Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 思考を辿るデッサン
    大学受験のためにデッサンに明け暮れていた時は、デッサンはもう充分と思っていました。大学では彫刻を作るための準備としてデッサンを行うことが多く、受験時代のようにデッサンが目的になることはなかったのです。ところが今はデッサンを目的としたデッサンをもう一度やりたいと思っています。一日1点ずつ葉書大の平面に作品を作っているRECORDで、可能なら風景デッサンをやってみたいと思います。時間のない日常からの逃避かもしれませんが、目に映るモノを見た通りに描くというプリミティヴな行為がいいと改めて思います。「目に映るモノを見た通り」、これが曲者です。彫刻家ジャコメッテイの晩年のデッサンはそれを追求して、空間に切り込むような線になり、形態も細くなっていったのでした。リアルとは何か、目の前に存在するモノは、ルネサンス以来の遠近法、透視図法で本当に成り立っているのか、そんな思索を続ければ、デッサンは造形美術の基本でありながら自分の思考を辿る表現とも成り得るのです。受験時代と違い、今の自分はデッサンひとつでも難しい課題を背負うことになるのかもしれません。
    二束の草鞋を履いて…
    自分がやりたい仕事と経済的自立が一致すれば、それは幸運な人生だと思います。自分もそうでありたいと望んでいたのですが、自分のやりたい創作活動では生活が出来ないことはわかっていました。彫刻家という職業を選ぶこと事態、生活設計を考えれば無謀な選択です。彫刻を続けている人は、たとえば大学で彫刻を教えていたり、あるいはまるで別の仕事を持っているケースが多く、自分は後者にあたります。これは何も彫刻に限ったことではなく、会社に勤務しながら文筆業をやっていたり、また自分の知り合いには演劇に打ち込む人もいて、自分と同じ境遇です。そんな境遇にいる人は誰でも、本当にやりたいことでは経済的自立が出来ない理由で二束の草鞋を履いているのですが、自分の現状では、だからといって給与を貰う仕事もおろそかに出来ないというのが本音です。彫刻は言わば自己満足を得るための手段で、もちろん作品の精神性を問われて、その思索如何によっては人を感動させる表現活動ですが、一方公務の方は、組織として働いているわけですから、人との関わりが大切になり、その中で自分の持てる力を尽くしていると言えます。自分が管理職という立場になって、さらに気の抜けない事案を抱えることが増えてきました。二束の草鞋は双方に別々の厳しさがあって、自分という人間の中でそれが共鳴し、反発し、支えあいながら歩んでいるように思えてなりません。まだ当分続く道のりです。退職まで何とか乗り越えていきたいものです。
    創作活動に対する思い
    昨日の続きのようなブログです。大学で彫刻を学び、おまけに海外の美術学校に5年間籍を置いていた自分は、結局30歳を過ぎてから日本での就職活動に入りました。今でこそ就職活動する年齢はさまざまですが、当時は学校を出れば就職をすることがあたりまえになっていた風潮がありました。フリーターというコトバがなかった時代でしたが、それでも大学を出て何もせずにいる若者も若干いたのも事実です。自分はどちらかといえば就職をしないグループに入っていましたが、海外で経験した観光ガイドの手伝いやら日本食料品店でのバイト、子どもに日本語を教えるバイト等はうんざりしていて、生活設計をきちんとしなければ何もできないと実感して帰国したのでした。30歳を過ぎてから横浜市で正規採用されたのは幸運だったのかもしれません。彫刻とは縁のない世界でしたが、自分なりに一生懸命やっていました。両親の前でようやく胸を張れるようになり、安心した両親の顔を見ることができました。しかし彫刻に対する意欲は封印されて、創作活動はこのまま中断してしまうのかと思うようになりました。自分の生きがいはやはり創作活動だと改めて認識して、今の状態でどうしたら創作活動ができるようになるのか、学生時代の鬱々とした不安とは違い、今度は具体的な方法を探るようになりました。そこから創作活動ができるようになるまで、かなりの時間を費やしてしまいましたが、二束の草鞋を履いて、休まず焦らず制作をやっていく現在の生活スタイルが始まったのでした。
    見守ってくれた両親へ…
    高校2年生の終わり頃、自分は両親に大学でデザインを学びたいと願い出ました。美術の中でも手堅い職業選択ができる工業デザインを両親への説得材料にして、週末はデザイン科受験のための予備校に通わせてもらうことになりました。両親は快く自分の思いを聞いてくれましたが、自分がやがて彫刻に転向したいと言った時は狐につままれたような顔をしていました。もうその時は1年近くも予備校に授業料を払っていたので、受験を止めさせるわけにもいかず、結局既成事実を作った上での事後承諾になり、自分は彫刻科へ向けて走り出していました。大学で彫刻を学んでいた自分に、両親は将来に対する文句は一言も言わず、ずっと見守り続けていてくれたのでした。初めの頃は、何も言われないことで心が救われましたが、逆に甘えも生じていました。何とかしなければと思っていたのは両親よりも自分自身の方でした。でも将来の設計が描けない自分に、大好きな彫刻に打ち込めば打ち込むほど鬱々とした不安が残りました。あの頃を思い出すたび、どうしたら彫刻を続けられるのか、どうしたら自立した生活ができるようになるのか、甘えと弱さに苛まれる自分が見えてきます。これは30年も前のことには到底思えず、つい最近のように感じていることのひとつです。
    イメージの展開
    イメージはトレーニングによってある程度鍛えられて展開力が身につくと思っています。毎日RECORDと称し、ポストカード大の平面作品を作っていますが、毎日のことなので作品が緩慢になったと反省しつつ、それでもイメージが湧いてくるのが不思議です。これは日々のトレーニングの成せるワザかなぁと思っています。単純な構成や形態が少しずつ変化していって、より複雑な構造になっていく過程を毎日描いていると、昨日より今日はさらに頑張ろうという気持ちになります。5日間経って、もう一度初心にかえって単純な構成や形態に戻り、そこからまた展開していく習慣が出来ています。これは頭の中にイメージを貯蓄するところが出来ているとさえ思ってしまいます。小さな作品でも常にイメージを作り上げ具現化しているのは、自分にとって有益だと言い聞かせながら今日もRECORDをやっているのです。