Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 図録の最終撮影
    今年7月21日から予定している銀座での個展。図録作りが最終段階に入っています。今晩はお馴染みのカメラマンが来て、追加撮影をしていきました。ギャラリーせいほうに今月末までには図録やDMを持っていかなければなりません。今回も前回同様に図録が楽しみです。個展はまだこれからなのに自分の足跡を残している実感とともに現在の作品の履歴が刻まれます。作品の反省も多々あるのですが、それは個展搬入の時にしておきます。いろいろ公務が立て込んで大変な時に、こうした自分の世界があるのは幸せなことで、またそれによって癒されもします。定年になれば創作活動一本でやっていく所存なので、今は二束の草鞋で頑張っていくより方法はありません。
    満陽工房の周囲
    昨日出かけた熱海市の池田満寿夫・佐藤陽子の「創作の家」。そこから車で20分程度走ったところに故池田満寿夫が主に陶芸を試みていた「満陽工房」がありました。山の中腹にある大きな町工場のような工房です。ただし工場とは違うのはカラフルに塗装された工房の壁でした。工房そのものは未公開で、隣接している記念館に陶芸作品が展示されていました。自分にとって有意義だったのは、たとえ外側からだけでも工房が見れたことでした。周囲の環境、工房の大きさから作家の創作の在り方を想像することができるのです。とくに周囲の環境は重要で、作品は環境によって影響を受けるからです。自由奔放な池田満寿夫の作風が、みかん畑の点在する山の中から生まれたという事実。しかも空は大きく広がり、眼下に川が流れる自然のままの環境。そんな場所に羨ましさを感じながら「満陽工房」を後にしました。 Yutaka Aihara.com
    熱海にある「創作の家」
    版画家として成功した後も小説家として活躍した故池田満寿夫。陶芸も制作して晩年はマルチアーテイストとして旺盛な創作意欲を見せていました。音楽家の佐藤陽子と熱海に住んでいたことは当時のテレビ等で知っていましたが、今日はその「創作の家」を見てきました。熱海駅より坂を登ること10分。目指す家は小高い丘の上にありました。玄関前に立つと左手に丹精こめた庭があり、家の中は2人が日常生活を過ごしていた気配を感じることができました。調度品は海外で収集した大きなソファやステンドグラスで、ダイニングも人を招く目的があったのか、かなり大きめなテーブルや椅子がありました。アトリエには絶作の油絵が立て掛けてあり、リアルな空気が伝わってきました。自宅を公開するというのは個人美術館や記念館とは異なり、当時のナマな生活が垣間見えて何ともいえない気持ちになります。マテイスが晩年住んだ南仏のような気分で、池田満寿夫はこの熱海に住んだのではないかと思いました。                           Yutaka Aihara.com
    6月になって…
    今日から6月です。先日まで雨模様で寒い日が続きましたが、今日は一変して夏のような太陽が顔を出しました。RECORDも5月分の正六角形を終え、新たな図形を考えています。7月の個展に出品する「発掘〜遺構〜」の一部に使う杉の柱は、なんとか今日荒彫りを終えることができました。さて、この48本の柱をどう処理すべきか、頭の中にイメージとしてはあるのですがイメージ通りになるのかどうか。杉の柱を1本ずつ彫っていくのは労働の蓄積として、ある意味では気が楽なのですが、これからが全体の関わりとして、作品に1本ずつ組み込んでいくので骨が折れるのです。発掘された状態をどう木で表現するのか、陶彫を支える部分をどうすべきか、今日一日は荒彫りした素材を触りながら何かを感じ取りたいと頭の中で試行錯誤を繰り返しました。6月は制作が佳境に入る期間です。搬入の7月20日まであと1ヶ月半に迫りました。
    作品イメージの源泉
    先日から紙切れに鉛筆で文字を書いたり消したり…。作品化を始めた都市との関わりは、自分のどんな記憶に由来しているのだろうと思いを巡らせているのです。通勤する道路沿いに高層マンションが立ち並び、朝はひっきりなしに往来する人々や渋滞する車。騒音から始まる朝の訪れ。自分もその中にいて、あくせくと道を急いだりしています。リアルな日常が分刻みの時間の中でどんどん流れていき、そこに立ち止まって深呼吸することもありません。都市の構造に組み込まれた自分を省みて思うのは、大勢の人を見ていながら人との関係は極めて希薄で、近所付き合いもない孤立した状態です。むしろ付き合いを遠慮し面倒なことに関わりたくない思いもあります。そんな都市を俯瞰できたのは改めて作品化を思い立った時だったように思えます。都市の遺構を作ろうとした時に、現在の都市生活に何か有事があったらどうなるのか、災害で多くの人が亡くなっている状況は海外のニュースで知ることはできても、果たして自分には当事者意識があるのか、そんなことも考えの中にあって、最悪なシナリオを描いた屍のような都市空間を作ろうとしたのを思い出しました。はて、これをどんなコトバで伝えようか。目下自分の悩みの種になっています。       Yutaka Aihara.com