2011.01.28 Friday
迷路を俯瞰すると、その造形の面白さに我を忘れます。彷徨う心理を巧みに利用し、また演出することは高度な遊戯性をもった立体造形です。迷路は規則性と不規則性が織り成す宇宙で、そこに人は取り込まれてしまうのだと思います。都市にも迷路のような路地があります。人は彷徨うのが好きなのかもしれません。たとえばイタリアのヴェネチア。この迷路であふれた都市に自分は2度訪れました。石壁に囲まれた路地が縦横に走り、どこからともなく人々が現れ、また消えていく…この面白さに自分の造形意欲が擽られました。モンドリアンの絵画のような区画整理された都市空間がある一方で、カンディンスキーの絵画のような混沌とした都市空間があります。迷路の造形はさしずめ後者かもしれません。
2011.01.27 Thursday
常軌を逸した精神状態が優れた芸術作品を生みだす可能性は大きいと思います。職人的な制作工程が必要とされる作品を作るならば、精神のバランスを失うと作品がまとめられなくなることもありますが、素材の扱いが比較的容易で、深い感情表現ができる芸術分野であれば、たとえ障害があっても創作活動に支障をきたすことはないと考えます。たとえば高機能自閉症をもつ作家は、本人の認知がないとしても、かなり存在するのではないかと思えるのです。極度の拘りや独善性は、創作活動においてはプラスに働き、斬新で深い精神性を湛えた作品を生みだす原動力になると思います。社会生活を営む上で、人との関わりが困難で、また周囲に理解されないとしても創作活動にはなんら問題はなく、むしろ孤高の作家として存在を示すことだってあります。創作活動をしていなければ犯罪者になっていたかもしれないと思える人がいるのも事実です。そこで創作とは何かを思索できればいいのですが、自分には主題の荷が重過ぎて、とてもこんな思いつき文章では語れないと感じてしまいます。稿を改めます。
2011.01.26 Wednesday
仕事帰りに工房に立ち寄りました。夜になっていたので周囲は真っ暗でした。窯の出し入れがあったので、今晩の工房立ち寄りは予めわかっていたのです。作りかけの作品を夜の時間帯に眺めるのはいいものです。ひっそりとした中に黒い物体が数個置かれている状態は、空間を演出する作品を作ろうとしている自分には決して退屈なモノではありません。思いがけない発見もあるのです。ただし、ここでこの時間帯に制作をしようとは思いません。昼間の疲れがあるせいかもしれませんが、ガランとした倉庫建築には憩いを拒絶する雰囲気があるのです。100度になっていた窯から大きな四角錘を取り出して、次に控えている作品を入れました。窯の扉を開けるときにドキドキして夜の工房にいることを一瞬忘れます。何とか無事に終わってホッとしています。また次に窯出しするのは日曜日あたりです。
2011.01.25 Tuesday
日本人である自分は日本語で思考したり、感情を表現したりしています。単純な伝達ならば外国語でも可能ですが、感情の機微となると、外国語と母国語の間に温度差が生じます。日本語特有の表現に、日本的趣向や詩情が表れるのは自然なことです。コトバは曖昧さを持っていて、その曖昧さも外国語と母国語の間に差異があると思います。どんなに論理的に話題を進めてもその曖昧さから逃れることはできないと感じることがあり、その曖昧さも日本語特有の曖昧さで、外国語のそれとは若干の違いがあると考えます。翻訳された論文がどんなに優れたものでもしっくりこないのはそのせいかもしれません。もちろん自分の読み解きが甘いせいもあろうかとは思いますが…。論理的な曖昧さとは別に日本人である自分には、日本語特有の感情表現を明快に理解できることがあります。それは心象、というか気分が一緒と言った方がピッタリくる現象で、コトバのワンフレーズに全てが理解できてしまうのです。自分が詩を意識するのは、そんな傾向があるからだと思います。
2011.01.24 Monday
公務員と彫刻家の二束の草鞋を履いているせいか、ゆっくりと本を読む時間がありません。通勤途中の僅かな時間の中で本を読んでいるので、同じ本をずっと鞄に携帯していて表紙が擦り切れています。帰宅すればRECORDを描いたりブログを書いているので、読書を一番犠牲にしていると言っても過言ではありません。ですが、僅か10分程度の通勤電車の中で妙に頭が冴える習慣が出来つつあります。アンドレ・ブルトンや瀧口修造、カンディンスキーやその他諸々の芸術評論を読み解いているからかもしれません。行きの10分で数ページ、帰りの10分で数ページ。これがなかなかいいのではないかと思うこの頃です。一単元読んで、じっくり頭で醸成させ、また次に読み進む、このペースが自分の創作活動に鑑みると、結構効果的かもしれないと思っています。モノ作りには思索が付き纏います。作品を前に物思いに耽るときなど、この通勤時間内の芸術学が心に沸きあがってくるのです。