2011.01.18 Tuesday
先日のブログ「人体塑造からの転位」の続きです。現在自分の彫刻作品は、ロシア人画家カンディンスキーが提唱した非対象という意味で言えば非対象でも抽象でもありません。形態の基本となる要素を抽出している点では、確かに抽象化をしているのですが、自分のイメージでは具象的な世界を描いているのです。造形する対象が人体から他のモチーフに転位したというのが正確なところだと思います。自分の学生時代は人体塑造に明け暮れていましたが、海外に出かけていったことが契機になって方向が変わりました。それでもウィーン美術アカデミーに学んでいた最初の頃は人体塑造を作っていました。ウィーンは街中にバロック彫刻があふれ、自分が作っている人体が少なくても日本より自然な状態で存在していることに伝統の重みを感じていました。逆に日本人なのに何故西洋の伝統表現をやっているのか、自分にはギリシャやルネサンス以来脈々と続く人体表現をやる必然性があるのかを考え始め、その時からウィーンでの試行錯誤が始まったと言っても過言ではありません。それが彫刻を通して自分自身と向き合った第一歩だったと述懐しています。
2011.01.17 Monday
今年7月の個展で発表する木彫と陶彫による作品の題名を「構築~楼閣~」にしました。「楼閣」とは高い構えの建物という意味です。現在制作中のこの作品は、昨年発表した「構築~瓦礫~」のように割れた球体をいくつも作って散在させるのではなく、大小の四角錘や三角錘で構成する集合彫刻です。これは高さを誇るように建造物が点在する架空の都市空間を出現させる意図があります。昨年の「構築~瓦礫~」とは異なった印象になると考えていますが、木材による柱8本を円形に配置して1本ずつを陶彫土台に接着するところは同じです。その柱を斜めにして中心から広がるように配置するので、ちょうど昨年の逆のカタチになります。昨年「構築~瓦礫~」とともに発表した「構築~包囲~」は、柱を円錐状に立ててそれぞれが中心に向くように構成しましたが、今年は中心から広がる構成「構築~楼閣~」になり、それとともに発表する「構築~解放~」は、ちょうど「構築~包囲~」と対峙するものと考えています。上に広がる複数の柱でギャラリーを空間演出するというのが今年7月の個展の内容です。
2011.01.16 Sunday
今日は風が強く寒い一日でした。工房の窓から畑の埃が舞い上がっているのが見えました。今日は7月に発表する新作の陶彫部品の加飾をやっていましたが、途中から来年の作品のイメージが頭を過って、先日作っておいたタタラで来年の新作を作り始めました。来年は「発掘シリーズ」に戻す予定です。全体としてはデビュー作の「発掘~鳥瞰~」のレリーフ屏風に近いものになります。ただレリーフではなく、屏風になった壁に張り付いた彫刻作品です。横壁から立ち上げていく作品のイメージです。6点の厚みのある直方体に作品を埋め込んで、それを屏風のように見せようと考えています。まだしっかりイメージが固まっているわけではありません。変更もありますが、今のところ今年の7月発表の作品と共に来年の作品を同時併行で作っていこうとしています。もちろん今年発表する作品を中心にやっていきますが、来年に繋げていくために、こんな方法をとっているのです。
2011.01.15 Saturday
今日は寒い一日で、工房は冷蔵庫の中にいるような按配です。窯はまだ300度あるので開けられず、窯出しと次の窯入れは明日になりそうです。今日は成形とタタラ作り。相変わらずの週末の制作風景ですが、午後思い立って近隣のスポーツクラブに出かけて水泳をしてきました。2キロ以上泳いでフラフラになって帰ってきました。夕方再び工房へ。制作は単調な繰り返しです。でもここに自分の満足と達成感があるのです。作品は行きつ戻りつの制作工程ですが、変わらない作業を繰り返せることが、自分の気分を高めてくれます。明日も繰り返しの作業です。
2011.01.14 Friday
立体の構造を理解し把握するために粘土による具象的なモチーフを作り始めたのは、自分が20歳になるかならないかの頃でした。それは自分が初めて彫刻という表現分野に足を踏み入れた時で、覚えているのは10代後半に小さな野菜を粘土で模造したことです。大学ではもっぱら人体ばかりを作っていて、それによって解剖学的な骨格や彫刻としての動勢を学んでいたのです。夭折した明治時代の彫刻家荻原守衛の塑造に惚れ惚れしたのもその頃のことです。当時、自分は人体が面白くなっていて、池田宗弘先生の許で習作に励んでいました。人体以外のモチーフに転位したのは、いつだったのか、どんな思いが自分の中にあったのか、改めてじっくり考えてみようと思っています。人体を作っていた時に、この人体の彫刻を発表しようとは思っていませんでした。それはあくまでも立体把握のための習作として自分は認識していて、発表するのは何か別のモノと考えていたのです。画家カンディンスキーに関する書籍の影響で、自分の振り返りをしたくなり、人体塑造からの転位が何であったのか自分なりに考え始めました。今日は動機付けのみに留め、また別の機会を持ちたいと思います。