2010.02.28 Sunday
昨年7月に農業用倉庫として建てた自分の工房。すっかり制作ペースが出来上がって、週末には必ずそこで作業をしています。今日も2月最後のRECORDをやって、陶彫の手の込んだ成形をやって、タタラを作って…というように作業を進めていましたが、自分の工房だと認識しているためか、あれもこれも気になって、時間があれば、あそこを整理したいとか、別の作品を同時に作りたいとか、様々な考えが巡ってしまいます。自分が横浜市公務員の定年退職を迎えた時には、きっと日々工房に籠もっているんだろうなと今から想像がつきます。指折り数えて退職を楽しみにしている自分がいるのですが、今は考えが巡りすぎて、現在作っている作品がなかなか進みません。そこは昨年まで借りていた作業場との意識の違いがあります。借りていた作業場は時間に追われるように作品を作っていました。部品を散らかしていても夕方には片付けなくてはならず、元通りにして作業場を出ました。作業場では周囲が気になることもなく、自分の作品だけを見つめていました。借りた作業場と自分の工房。自分の工房の方がいいに決まっていますが、なかなか進まない作業に苛立ちもあります。じっくり落ち着ける環境があるのに、あと6年くらい足りない時間の中で右往左往しなければならないのかと週末が終わるひと時に思っています。
2010.02.27 Saturday
週末は新作「構築~瓦礫~」のための陶彫パーツ作りに励んでいます。先週、手の込んだ陶彫パーツの成形が終わりましたが、今日も目立つ場所に置く陶彫パーツをもうひとつ作り始めました。集合彫刻としてパーツを数多く作り、その組み合わせによって作品にする方法を取っているので、パーツ作りは毎週末にやっています。目立つパーツとそれを支えるパーツがあって、全体のバランスを取るように構成するのですが、目立つパーツはまだまだ必要で、当分は緻密な作品を作っていきます。手をかけて作るパーツは、実は結構面白くて時間を忘れます。厚手にしたタタラを削ったり、加飾していくのは気持ちの良い作業です。陶土と触れ合っていると、心が安定してきます。一日があっという間に過ぎていくのです。こんな時間をずっと持ちたいと願いつつ、週末だけの限りある時間の中で、何とか集中してやっているのが現状です。明日もきっとこの繰り返しで、時間を惜しむように制作に励んでいると思います。
2010.02.26 Friday
今月のRECORDのテーマは「渦巻く」です。そこで、天に昇る龍を描きはじめました。龍と虎は日本古来のモチーフで、掛け軸や屏風に優れた作品が残されています。京都の天竜寺の天井画には加山又造が描いた龍、建仁寺の天井画には小泉淳作が描いた双龍図、その他にも妙心寺には有名な「八方睨みの龍」があります。身体が大蛇のような龍は昔から画家の想像力を刺激してきました。自分もポストカード大の小さな画面ですが、一日1枚ずつ渦巻く龍を描いています。この毎日描くRECORDを始めてから4年目に入りますが、龍を描くのは始めてです。今年はかなり具象傾向になっていて、それはそれで新鮮です。次第に純化して抽象化してしまう傾向を抑えて、具象に留まることは今までなかったことでした。学生時代に盛んにやっていたデッサンを追体験しているようです。
2010.02.25 Thursday
今晩は管理職仲間が集まって、日頃のストレスを発散させる機会をもちました。飲み会の席で隣に座った仲間は、「書」を嗜む人で、彼の「書」を見に行った感想を、前にブログで紹介しました。飲み会の間も「書」談義に花が咲き、自分がやっている美術と共通するものがありました。自分は「書」を見る時、美術的な見方をしてしまいます。「書」を意味のあるコトバとして読み取るのではなく、墨の黒と余白の白のコントラストとして見てしまうのです。いわば文字を記号化してしまい、抽象絵画のように黒と白が同等の価値をもち、さらに黒と白が織り成す空間を楽しんでいる傾向が自分にはあります。落款も同じです。自分がかなりいい加減に、言葉を変えれば自由気儘に彫っている印も、自分にとっては抽象絵画なのです。朱と白を空間として捉え、画面構成を作っていくのは絵画と同じだと思っているのです。落款は新作ごとに新しく彫ると言ったら、「書」も似ていると彼は言うのです。「書」も絵画と同じように空間の解釈として、筆法も自由にやれるとすれば、自分もできるかもしれないと思ったひと時でした。
2010.02.24 Wednesday
近隣のスポーツクラブに行って身体を動かしている時に、運動能力とは何だろうと考えています。たとえば水泳でたいして力を入れなくても楽にスイスイ泳ぐことができる、つまり無駄のない動きで運動をしていることだと思っています。それはどうしてそのような泳ぎができるようになるのか、ひたすら練習しても何かに気づかなければ、疲労するばかりで楽にスイスイ泳ぐことはできません。自分も大なり小なりそうかもしれませんが、近くで泳いでいる人を見るにつけ常々感じていることです。自分のことは棚上げして思うに、運動は何であれイメージするチカラが必要なのではないかと思うのです。よく言われるのがイメージトレーニングですが、それはただ見るのではなく、何かをやろうとする時に瞬時に感じ取るチカラのことだと思います。自分が行動に対して、どのくらいのイメージをもてるかどうかで運動能力が推し量れるのかもしれません。仕事帰りにスポーツクラブで感じたちょっとしたこと、これもイメージの端くれかなと思います。