Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 通勤に思う奄美体験
    車検があって今週は電車通勤です。通勤時間は読書の時間と考えるようにして、自宅に山積みされた本の中から何を読もうか選びました。今年3月末に奄美大島に行った際に購入した日本画家田中一村の伝記や評論を読むことにしました。手ごろな軽さと大きさなので、鞄に入れて持ち運ぶのに最適です。難しい専門書は通勤中の読み物としてはキツいのです。さらさらと読めて、しかも自分に刺激を与えるものがいいと思います。先日まで「廃墟の美学」を読んでいましたが、内容に気が抜けず、とつおいつしながら読み終えました。田中一村の本は、自分が奄美大島を追体験しながら読めるので、奄美大島の自然をもう一度思い出しながら読み進めています。通勤時間が苦にならないようにしようと思っているのです。
    「廃墟の美学」を読んで…
    表題は谷川渥著「廃墟の美学」のことです。これは廃墟の図像学というか美学として捉えた廃墟論です。自分の陶彫による作品は、廃墟(遺構)をテーマにしているので、本来ならもっと早くこの学問を知っておくべきだったと思います。本書は西欧の廃墟に対する考え方や表現方法が通観できる内容になっていて、文中に取り上げられている個々の作家は知っていても、廃墟論としての視点で見ると、実に興味深く、自分の思い描いていた学問がここにあったと感じました。さらにもっと多様な廃墟論を学びたいと思ったほどです。数日前のブログに書いたブリューゲルの「バベルの塔」や「牢獄」を描いたピラネージとか、以前から興味を持っていた作品が出てくるたびに、自分がこの先学ぶべきは「廃墟学」なのかもしれないと感じています。
    勝手なイメージの重複
    自分の中では記憶した時代が異なるのに、2つのモノの間に勝手なイメージの重複がある場合があります。たとえば大学時代に西武美術館で見た「エゴン・シーレ展」。展示作品の中に「小さな町」(1912〜13)というシーレの母の故郷であるクルマウを描いた作品がありました。三角屋根と小さな橋がパッチワークのような構成で表現されている絵画でしたが、それを見た時、日本のフォークソングの旋律が頭の中で繰り返し流れていたのを思い出しました。先日フォークソングの復刻版を聴いて、今度は「小さな町」が思い出されました。フォークソングは中学生の頃、ラジオの深夜放送で聴いていた六文銭の「橋」(作詞:白石ありす 作曲:小室等)です。「小さな頃見慣れた 三角屋根の家並が ほんの少しばかり 姿をかえ河岸づたい〜略〜あの橋わたれ」というフレーズがエゴン・シーレの絵画と自分の中で結びついてしまっているのです。自分勝手で個人的なコラボですが…。
    本棚から溢れる本
    一冊の本が読み終わる前にあれこれ本を買ってしまう癖があって、昔から読もうと思う本が山積みになっています。どんなにパソコンが便利になっても、本をめくる時のわくわくする気分は学生時代の頃と同じです。自分は「本の虫」ではないと思いますが、美術に関わる本は常時読んでいて、鞄に携帯しています。評論、伝記、小説の類まですべて美術系。装丁が凝っているものも多く、そうした本は知識が詰まった工芸品だと思っています。古いデザインの復刻版も出ていて、楽しみながら読書ができます。多忙な合間に読書するのは創作活動以上に自分にとっては難しい技です。車通勤になってから読書時間が減りました。でも本は増え続け、今では本棚に収まりきれず床に置いてあったり、自宅のそこいら中に本の山積みがあります。
    杉の柱を焦がす作業終了
    個展に出品する「発掘〜遺構〜」の台座部分にあたる杉の柱48本。先日から1本ずつ異なる文様の彫りこみを入れ、さらにバーナーで炙って焦がす処理をしていましたが、作業としては今日終了することができました。これからの予定は、この48本の柱をどう配置するか、上に陶彫作品を置いた時にイメージしたような効果が出るか、作品が転倒しないような安全性の確保はできているか等の全体計画を考えなければなりません。今日のところは柱の処理だけで精一杯だったので、全体を見るのは次回の週末になります。搬入まで1ヶ月少々ありますが、ウイークデイは公務があるため作業はできず、週末を数えると残り時間は僅かとなります。いつもこんな緊張を強いて搬入を迎えますが、今回も例外ではなさそうです。