Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 毎晩ブログ(NOTE)を書く理由
    一日の大半を職場で過ごしている自分は、職場関係で語りたいことが山ほどあります。にも関わらず、それを最小限に留め、できるだけ美術に関連した記事を書いています。このブログも自分にとっては自己表現のひとつで、美術という媒体を通して解放できる自分を文章にしているのです。自分のホームページが彫刻家である自分のためにあるので、ブログを書く時も彫刻制作に向かう時と同じ気持ちでやっています。ブログを書くために就寝前パソコンに向かうひと時は、頭のスイッチを切り替えて、もう一人の自分と出会う時でもあるのです。土や木に触れていなくても、ブログの文章をまとめるために創作に思いを馳せる時は、創作活動をしている時だと考えています。同じ文字を連ねても、詩を書くとなると気構えることがあって苦心していますが、ブログは気楽です。こんなふうに詩も書けるといいなぁと思っています。ブログのように毎晩詩が書けたらどんなに素晴らしいか、そんなことを思っているこの頃です。
    真鍮直付け「旅人~坂道の木~」
    私淑している彫刻家保田春彦先生がいる一方で、自分には大変身近な池田宗弘先生がいます。大学時代から池田先生の工房に出入りして、ほとんど直弟子となっていた自分は、自分の結婚式の仲人も先生にお願いしました。先生の工房が東京の秋津から長野県麻績に移ってから、年1回の訪問になってしまいましたが、手紙や電話のやりとりはよくしています。池田先生の奥様が他界されて追悼の著作を出版されたのは、奇しくも保田先生と同じです。今は同じ境遇にいらっしゃる2人の先生が、かつて自分の学生時代に同じ大学で教壇に立たれていたのは偶然でしょうか。池田先生は奥様も先生ご自身もキリスト教信者。作っている彫刻もキリスト教をテーマにしているので、奥様が亡くなられても作風が大きく変化することがなく、以前より宗教性が増したように感じています。今回「自由美術展」に出品された彫刻「旅人~坂道の木~」は、夏に麻績の工房を訪れた時に、制作途中の状態を見ていたので、真鍮直付けによって「旅人~坂道の木~」がどのような工程で作られていったのかがよくわかります。ちょうどその時、業者が真鍮の板材を運んできたのでした。工房の野外にある土間で、溶接を繰り返し、万全な構造による心棒を組み立て、そこに着衣の人物を真鍮によって塑造していく技法は、池田宗弘ワールドの骨頂で、それによってかつてはユーモアやペーソスを表現した軽みのある人物や猫を作ってきました。今回はマントを羽織った旅人が階段を降りかけたところにある木に手をかけんとする情景を造形しています。人物の軽みはあるものの弱々しさは微塵も無く、人物の的確な描写によって深い精神性を表していると感じました。
    木彫「進化の過程」
    朝日新聞の美術評によると「古い民家を思わせる木彫シリーズだが、今作では地虫のような形に。題名と合わせて見ると、はいつくばってでも前に進もうとする、作家の意思表明ともとれる。老いるにつれ、できることは限られていく。だが、保田は創作から離れない~略~」(10月6日付2010年夕刊)とあった「保田春彦展」(南天子画廊)。出品された木彫「進化の過程」は重くうずくまる姿態をもった抽象彫刻です。「進化の過程」とは、どういう意図でつけられた題名でしょうか。この世に生を受け、命を謳歌して、やがて宿命として死を受け入れる、その落日のような燃え立つ時に、自らを奮い立たせ、何かに背中を押されて作られたモノという印象を受けたのは私だけでしょうか。にもかかわらず進化を繰り返し蘇生を願う彫刻。己を乗り越えようとする強靭な意志が「進化の過程」ではないかと思えるのです。作家は無様なカタチを作ろうとしたのかどうか定かではありませんが、うずくまるカタチが結果的には、気負いが無く、魂の込められたカタチになっていき、それが観る人の心に刻まれる作品になったのは確かです。
    東京の「保田春彦展」
    先日見に行った東京の京橋にある南天子画廊での「保田春彦展」は、自分の胸中に深く重い印象を残す内容でした。作家が懸命に造形活動に向かう姿勢には、頭が下がる思いです。自分も「老い」を感じ始めたら、こうでありたいと強く望むようになりました。保田先生は、自分の大学時代から近づき難い存在でした。厳しく感じ取れる人柄もさることながら、ステンレススティールや鉄を素材とした緻密に計算された理知的な彫刻も、観る人を寄せつけない印象がありました。イメージの根底には、先生が長く暮らされたイタリアの古都の都市構造があるとしても、作品は常にその情緒を排除して、抽象として純化しているように思えます。そうした時代のあと、「遠い風景」シリーズが現れます。イタリア生活の遠い記憶を手繰り寄せ、素材も木に変わり、温かくややもすると牧歌的な印象になり、それまでの手の切れるようなハードな作品とは一線を画した作風になりました。今回発表された彫刻は「遠い風景」シリーズの延長上にあると思いましたが、何か少し違う印象を持ちました。注目したのは「進化の過程」と題された木彫です。作家が断腸の思いで作り上げたものだろうと推察しました。そのカタチが自分の胸に刻み込まれて忘れ難い作品になってしまいました。「進化の過程」については稿を改めることにします。
    三連休 成形と土練り
    三連休最終日になってやっと制作ができました。今日は一日中工房にいました。乾燥が心配だったタタラは、数日前にビニールで包んでいたため、いい状態になっていました。陶彫土台の残り2点の成形と合わせて加飾も行いました。これで乾燥が上手くいけば、柱を支える陶彫土台成形は全て終わることになります。あとは乾燥を待って、ヤスリ掛けをして表面を整え、化粧土で処理をします。今日はボランティアの子がいたので、土練りも行いました。久しぶりに土錬機を使いました。2人で分担して土練りを行うと手早く出来ます。次の陶彫部品のための準備です。これから大きな部品を4点ほど作る予定です。それにしても三連休はいろいろなことが重なって密度の濃い休日になりました。制作が思うように捗らなかった嫌いはありますが、いろいろな意味で充実した休日でした。