2010.10.30 Saturday
今日は土曜出勤です。自分の職場が周辺地域の防災拠点となっていて、その訓練が今日ありました。地域住民等が数百人参加して、簡易担架や三角巾の扱い、AEDや車椅子体験など盛りだくさんの内容を行いました。折りしも台風が近づいている状況ではありましたが、午前中は密度の濃い時間を過ごしました。振り返って自宅の防災拠点はどこにあるのだろうと考えてみると、認識の薄い自分に気づきました。有事の際は、どこに避難すればいいのか、そこで水や食料は確保されているのか、地域住民として自分もそうした場所やルートを知っておく必要があると感じています。家族の安否や自分が外に出ていた場合の対処、自分のことをどうやって家族に知らせるのか、携帯電話は使えるのか、さまざまなことを考えながら、職場の防災訓練に参加しました。家内の親戚がいる奄美大島の自然災害などが身近で起っています。対岸の火事とは言えない状況が今日の訓練に盛り込まれていました。
2010.10.29 Friday
職場によっては職員の研修旅行を企画しているところもありますが、今の職場は職員全員でホテルの一室を借りて夕食会をやっています。管理職的なことを言いますが、会計はすべて自己負担で積み立てによって賄っています。もちろん勤務時間外に設定していて、公務に差しさわりのないところでやっているのです。でも、それはそれとして私たちはチームで取り組んでいる仕事が多いため親睦を兼ねて夕食を共にする機会は必要です。大きなイベントがあった後は、職員同士で思いを語り合い、また言いたいことが言える関係作りを行っています。自然発生的に職員がキャリアによってお互いで学びあう機会はありますが、意図的に計画して、このようなコミュニケーションの時間をとっているのです。それぞれの持ち味を生かして適材適所に人を配置するのが管理職の仕事ですが、こうした機会に集団としての力量を推し量り、人と人との繋がりを見て取ることができます。そんなことを考えていると、この立場になった時から気持ちよく酔えない自分がいて、ちょっと寂しい思いも過ります。
2010.10.28 Thursday
フランスの詩人でシュルレアリスムの提唱者であるアンドレ・ブルトン(1896~1966)は、学生時代に美術雑誌を通して知っていましたが、ようやく昨年の夏に著書「魔術的芸術」(河出書房新書)を読んで、ブルトンの思想の片鱗に触れることができました。その後、「瀧口修造全集」全13巻(みすず書房)に取りかかり、現在も尚とつおいつ読んでいる最中ですが、瀧口修造がブルトンに日本人として最も近い存在だったことは、著作の中で窺い知れます。「私がはじめてブルトンの名を知ってから、もうおよそ四十年近い年月が経つ。アンドレ・ブルトンとは誰か?という問いは、あまりにも個人的なものであり、学究とはまったく別に、私の内部で絶えず反覆されてきた。ときには青春の自由と愛の謎にみち、ときには悪夢と屈辱感とに伴われ、ときにはイリュージョンとまぼろしの彼方の透明な核のような存在として。そしてその上に建てられたシュルレアリスムという大きな標識。それがいまや多くの人々によって飴玉のようになめまわされ、吐きだされてすらいるのだが…。ブルトンの死はひとつの円環を閉じたことになると同時に、その結晶のようなヴィジョンと、しばしばポレミックと考えられていた運動の起伏とがひとつの源泉からきていることがやがて明快に証明されるであろう。~以下略~」(瀧口修造全集9)自分もそろそろ再びブルトンを読もうかという意欲が湧きます。次は「シュルレアリスム宣言」を読んでみたくなりました。
2010.10.27 Wednesday
1980年から85年までオーストリアの首都ウィーンで暮らしていた自分は、都心の環状道路沿いにある国立美術アカデミーに籍をおいていました。そこの取得教科に解剖学がありました。日本の大学で彫刻を学んでいたにも関わらず、自分は解剖学を受けたことがなく、この時ばかりは興味津々で受講をしました。講義の場所は美術アカデミーではなく、医科大学の解剖学の教室でした。白い髭をたくわえた大柄な教授が、ホルマリン漬けの人体の一部を持ってきて、筋肉や骨についての説明を始めました。自分はドイツ語がところどころ聞き取れず、どうやらラテン語が混じっているらしいことがわかって、単位の取得が危ぶまれる状況でした。その分デッサンは集中して多量にやっていて、口頭試験の際にそのデッサンを見せて単位をいただきました。その講義の中で印象的だったのは教授の脱線した話でした。「学生諸君が親になった時、我が子に靴下を履かせるとしよう。解剖学を学んでいれば、骨の仕組みがわかって、靴下を履かせるときに役立つものだ」というセリフに思わず顔がほころんだのを今でも思い出します。
2010.10.26 Tuesday
今月のRECORDは「吊るす」というテーマでやっています。20日から今日までの5日間は、骨が吊るされているイメージをモノクロの作品にしてやっています。骨は人骨で、自分が滞欧中に購入した解剖学の書籍を参考にしています。今は本ものの人骨を見ながらデッサンできる環境がないため、図版を見ながら描いているのです。自分はもうかれこれ30年近く前にヨーロッパに出かけ、オーストリアのウィーン国立美術アカデミーに在学していました。アカデミーでは解剖学の講義があって、解体された人体をデッサンしたことが思い出されます。そのデッサンノートは今も手許に残っています。解剖学の書籍は、その当時購入したもので、単位を取得するためにドイツ語の辞書を片手に勉強していたのでした。それはところどころ自分が学んだ形跡が見られる分厚い本ですが、今はもうすっかりドイツ語が出来なくなって、解読するもどかしさを感じてしまいます。現在は余裕のない生活の中で、図版だけを頼りにRECORDをまとめてしまう自分ですが、骨の機能的な美しさを感じる絵心だけは忘れていないようです。