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  • 詩画混在のJ・ミロ
    象形文字のように単純化された形態をもつジョアン・ミロの絵画には、日本の前衛書道に共通する余白のセンスがあります。余白は空間であり、そこに平面でありながら立体としての空間を感じるのは私だけでしょうか。ミロには具体的なモティーフがあります。星や鳥や女というようなモティーフで、それらを形象化して生命を宿しているようにも思えます。さらにミロのモティーフの中に実際の詩句を書き込んだものがあり、文字と絵画の境界を超えた表現になっています。言わば詩画混在。「ミロと中国絵画との類似点は、かれがカンヴァスのなかに詩の一節をさえ書き込んでいることであって、これは極東の高名な鑑識家たちが好んで巨匠の軸に詩の讃を書き加えながら、ほとんど全体の構図を妨げていないのを想い起こさせる。」(ジョルジュ・デュテュイの言葉「中国の神秘思想と近代絵画」より抜粋)コトバに興味関心のある自分には、こうした表現に羨望を感じるのです。ミロの無邪気とも素朴とも感じ取れる絵画は、鋭利な感受性が覗いていて観る人を惹きこむ要素になっていると思います。
    週末 三角錐の成形
    今日は新作のパーツの一部になる三角錐の成形を行いました。三角錐は昨日まで作っていた大きな四角錘より小さめです。天辺が破損されたように作っています。この部品は加飾に凝るつもりです。同じ陶彫部品といえども新しい矩形になると問題が生じて苦心します。もう1点同じものを作れば三角錐の制作工程に慣れてくるかもしれません。今日は同時に低めの四角錘成形の準備をしました。今回の基本は三角形です。四角錘や三角錘の山々が心象風景を作り出すところに新作の着眼点(またはイメージ)があるのです。どのくらい三角形の心象風景を広げることができるのか、ウイークディの公務との兼ね合いで決まるところが多いので、結局今年も時間との戦いになるのです。図録の撮影が来年3月と考えると、毎週末を制作に充てても、あとどのくらい矩形が作れるのか、計画や計算では割り切れない部分もあると思うと、焦る気持ちが俄かに出てきています。
    週末 四角錘4点乾燥待ち
    週末となれば、毎回工房に出かけて作業しています。いわばブログは週末ごとの制作記録になっていて、これは人に読んでいただくというより、自分のためのメモになってしまっています。昨年のアーカイブを見ると、新作の制作状況がわかって、作業工程の進み具合を知る材料になるのです。今日は先日来取り組んでいる大きな四角錘の4点目が終わり、乾燥を待っている状態になりました。これはひとつずつしか窯に入らない大きさで作っているので、今までの自分の陶彫単品の中では最大の大きさです。乾燥もかなり時間がかかるのを見越して作っています。次に作ろうとしているのは四角錘4点よりも、やや小さめの三角錐です。全体計画では三角錐の尖った部分が欠損しているデザインになる予定です。これは何点作るのか未定です。そもそも全体計画もかなり大雑把で、作りながら考えていくつもりです。配置も適当です。これは今年7月の個展に出品した「構築~瓦礫~」も同じで、展覧会場で配置を考えるのです。
    管理職組合の集会
    自分が一般職員だった頃に、労働条件の改善を目指して組合活動を積極的にやっていた時期がありました。どちらかというとそういうことに疎い自分だったのですが、職場の雰囲気でメーデーに参加してデモ行進もしました。今は管理職になっていますが、やはり管理職も組合があり、今晩はその地区集会が開かれたのです。管理職は一般職員よりも激務だと感じます。抱えている課題も多く、間違えば訴訟に発展するケースもあります。そのために組合があって、労働条件の改善はもとより、さまざまな要求があって、今まで以上に近い存在としての組合活動を展開していきたいと思っています。1年1回きりの集会ですが、同じ管理職の仲間同士で意見交換する機会は大切と感じます。
    「普通の生活」という幸福
    最近の世知辛い国際情勢を見ていると、現在自分が何の心配事もなく送っている生活が、とても幸福に思えてきます。「普通の生活」という当たり前が、当たり前にならなくなっている世の中です。いつ何があってもおかしくないという感覚にしだいに犯されていくことが不安です。それでも自分だけは大丈夫と高を括っているもう一人の自分がいます。事件、事故、災害はやはり当事者にならなければわからないのかもしれません。防げるものなら防いで、安心・安全な「普通の生活」をそのまま続けたいものです。逆に芸術表現は、その動機となるモノに不安な世相を反映しているようにも思えます。満たされた幸福な世の中では芸術的に優れた作品は生まれないと思えるからです。それは時代全体に限ったことではなく、極めて個人的な事情によってバランスを失うことでも秀作が生まれることがあります。何はともあれ自分としては、制作もままならぬ事態に陥ることだけは何としても避けたいと願うこの頃です。「普通の生活」のいう幸福の中で、たとえ自己表現が薄っぺらになろうとも、安心・安全な世界で生きていたいと思っています。