Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 「見る」ことから「視る」ことへ
    陶彫作品の土台に塗った油絵の具が乾く間に、新作をじっと見ることにしました。作品を見ることは作品を制作することでもあります。制作に気が入っていくと、「見る」ことから「視る」ことへ移行し、思索と凝視は離れがたく同義となっていきます。「見る」ことに時間をかけて「視る」ことに繋げていく、それは作品の内容を思索することであり、自分の内面を覗くことでもあります。作品は自分の分身で、自分の思考や趣向が投影された物体です。「視る」ことはそうした清濁合わせた自分自身を正視することです。作品に何がしかの情感があれ、そういうものはいっさい無くしたものであれ、置かれた作品は紛れも無く自分自身なのです。「視る」ことは制作の過程です。今日はじっくりと作品を視て、自分自身と向き合いました。 Yutaka Aihara.com
    絵の具の汚れ
    職場からちょっと作業場に立ち寄って、現在制作中の作品を動かそうとしました。あっと気づいた時は既に遅く、ワイシャツの袖口に油絵の具が…。まだ絵の具は乾いていなかったのでした。絵の具は昨日塗ったばかり、しかも筆を使わず、思うに任せてアクションペインティングをやっていたので、当然厚塗りになっていたわけです。今日の自分はネクタイ&ワイシャツで、昨日の作業着とは違っていました。うっかりした、いや二束の草鞋をやっている欠点か、おまけに午後は出張があって今日の不始末にがっかりでした。帰宅すると家内は早速ワイシャツを漂白剤につけています。「これも作業着になっちゃうかもね」と言いながら…。                 Yutaka Aihara.com
    絵画的要素に遊ぶ
    新作陶彫の土台に砂マチエールを貼りつけて、ようやく油絵の具で砂に色彩を施すところまできました。土台は直方体を立てたような形態で、それを崖に見立てて、その上に陶彫を置き、ちょうど街が連なるようなイメージにしました。崖の壁の部分は厚板を彫ってレリーフ状にしたものです。砂が貼ってあるので木目は消えています。崩れかけた壁といった最初のイメージに従い、色彩をばら撒いてシミのような斑点を作りました。何度も色彩を重ねて重厚さを出しました。それは彫刻的な作業ではなく、絵画的な要素をもった作業でした。絵画としての表面処理は時間を追うごとに楽しくなり、色彩の混合をあれこれ試しながら、時には霧状に絵の具を飛ばしてみたり、絵の具が筆から垂れるまま流れるままに任せてみたりしました。夕方になって、何とかまとめ上げなければならなくなり、偶然出合った色彩同士を調和させるために中間色を散らしました。筆で描くことはいっさいせず、偶然の効果を期待しつつ長時間にわたって遊んでしまいました。 Yutaka Aihara.com
    出品作品のメンテナンス
    19日に群馬県高崎市に運搬する「発掘〜鳥瞰〜」を倉庫から出して、梱包を解いて破損がないかどうか確認しました。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展に出品してから3年が経っています。部分的な修復をして再び梱包しました。19日の搬入に備えて作品は倉庫に戻さず、とりあえず車庫に入れておきました。個展等で出品した作品は時々メンテナンスをする必要を感じますが、なかなか時間が取れません。今日も新作の陶彫を作る傍ら、必要に迫られてメンテナンスをしたのです。保存状態が悪い場合はそれこそ大変です。自分の作品では、陶彫部分の変化はありませんが、木材の部分にカビやヒビ割れがある場合があるのです。新作と同時進行した今日のスケジュールはもう多忙極まりないといった具合でした。先日ブログに書いた間際人間の集中力で今日を乗りきった感じです。明日は新作の制作継続です。   Yutaka Aihara.com
    作りかけの作品
    作業場に作りかけの作品が置いてあります。いくつかの陶彫は机上に、砂を貼りかけた土台は壁に立てかけてあります。使う工具も適度に散乱している状態です。これから作られていくであろう部品たちがそれぞれの場所を与えられて、じっと待っているような雰囲気が漂います。この部屋ごと作品になるなとふと思いました。ある意味では生活臭があると言えます。また作品制作に関わるものしか置いていない作業場なので、普段の生活臭とは若干違うかもしれません。ここで自分が突然いなくなれば、後に残った人が自分の作品の部分を見て、どんな組み立て方をするのか、または処分してしまうのか見当がつきませんが、部品のままでいる作品は謎の多い物体だろうと思います。組み立てた作品さえ謎と思われる鑑賞者がいるくらいですから。   Yutaka Aihara.com