべきであろう。安土桃山時代は豪華絢爛たる障壁画の全盛期であり、それらの障壁画は花鳥の装飾美を強調する面があると同時に、都市景観、人物往来の現実的な情景を描く写実性も兼ね備えているものであった。第二の理由は、ニコラオおよびヴァリニャーノが、西洋の彫刻的、立体的素描法を画学生におしつけることをせず、宗教的図像は厳にこれを教示したとしても、手法、様式そして技法材料は、主として日本人画学生が受け入れやすいものとしたからである。この結果として、筆者が布教画第二期の特徴とみる『西欧の図像+日本の手法』という完全な適合芸術が生れたのであった。~略~《雪のサンタ・マリア》は、二十六聖人記念館館長であった結城了悟師が長崎県西彼杵半島の外海の農家で発見したものである。『雪のサンタ・マリア』という呼称は、この絵を保存していたキリシタンの家でそのように呼ばれていたということであり、これは教会暦でも、外海の信者が使っていたセバスティアンの暦でも8月5日のマリアの祝祭のことである。結城師はこれを『無原罪の聖母』の図像であるとしている。~略~この『無原罪の聖母』は、眼を伏せ、両手を合わせて祈っている。しかし原画はひきちぎられて、破損の痕をかなり雑に文様のついた和紙で貼り付けてある。それでも、首と肩、胴体のつながりが完璧で、線描を主として描かれているにもかかわらず的確な陰影と人体素描によって形態は把握され、青いマント、そのひだ、赤い胴衣とオレンジ色のハイライトなど色彩も見事な手腕である。特に精妙なのは祈る手の指の素描であり、これは日本画の人物画における習熟した線描を想起させる。迷いのない一筆の線で描かれた唇、眉、眼も、絵巻の人物を描く線描のように巧みな線で描かれているが、しかし、唯一異なるところは、眉の下、鼻、頬と首に置かれた立体感を示す陰影である。しかし、それも版画を模写した油彩の絵のような強調された立体感ではなく、基本的には二次元的な受け取り方であり、空間は意識されていない。西欧の画法と日本の画法が調和よく融合し均衡を保っている。このような作品において、ローマ教会の図像は、日本の手法、様式と合体し、東西融合のキリスト教美術を完成することができたのである。」今回はここまでにします。
2026.01.08 Thursday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「2ヴァリニャーノ来日以後の美術政策」と「3ニコラオの画業について」の2単元を取り上げます。「ヴァリニャーノは日本が法治国であり、武力を備えた独立国であって、多くのスペイン人がインドおよびフィリピンで行なったような外国による支配を受け入れる国ではないことを見抜き、これを多くの書簡によって力説していたことを無視するわけにはいかない。文化的に重要なことは、ヴァリニャーノが日本人は賢明で名誉心が強く、固有の思考法、生活法を堅持しているので、他国人の支配下に甘んずる国民ではないこと、したがって日本にキリスト教教会を確立するためのただ一つの可能な方法は、ネイティヴを宗教者として教育すること、またかれら自身をしてそのやり方で教会を経営させることであると信じていたということである。そのような布教政策は南米でもインドでも行われなかったのである。~略~ローマのイエズス会本部はヴァリニャーノの要請に応えて1583年ナポリ王国のノーラ出身のイエズス会士であり画家であるジョヴァンニ・コーラ(ニコラオ)を、日本に派遣した。~略~筆者はここで、ニコラオの手になるものと考えられるもう一枚の《謙遜の聖母》をあげたい。これは、1591年に日本で出版(正確には出版ではない。これは写本で一冊しかないものである)されたイエズス会士マノエル・バレトが日本で編集したローマ字による手書きの教書、通称《バレト写本》の挿絵にある『謙遜の聖母』である。この貴重な写本は現在ヴァティカン図書館にある。シュッテ師はこれを日本人の作に帰している。結城了悟師もこれを継承して、この『謙遜の聖母』は、ニコラオ画派の弟子が描いたのであろうと推測しているが、筆者はこの作者こそニコラオ自身であると考える。その理由は、第一に、この《バレト写本》にはこのほかにも4枚の挿図があり、それらはすべて到底1590年(版画に付せられた年記による)当時の日本人画家が描くことができない『練達』を示していると考えるからである。第二の理由は、図像と様式と技術が1580年代のイエズス会の周囲のローマの版画家と同様だからである。第三に、図像は手本をみて描けば同一にできるが、様式はにわかには学ぶことができない。その目印となるのは何よりも解剖学、つまり身体の把握と立体感、つまり空間表現である。特にこの中の『聖ヤコブ』では、正中線を軸とした堂々たる人体が描かれており、聖人を偉大に見せるために背景の水平線を低くした遠近法も熟達したものである。」今回はここまでにします。
2026.01.07 Wednesday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「1日本における聖母の教義」について取り上げます。「日本ではどのようなマリア教義が教えられたか。聖画像は、その基本となる教義なしには制作され得ない。聖母擁護論は当時の宗教的状況にとって特に重要な問題であった。マリアは対抗宗教改革期にはとりわけ傷つきやすいドグマであったので、とくに日本で作成された『神学綱要』においては、マリアについての教義の正統性が留意されたのである。~略~日本人に教えられた『神学綱要』の内容は、第一部が『カトリック信仰に関すること』で、信仰、聖書、伝承、教会、公会議、創造主、御子、聖霊などについて説明しており、第二部は秘蹟、第三部は十戒、第四部は祈り、最終部は徳と罪である。主として参照された文献は、聖書、公会議決定、ギリシャ教父(オリゲネス、ヨハネス・クリュソフトモス)、ラテン教父(アウグスティヌス)、中世神学(トマス・アクィナス)であり、トレントのカテキズモ、カニシウス、サラマンカ学派などトレント神学の影響が強い。」私には馴染みのない宗教用語があって難解ですが、たとえばカテキズモとはキリスト教の教理をわかりやすく説明した要約のことだそうです。「ヴァリニャーノは1586年に自ら日本の文化、宗教を考慮して、日本人学生向けの『日本のカテキズモ』を著わした。この著作はゴメスの『神学綱要』よりもはるかに簡潔で、わかりやすく、異教徒の知識人にとって納得のいく理論的な説明に意を砕いているものである。この本の最後の章八講の終わりで、ヴァリニャーノは、聖母マリアについて以下のように述べている。マリアはダヴィデの一族であり、デウスは、全人類に対して罪の汚れから世界を浄めるために救済する男がダヴィデ一族の乙女から生まれるだろうと予言していた。デウスは彼女に神的恩寵の恵みを積み重ね、またあらゆる種類の賜物で飾り立てたので、『かの女は世界創造の最初から存在し、すべての女のなかで最も聖でありかつ最も完全であった。行ないと生活のかくも大いなる神性と、諸徳のこれほどの完全さは、デウスの御子の母になる乙女にふさわしかった』。これは聖母の無原罪の講義であり、異説をすべて否定する権威あるいいかたである。」今回はここまでにします。