Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 整然あるいは雑然
    人の手の加えられていない自然石が一定の間隔で整然と並べられている空間、そこに鑑賞者は何かを読み取ろうとします。あるいは外国の巨石文明を感じ取る人がいるかもしれません。法則に従ってただ並べるという行為が彫刻として表現された作品と言っても現代では不思議ではありません。自分は自ら考案した法則に従ってモノを並べることに興味を感じています。今まで自分がやってきた発掘シリーズに照らせば、並べるというよりほとんど土中に埋まっているモノが発掘されて整然と並んだように見えるというのが、一度試してみたい空間造形です。整然があれば雑然があってもよいと思います。埋もれた作品の一部が大地から現れて点在する光景を想像するだけでゾクゾクします。野外で展示できる機会があればやってみたい造形です。石ではなく陶彫で、まるで発掘現場のような空間を作ってみたいのです。 Yutaka Aihara.com
    間際人間の集中力
    人はどんな時に集中力をもって仕事に立ち向かうのか、己を失わずに仕事をやり遂げられるのか、この頃よく考えることのひとつです。実際には22日までに現在進行中の陶彫作品が終わるのかどうか、自分の中で大きなヤマ場を迎えていて、自分では気に入らない間際人間にならざるを得ない状況を憂いての考えです。年度末で公務の仕事も慌しくなっている中で、余暇にやっている彫刻のことなんか考える余裕はないし、彫刻は彫刻で一歩足を踏み入れると、とんでもない状況が待っていて、週末の集中力に全てを託すしかないと思っています。集中力は割りに単純で目先の具体的な目標がある場合に発揮されると思います。理想を追っているうちは仕事に集中できません。足元が見えだしてきて仕事が現実味を帯びた時に、やらねばならないという強烈なパワーが出てくると思っています。そろそろその時が来そうな気配です。今週末はきっと頑張っているのではないかと思います。       Yutaka Aihara.com


    先輩の方々へのお知らせ
    群馬県高崎市の企画展「古代・現代 思索する手」の案内を数名の方々に出すことにしました。もちろん実際に来ていただくことは考えていません。こんな企画を通して造形に関して何か示唆に富むお話でもいただければと思っています。ちらしを投函させていただいたのは師匠の彫刻家や文筆家、先輩の画家、叔父にあたる哲学者と考古学者それに声楽家の方々です。この方たちはかつて大学の教壇に立たれていたり、表現活動として個展や本の出版をされているので、自分は今までも精神的なサポートを受けていることが多いのです。今回の企画展によせて自分の表現活動がどんな意味を持っているのか、どの方向を探るのがいいのかをじっくり考える機会にしたいと思います。
    夜明けの時間帯
    季節が春めいてきたと感じるのは朝の時間帯です。自分は勤務が早い時間から始まるので、5時半頃に起床して6時には家を出ます。この時季は朝起きるのがつらくて寝床にずっといたい誘惑に襲われます。意を決して起床して、今日一日をイメージしながら朝食に向います。春めいたと思うのはそんなことをしている時間帯に周囲が明るくなっていることに気づいた時です。真冬はまだ夜明け前で真っ暗でした。起床のつらさを通り越すと、職場に向う朝の光景に身が引き締まる思いがします。まだ完全に覚めやらぬ眼で眺める人の雑踏も結構気に入っている風景なのです。あるいは自分は朝型人間なのかもしれません。今の仕事を退職したら、朝の時間帯に制作しようと今から思っています。                          Yutaka Aihara.com
    見えない部分の造形
    絵画と異なり彫刻は四方八方、つまり360度どこからでも鑑賞できます。作品に裏側がないと言っても構わないと思います。加えて陶彫はたたら状(板状)にした面で囲んで立体にするため内側も作品の部分となります。陶彫は面で構成された彫刻のひとつです。ましてや自分の作品は穴が多数開いているため内側が見えるのです。厚板で作っている土台も穴があるため内側が見えます。見える見えないは別として、自分は見えない部分も造形しています。そこがディスプレイとは異なるところかなと思います。彫刻は作品の見え方よりも立体としての考え方を鑑賞者に提示していると自分は考えています。今日の作業はその見えない部分の制作をしていました。実際の展示では隠れてしまうところです。時間をかけて見せない細工を丹念に行った一日でした。                              Yutaka Aihara.com