Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 野島公園の散策
    30数年前、自分は横浜市金沢区で高校生活を送っていました。今日は仕事のような遊びのような気分で、久しぶりに野島公園を訪れました。記憶の断片を繋げるように公園の周囲を歩きました。景観はだいぶ変わっていて、きちんと整地がなされていました。モダンな展望台に登ると、八景島シーパラダイスが見えました。午前中は小雨がパラついていて、さらに遠くの景色は薄曇で見えませんでしたが、自分の過去を辿ることができました。そうは言っても景観が新しくなると、過去の自分の存在もリセットされるようです。自分の中ではそんなに昔のことではないと思っていたのですが、時間は確実に時を刻んでいて、自分の足跡が消されているのに唖然としたり、逆に不思議に気持ちが楽になったりしました。自分の高校時代は楽しいものでも甘酸っぱいものでもなく、鬱積した心で過ごしていたことをここに来て思い出していました。                            Yutaka Aihara.com
    芸術家の書簡
    今晩のNHK新日曜美術館を見て、画家のルオーとマチスが長い間書簡のやり取りがあったことを知りました。数多くの手紙に芸術家同士の励ましや気遣いが感じられて暖かい気持ちになり、また創作への勇気を与えられました。異なる画風にも関わらず2人がお互いの仕事を認め合っていたことが素晴らしいと感じました。自分も恩師からの書簡を大切にしています。彫刻家池田宗弘氏、作家みやこうせい氏、笠原実氏らの手紙には行間を読む楽しさがあります。同世代や若い世代との交換には残念ながらそうした書簡がありません。Eメールのやり取りばかりでは書かれた文字に個性もなく、その人らしさが出ないことがあるからです。自分も手紙を書かないことが多く、気持ちを伝える手段が貧しくなっていることを恥じるばかりです。     Yutaka Aihara.com
    「見る」と「見つめる」
    自分の視界に入ってくるものを何気なく見ているのは日常のことで、よほどの注意を払わなければ、ただ呆然と見ていることが多いと思います。あの日あの時間に何を見ていたか、よく思い出せないこともあります。人の記憶は曖昧なものです。ところが「見つめる」という行為は造形表現に結びつくことがあります。あらかじめ表現しようとする意思が働いている場合はなおさら観察に熱が入ります。感動した風景や人物、現象の美しさ。そうしたモノを「見つめる」行為で自分の思いが入り、「見つめる」以上の「見つめ方」をして、心の目で「見つめる」対象を捉えて記憶を再構築したくなります。表現の第一歩はそこから始まると言っても過言ではありません。「見つめた」モノを何かに置き換えて作ってみたいというのが創作行為です。記憶の断片を頭の中で篩にかけて抽象化していく過程が面白いと感じる今日この頃です。                               Yutaka Aihara.com
    デッサンを学んだ後に…
    デッサンは全体と部分の関わりやバランスを身につける方法として優れた効果があります。実際のデッサンには木炭、鉛筆、ペン、絵の具等を使った様々な技法があります。形態の取り方や陰影のつけ方には、ある程度の訓練が必要になりますが、デッサンはモノの構造を見たり、外界を観察する上で大変役に立ちます。自分のイメージや思考を相手に伝達する手段としてもデッサンは有効です。バランスが掴めるようになると、次のステップとして敢えてバランスを崩しはじめる作家がいます。全てにおいて整った世界は退屈を覚えるのです。その崩し方によって表現性が高まり、モノの真髄が抽出されてきます。否、崩すのではなく真髄を見極めようとして、従来のデッサンを超えた表現に達するといった方がふさわしいのかもしれません。始まりはデッサンを学んだ後に、いかに自分になれるか、自分を知るかを学び始めることだと思います。                         Yutaka Aihara.com
    造形活動と体力
    まだ身体が動くうちは精一杯身体を使って作品を作りたいと思っています。もちろん現在は、一人ですべて作り上げる予定で制作工程を考えています。土を練ったり、木を彫ったりして、どのくらいのサイズのものまで可能かを判断しながら、長い時間をかけて作業を始めます。今のうちはこれでいけると思いますが、いざ身体が思うように動かなくなったら、作業をどうするか考える時があります。外部発注する方法もありますが、出来るだけ自分で作りたいと考えています。その時の表現方法はどうなってしまうのか。平面になってしまうのか。何となく画家マチスの晩年に制作された「ジャズ」という平面作品のシリーズが頭を過ります。少なくても現在よりはカタチも色彩も自由になって気儘で存在感のある作品になってほしいと今から願うばかりです。                               Yutaka Aihara.com