Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 遺跡出土品と出会う企画
    群馬県高崎市から招待出品の依頼を受けて、「発掘〜鳥瞰〜」を来月19日に搬入することになりました。全部で6人の彫刻家が選定されたようです。自分がこの展覧会に興味を持ったのは、高崎市観音塚考古資料館の収蔵品と同じ空間に現代彫刻を並べるユニークな企画に対してです。自分の陶彫は全て「発掘」というタイトルをつけています。あたかも出土されたような表面処理を施し、住居のような形体をいくつも組み合わせて作品化しているのが自分の仕事です。本物の出土品と見比べると、どんな感情に駆られるのか、古代人の思いと今の自分の思いがどんなところで交感し、それをどう感じ取れるのか、興味関心は否応なく膨れ上がります。先日、この企画展のちらしが高崎から送られてきました。Eメールで図録の校正原稿も届きました。搬入業者にもお願いをして準備を進めています。
    屏風と襖絵
    日本画の表現媒体である屏風と襖絵。日本家屋の中で室内を装飾する重要な要素です。屏風は空間を仕切る衝立として用途があって、しかも折り畳めて仕舞いこむことができます。狭い空間を巧みに利用した素晴らしい発明品だと思います。屏風は画面の折れ目に立体的な空間の解釈が成り立ちます。自分が魅かれるところはここです。現代の空間にも現代生活に合った屏風の表現があってもいいと思います。襖絵は部屋を仕切ると言う意味で、やはり魅かれる表現です。襖を開けると、その向こうにまた別の世界が現れて、まるでドラマに誘い込むように様々な世界を描いては部屋の雰囲気を変えていきます。そしてこの世界はやがて庭園に続くように意図されています。襖絵は固定された構えを見せ、一方の屏風は可動式の出店のように展覧される媒体です。多くの人を呼び込む襖絵と多くの人のもとに出かけていく屏風。この2つの表現が自分は気になり出していて、いづれ自分なりの方法で試してみたいと思っています。
    横浜の「田渕俊夫展」
    同じ日本画家と言えど加山又造と田渕俊夫はまるで異なる個性を持った大家と言えます。同じ水墨画でも加山芸術が岩肌に打ちつける波濤のような華麗さがあると思えば、田渕芸術は静寂な森林や草原に爽やかな風を送る微細な世界観があります。しかも墨の濃淡だけで表現された鬱蒼と繁る木々の美しさ。いつぞやのテレビで紹介された投影機材を使った構図に、墨のひと筆ひと筆を丹念に入れていく気が遠くなるような作業。そうした描写の蓄積が、やがて大きな世界を作り、画面から潤んだ空気が流れ出してくるような味わいがあります。「田渕俊夫展」は横浜のデパートで開催されていますが、会場に一歩踏み込むとデパートの喧騒は忘れて、智積院講堂の襖に収まる予定のきりりとした世界が立ち現れて心が洗われます。以前から屏風には注目してきましたが、今回の展覧会で襖絵の面白さにも心が動かされました。
    東京の「加山又造展」
    時を同じくして日本画の大家2人が個展を開催しています。2人とは加山又造と田渕俊夫です。まず今日は東京六本木の国立新美術館でやっている「加山又造展」の感想を書きます。加山又造は日本画の画壇で三山(東山・平山・加山)と言われるように有名な大家の一人で、ともかく幅広い分野で活躍した人という印象を持っています。個展の会場もかなり人が多く、大勢の人に支持されてきたように思いました。初期の動物を象徴化した作品は、まだ混沌とした迷いのようなものがあって、全体的に鬱々とした暗い感じを持ちました。画面に金銀を施したうねる波や月や花々が登場する大きな屏風になって装飾的で華麗な作風が確立し、そこから怒涛の如く幅広い表現が現れて、いよいよ加山芸術が花開いたように思いました。絢爛たる色彩表現から一転して水墨画へ変わっていっても、墨の色に色彩が宿っているように思えます。むしろ墨一色の方が深く潤んだ色を湛えているように感じました。全体を回覧してみると画面構成が巧みな人だなあという印象を強くしました。個人的には屏風という媒体に興味が出て、自分の表現にも応用できないかと思案しています。文様を屏風にすると視点に傾斜がかかり立体的に見えるのが新鮮でした。
    窯の業者との打合せ
    今日は朝早くから制作に取り掛かりました。午後から自宅に陶芸窯の業者がやってくるので、今日の制作予定を午前中にクリアしなければなりません。時間は勢いよく過ぎていきました。午前中の4時間が10数分のように感じました。午後は業者がやってきて今年新たに購入予定の窯について打合せを持ちました。窯は電気窯を使っていますが、今度購入する予定の15キロ程度の窯も電気です。自分は登り窯で焚いた経験がありません。横浜では登り窯は無理だと思っているからです。まず薪が手に入らないし、街中で許可が出るかどうかもわかりません。修練も必要なため、自分はついに登り窯に縁がないかもしれません。だから本当の焼成の面白み、醍醐味は知らないと感じています。さらに自分の陶彫は釉がけをしないので、焼成によって窯変する釉薬の楽しさもわかりません。今のところ自分は陶芸家ではないと決めているところがあって、彫塑のカタチを焼き締めて固めるくらいにしか陶芸を捉えていないのです。でも、今の公務員を退職して時間が出来たら、陶芸の面白さを満喫しようと思って、新たな窯を手に入れようと思い立ったわけです。