Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 都市の変貌を考える
    自分の居住空間から職業に従事している空間までが自分に認識できる都市空間です。よほどの放浪者でない限り、自分が住まう都市の全貌を自分の足で確かめることはできません。自分は大きな都市機構の一部に加担して生活をしているわけですから、今ある都市が変貌を遂げていく過程を見極めることはなかなか困難です。人は利便性のある土地に集まり、生産を繰り返し経済を活発にします。時代とともに利便さが変わり、人の価値観も変わり、都市は別の土地へ移動していきます。行政が都市を企てることもあります。過疎化した都市は、もう都市と呼べるような機構を持ち合わせず衰退していきます。それは人の流れが全てを決めていきますが、都市はそこに生活している人々を盲目にさせ、人と人とを分かち、より発展する都市へ靡く人と、そこに思い留まる人とを作り出すと考えます。人の心情まで写し出す都市の存在に、日常を離れて思いを巡らせてみました。              Yutaka Aihara.com
    ある日の幻影
    それは夢だったのか、実際に見たものだったのか、遠い記憶を啄ばむうちにふとした情景が眼に浮かび、しばらくそれに囚われてしまったことがありました。砦のように高くそびえる壁の上に街が築かれていて、日が沈む頃になると頂上にある街にちらほら灯がともる情景です。壁と思われた平面的な造形は近づいてみると、あちこちに突起があり、たとえば階段であったり、小さく刳り貫かれた穴のような窓があるのがわかりました。先日のブログに「壁」というイメージについて書きましたが、それがどこから構想として出てきたものか自分でも判然としません。記憶を辿れば、エーゲ海に浮かぶギリシャの島々にそんな切り立った壁の上にあった街が思い浮かべることができます。富山県八尾の小さな町にもそんな風景がありました。そこで見てきた記憶を頭の中で浄化して造形作品にまとめてみたいと思っています。ある日の幻影を、記憶の深淵を覗くように揺り起こし、架空な風景をデッサンしていくところから始めます。                     Yutaka Aihara.com
    構想と素材の関係
    眼の中で、また脳内で、素材との制約を解かれて「何か」を探りたいと欲求することがしばしばあります。彫刻家なら誰もが一度ならず感じることがあるかもしれません。しかしながら構想するときは素材との関係抜きには考えられないのが現状です。まず陶土ありき、木材ありきとして作品の構想を練るのは得策ではありません。自分の中に沸き起こる造形への衝動が素材を伴うものであっては駄目だと思いつつ、常に素材から解き放たれることのない自分の性分を受け入れられない理念的な自分がもうひとり存在しています。「何か」を構想するときに、もうひとりの自分と対話して折り合いをつけることが「何か」を作品化する第一歩なのです。漠然とした「何か」はどこから沸き起こるのか定かではありませんが、自分が現在まで生きた経験の中で培われたものであることに変わりはありません。潜在する欲求なのか、理想郷なのか、そこに素材が入り込んで構想と一体化してしまうのです。素材に振り回されることのないように注意深く思索しても、素材のもつ磁場に引かれていってしまいます。                       Yutaka Aihara.com
    構想と単純作業の蓄積
    美術とは絵を描くことや彫刻を作ることではなく、人の眼が認識する形態や色彩に新しい意味や視点を与えることだと考えています。絵画や彫刻はそうして思考した結果を表現する方法・手段であると思います。構想の段階で全ての結果を出し、あとはその構想を自分で満足できる方法で具現化することが制作となります。構想と制作が行きつ戻りつする作家も多いと思いますが、自分は構想と制作を分けてやっている場合があります。制作が始まると最初の構想で描いた設計図通りに進めます。プロセスとしてはデザイン分野に近いものがあります。ですから制作はほとんど単純作業です。単純作業の蓄積も最初の構想にあって、時間を封じ込めたものを表現として意図する場合があります。集合彫刻の考え方も単純作業の蓄積、あるいは仕事をした時間の凝縮として展示します。1年間1点、しかも定期的に作業を継続することが、つまり経過の表現として作品化しているのです。         Yutaka Aihara.com
    Hutzel brotに思いをよせて
    表題はドイツ語でフッツエルブロートと発音します。乾燥した果物が入ったパンのことです。自分はこれに限らず、ずっしり果物が入ったパンが大好物で、クリスマスの時期には同種のStollen(シュトーレン)が日本のベーカリーでも出回り、必ず手に入れて幸せを感じています。フッツエルブロートはシュトーレンに似て、薄く切って紅茶かコーヒーと一緒にいただくと美味しさ百倍です。ある日横浜駅の地下街のベーカリーでフッツエルブロートを売っているのを見つけて、その時から我が家はフッツエルブロートが切れることがありません。かなり手間のかかるパンではないかと想像でき、高価でも仕方がないと思っています。時間が出来たら、こういうパン作りにチャレンジしてみたいと思うこの頃です。 Yutaka Aihara.com